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第84話 西へ向かう道で

 王都の朝は、やけに澄んでいた。

 昨日までと同じ街並みなのに、今日からここをしばらく離れると思うと、空の色まで少し違って見える。


 城門を出ると、いつもの街道が西へまっすぐ伸びていた。

 石畳は途中までで、そこから先は土の道に変わる。

 荷馬車の車輪の跡が幾重にも刻まれている。


「じゃ、しばらくお別れね、王都」

 リオナが大きく伸びをすると、腰の剣がカチャリと鳴る。


「またすぐ戻ってくることになるかも知れねぇけどな」

 俺が言うと、エルナは小さく笑った。

「戻ってくるときには、ガルダの人たちも笑っているといいですね」


 そうなってくれりゃ、俺としても脱がずに済む確率が上がる。

 ……口に出すと縁起が悪い気がして、黙っておいた。



 西へ向かう街道は、予想よりにぎやかだった。

 荷馬車の列、行商人、旅芸人らしき一座までいる。

 戦の気配はどこにもない。


「意外と、普通ね」

 リオナが前を歩く荷馬車を眺めながら言う。


「ガルダとの交易が止まってるわりには、って意味か?」


「そう。“物が足りない”って感じには見えないわ」


 エルナが首をかしげる。

「王都で見た鍛冶屋さんたちは、かなり困ってましたけど……」


「王都と地方じゃ、影響の出方も違うってことだろ。ここらはまだ“これから”なんだろうな」


 そんな話をしていると、前を行く荷馬車の御者が振り向いた。

「おい、あんたらもリュンドまでかい?」


「ああ、そうだ。隣、歩いてもいいか?」


「好きにしな。盗賊が出るほど物もねぇが、話し相手くらいは歓迎するぜ」


 俺たちは馬車の横に並んで歩いた。

 御者は日焼けした中年で、馬車には布に包まれた荷物が積まれている。


「どこから来たんだ?」


「王都だ。そっちは?」


「東の港町さ。いつもなら、この先で王都行きの荷とすれ違うんだがな」


 男は肩をすくめる。


「ここ半年、さっぱりだ。銀もルミナ鋼も来ねぇ。こっちからも、食い物を運べねぇ」


「ガルダ側の事情って、どのくらい伝わってるんですか?」


 エルナが控えめに尋ねると、御者は少し顔をしかめた。


「へんな噂ばっかりさ。“王国と帝国が手を組んで、ガルダを飲み込む”だの、“山の向こうにでかい軍勢が集まってる”だの」


「見た人はいるのか?」


 俺が問うと、男は鼻で笑った。


「いねぇよ。“聞いた話だがな”って前置きつきの噂ばっかりだ。でもな、噂ってのは、腹が減ってる連中にはよく効く薬なんだよ。毒かもしれねぇけどな」


 その言い方が妙に生々しくて、一瞬言葉が出なかった。


「ガルダの連中も、穀物が減りゃ不安になる。“不安だ”って口にしたところに、“敵がいるぞ”って噂すりゃ、簡単に燃え上がる」


「……誰かさんの得意技ね」

 リオナがぼそっと言う。俺も同意しかねない。


「グラナードという名前、聞いたことあります?」

 エルナが恐る恐る尋ねると、御者は首をひねった。


「ん? いや、聞かねぇな。こっちで流れてるのは、“影の語り部”とかそのへんの呼び名だ。顔も名前も分かんねぇが、酒場や広場でひそひそ話を広めて歩いてる連中がいるってな」


「影の……ねぇ」

 リオナが眉をひそめる。


「影でコソコソやってる分にはまだいいが……表に出てこられると面倒だな」


 俺は空を見上げた。

 青くて、雲も穏やかで、どう見ても戦前って空じゃねぇ。


 ――でも、帝国のときも、最初の空はこんな感じだった。



 日が傾き始めたころ、西方宿場町リュンドの屋根が見えてきた。

 山脈の手前に広がる、中規模の町だ。


 門の前には、荷馬車の列ができていた。

 兵士たちが一台ずつ荷を改めている。


「検問ね」

 リオナが小さく息を吐く。


「戦時中ってほどじゃねぇけど、緊張してるな」


 俺たちの番になり、兵士が近づいてきた。

「身分証の提示を頼む」


 俺とリオナはギルドカードを見せ、エルナは王都からの許可証を差し出した。

 兵士は真面目そうな顔で一通り目を通し、軽くうなずく。


「……王都からか。最近、王都の人間がよく来るな」


「そんなに来るのか?」


「ああ、かなりな。おかげで、こっちはガルダの動きにピリピリしてる」


 兵士は、城壁の向こうを一瞬だけ見た。


「山の向こうからの荷は止まったままだ。逆に、向こうに行った商人が帰ってこねぇ。噂も増えてる。“王国はもうガルダを攻める軍を集めてる”とか、“帝国と一緒に鉄を奪う”とか……」


