第9話 西方の村を救え(前編)
朝のギルドは、依頼書の山と冒険者たちの声で賑わっていた。
その隅で俺は財布を開いて絶望していた。
「……銀貨、六枚」
昨日まで十枚あったのに、宿代三枚、朝食二枚、残り一枚はパンの誘惑に散った。
「異世界の物価、マジで地球より高ぇ……」
そこに笑顔の太陽ことセリナが現れる。
「お困りですか、シゲルさん? 働きましょう!」
「……ギルド職員の励ましって、こうストレートなんだな」
「こちら! 初心者でもできる護衛依頼! 危険度低め! 報酬金貨1枚!」
依頼書には、西方の〈ルベット村〉と書かれていた。
「金貨1枚か……宿代二週間分。天の恵みかよ」
受注のハンコを押す手に、若干の震えが走る。
セリナが笑顔で背中を押す。
「護衛の相棒はリオナさん! 強いですよ〜、頼れる美人!」
「なんで最後に属性つけた?」
「やる気出るかなって!」
「出ねぇよ!」
その後ろでマリアが静かに書類を綴じた。
「……ルベット村には魔物が出るとの報告もあります。油断はしないように」
「了解。慎重に行きます」
「シゲルさん、慎重と臆病は違いますよ?」
「知ってますよ!」
――完全にバレてる気がする。
◇
西門前。
秋風が穏やかに吹き抜け、道の先には黄金色の草原が広がっていた。
荷馬車のそばで剣を点検している金髪の女性がこちらを振り向く。
「あなたがシゲル?」
透き通る声に、思わず姿勢を正した。
「はい、えっと……剣士のシゲルです」
「うん、そう聞いてる。でも、ちょっと頼りなさそうね」
「……お手柔らかに」
リオナは小さく笑って頷いた。
「冗談よ。前はあたしがやるから、あなたは後ろをお願い」
「なんか守られてる気がします」
「護衛はチームワークよ。無茶しなきゃ、それでいいの」
勝気なのに柔らかい。
その口調が妙に心に残った。
◇
街道を進む馬車の車輪が、コトコトと小気味よく響く。
空は青く澄み、遠くで風車が回っていた。
俺はのんびり歩きながら、ふと口を開いた。
「リオナさんって、ギルド歴長いんですか?」
「三年。最初は剣が重くて泣いてたわよ」
「泣く……?」
「そう。剣って重いのよ、責任も。仲間ができると、なおさら」
彼女は少し遠くを見ながら笑う。
「でも、守れるのは嬉しい。あたし、そういうのが好きなの」
「……いい人だ」
「え?」
「いえ! 独り言です!」
俺の口が勝手に動いた。
異世界って怖い。
◇
昼過ぎ、馬車の陰で休憩を取る。
商人がパンを配ってくれた。
「旅の途中で食べるパンは格別ですな!」
「……昨日もパンだったけど」
「贅沢言わない。食べられるだけ幸せ」
噛みしめたパンは、妙にしょっぱかった。
俺の涙の味だな……。
◇
日が傾きかけた頃。
草原を抜け、村が見えてきた。
けれど、様子がおかしい。
煙はなく、人影もない。
畑の野菜は刈り取られずに柵は壊れたままだ。
風が止まり空気が重くなる。
「……誰もいない」
リオナが剣を抜いた。音が空気を裂く。
「空気が変。魔物の匂いがする」
商人が震えながら声を上げる。
「お、お嬢さん、本当に安全な依頼なんですよね!?」
「ギルドの基準ではね。でも現実は別」
リオナの表情は真剣そのもの。
俺も息を飲んだ。
やばいな……ここで魔法が使えればすぐわかるのに。
でも脱げねぇ。ここで脱いだら社会的に死ぬ。
背筋に冷や汗が伝う。
リオナが俺を見た。
「シゲル。後ろは任せたわ。あたしが前に出る」
「……了解。でも、頼りなさそうでも、やるときはやりますよ」
その言葉に、リオナが一瞬だけ笑みを見せる。
「いい返しね。好きよ、そういうの」
風が止み、森の奥から低い唸り声が聞こえる。
黒い影が蠢き、地面が揺れた。
リオナが剣を構え、俺は森を睨む。
「来る!」
土煙の向こう、光を呑み込むような巨体が動いた。
それは、ただの魔物ではない“何か”だった。
俺は息を呑み、心の中で小さくつぶやく。
……頼む、脱がずに済みますように。
そして、戦いが始まった。