「そんな事実はねぇよ」


 思わずきっぱり言うと、兵士は少しだけ安堵したような顔をした。


「だろうな。だが、ガルダの連中がどう見てるかは別の話だ。あんたら、町に入ったら、くれぐれも“王家の使いです”なんて顔は出さないことだな」


 その忠告に、俺たちは素直に頭を下げた。

「助言、感謝する」


「今は、余計な誤解を招かねぇのが一番だ。――ようこそ、リュンドへ」



 宿場町の中は、見た目だけならにぎやかだった。

 行き交う人、店先に並ぶ食べ物、酒場から漏れる喧噪。


 けれど、よく見ればいろいろとおかしい。


 金物屋の棚はスカスカで、壁には『一人一品まで』の張り紙。

 工房の前には『ガルダ製部品入荷未定』の札。

 逆に、穀物や干し肉の店は妙に活気がある。

 安いうちに買い込もうという空気だ。


「物はまだあるけど、“いつまであるか分からない”って感じですね」

 エルナが周囲を見ながら言う。


「こういうとき、人は“理由”を求める。“なぜ足りないのか”“誰のせいなのか”ってな」


 俺がそう言うと、リオナが横目で酒場を指差した。


「理由が分かりそうな店なら、そこにあるわよ」


 目を向けると、入口の横に、壁新聞のようなものが貼られていた。

 手書きの紙に、大きな字でこう書いてある。


『王国と帝国の動きに備えよ』

『鉱山は我らガルダのもの』


 見ただけで頭が痛くなるタイトルだ。


「……まぁ、派手にやってんな」


「中に入ってみる?」


「いきなり真正面から突っ込むのは、さすがに不用心じゃねぇか」

 俺は首を振った。


「今日は様子を見て、宿を取って、情報を整理しよう。下手に口を挟んで、“王国のスパイだ”なんて騒がれたら目も当てられねぇ」


「それは困るわね。あたし、まだ地下牢とか入りたくないし」


 リオナが笑い、エルナは少し青ざめた顔でこくりとうなずいた。


「シゲルさんが……地下牢で脱ぐ展開とか、嫌ですし……」


「そんな展開、俺だって全力でお断りだ」


 本気でそう思う。



 町外れの宿に部屋を取った。

 一階が食堂兼酒場、二階が客室。

 三人でひと部屋だ。


 粗末だが清潔な部屋で、俺たちは荷物を下ろした。


「さて、とりあえず整理だな」


 腰を下ろしながら言うと、リオナが指を一本立てる。


「まずひとつ。ガルダからの鉱物は止まってるけど、こっちの生活はまだ致命的には崩れてない」


「ふたつ。噂は、すでに宿場町レベルでも広がっている」


 エルナが続ける。

「“王国と帝国の連合軍がガルダを狙っている”って話ですね」


「みっつ。噂の源は、おそらくグラナード。でも、ここで名前が出てるのは“影の語り部”とか、そういうあだ名だけ」

 俺は指を折りながら言った。


「……やっぱり、あの男か」

 リオナが、寝台の端で足を組む。


「正直、戦争そのものよりタチが悪いわよ、ああいうの。剣も魔法もいらない。ただ口だけで人を煽れるんだから」


「口だけで人を傷つけられるって、怖いですね」

 エルナが膝に手を置き、じっと見つめる。


「戦だって、“誰かが言葉にした”ところから始まるんですもんね……」


「だからこそ、言葉の方から止めないといけねぇ」

 自分で言って、少しだけ苦笑する。


 俺は剣も少しは振れるし、魔法を使えば大体のものはどうにでもできる。

 だけど、今回ばかりは、殴れば解決、って話じゃねぇ。


「まずは明日、商人と工房関係者の話を聞こう。“実際に何が起きてるか”を、噂じゃなくて体感してる連中から」


「了解。あたしは鍛冶屋とか工房筋を当たるわ」


「わたしは教会や救済所を回ってみます。食べ物の配給状況とか、困っている人たちの声を聞けるかも」


「俺は……商人の溜まり場と、噂話が集まりそうな酒場か」

 言いながら、少しだけ肩が重くなる。


「裸で殴り込む話じゃないのは、まだ救いかもしれねぇけどな」


「フラグ立てないでよね」

 リオナがじとっとした目を向けてくる。


「どうせどこかで脱ぐ羽目になるんだから、それまではせめて真面目にやりましょ」


「“それまでは”って言い方やめろ」


 エルナが困ったように笑った。

「でも……シゲルさんが脱がなくて済むなら、その方がいいです。それで人が救えるなら、一番いいです」


「そうだな」


 窓の外を見やる。

 夕暮れが、山の端に沈みかけていた。

 あの山の向こうに、鉄と歯車の国――ガルダ=インダスト王国がある。


 そこに、グラナードと、飢えと、不安と、噂が渦巻いている。


「戦になる前に止める。今度こそ、そういう終わらせ方をしたいもんだ」


 そう呟くと、風が窓の隙間から入り込んだ。

 まだ、血の匂いはしない。

 この匂いのまま、終わらせられればいい――心からそう思った。

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