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第81話 静けさの底で変わる風向き

 帝国との戦いが終わったあと、俺たちはすぐ王都に戻った。

 砦の空気にまだ炎と煙の匂いが残っているうちに、馬車に乗せられ、王城へ向かった。


 王城では、妙に豪勢な大広間で褒賞を受け取った。

 重くて扱いづらい金の勲章と、やたら桁の多い報奨金袋。

 リオナは笑っていたし、エルナは感極まって祈りながら泣いていた。

俺は……ただ“服を着たまま表彰されるありがたさ”を噛みしめていた。


 その後すぐに俺たちは王都を発つと、故郷のようになっていたリーベルの街へ帰った。

 街の風は相変わらず温かく、人々は俺たち三人を迎えてくれた。


 そして——

 気づけば、あれから一年が経っている。


 街の風も、人々の暮らしも、俺たちの旅も、少しずつ、ゆっくり変わっていった。

 戦いの記憶は遠ざかり、世界は平和を取り戻しつつある……ように見えた。



 パンの焼ける香りで目が覚めた。

 腹が鳴る。どうやら、一年経って平穏な暮らしにも胃袋はすっかり馴染んだらしい。


 借家の屋根裏――俺の部屋は相変わらず狭くて、床板はきしむ。天井は低く、身体を起こすと頭をぶつける角度だ。

 ただ、このボロさが嫌いじゃない。戦の匂いが薄れ、ようやく生活ってものを思い出せた場所だからだ。


「……さて、今日こそは服を着たまま一日を終えたい」


 呟いてから、自分で苦笑した。

 戦が終わり、魔法を使わない日が増えたのに、“全裸の勇者”という呼び名だけはしぶとく街に残っている。


 床板の下から声が聞こえる。


「シゲルー! 朝ごはん、冷めるわよー!」


 リオナの声が突き抜けるように響いた。

 同時に、もう一つの柔らかい声。


「パン、焼けましたよ……あ、少し焦げちゃいましたけど……っ」


 エルナだ。

 焦げた、という言葉の時点で、もう嫌な予感しかしない。


「はいはい、今行く!」


 階段を降りると、一階の広間に二人がいた。

 リオナは腰に手を当て、いつもの金髪ポニーテールを揺らしている。

 エルナは焦げたパンを見て、申し訳なさそうに俯いていた。


「ほら、また焼きすぎたでしょ? あんた火の調節ヘタなんだから!」


「うぅ……強火じゃないと美味しく焼けない気がして……」


「気がして、でパン黒焦げにするの、何回目よ……」


 俺は椅子に腰を下ろし、パンをかじった。

 ……炭かと思うほど黒かったのに、口に入れると妙に甘い。エルナの料理は、毎回なんだかんだで不思議に美味い。


「うん、悪くないぞこれ」


「あっ……本当ですか……? よかった……」


 エルナが嬉しそうに笑う。

 その笑いは、戦の最中にはなかった柔らかさだ。


 リオナは呆れたように肩をすくめた。

「ほんと、あんたはどんなもんでも褒めるんだから」


「いや、褒めなきゃいけない空気だった」


「言うじゃない」


 そんなやりとりをしていると、外から街のざわつきが聞こえた。

 休日の市場みたいな賑わい……にしては、妙に重い声が混じっている。


 リオナが眉をひそめた。

「最近、なんか変じゃない? 素材屋の親父も落ち着きなかったし」


「そういえば……魔道具の工匠さんも、品が入らないって困ってました」


「ん? それは珍しいな」


 王国は資源国じゃない。

 武具や魔道具に使う鉱物は周辺国から輸入している。

 一年前の戦争のあと、王国と帝国は正式に和平を結んだ。

 物流は復活しているはずだ。


 それなのに物資不足?


 俺は窓の外を見た。

 通りを歩く人たちが、みんな何かを囁き合っている。

 不安と噂が混じった、嫌な空気だった。


「……まあ、たまには街に出てみるか」


「なんか嫌な予感?」


「嫌な予感しかしない」


 リオナはため息をつきながら剣を腰に下げ、エルナは慌てて外套を羽織った。

 三人で家を出ると、店の前の木製看板が揺れていた。


 街の空気は確かにいつもとは違った。

 笑い声に落ち着きがなく、どこか風が通らない感じがある。


 鍛冶屋の前で、大柄な職人がぼやいていた。


「鉱石の入荷が止まっちまってんだよ。ガルダ=インダスト王国……だっけ、あそこの連中が交易止めたらしい」


「交易停止? なんでまた」


「知らねぇよ。ただ……向こうじゃ、王国と帝国が手を組んで圧力かけるって噂が流れてるとかなんとか」


「……は?」


 馬鹿な話だ。

 王国と帝国は、一年前には殴り合っていた相手なのに。


 けど、人々は噂を信じている。

 信じるだけならまだいいが、ガルダ=インダスト王国が警戒して交易を止めている――それは現実だろうか。


 リオナが腕を組んだ。

「なんか……戦後一年経ったのに、嫌な感じの騒ぎ方ね。平和って、壊れやすい」


 エルナは不安げに俺を見る。

「シゲルさん……まさか、また何か……?」


「いや、まだ何も分からない。けど……」


 そのときだった。

 馬車の車輪が石畳を叩く大きな音が響き、街の門の方角で人々がざわついた。


 王国の使者――国王の紋章をつけた使いの騎士団が、まっすぐこちらに向かってきていた。


 リオナが呟いた。

「……来たわね。いやな予感的中」


 エルナが胸に手を当てた。

「また……旅が始まるんでしょうか……?」


 俺は深く息を吸った。

 風がどこか重い。

 街に何かが迫っているのは、もう間違いなかった。


「行くか。話を聞かないと始まらねぇ」


 三人で歩き出す。


 平和な一年の終わりが、静かに――けれど確実に幕を開けようとしていた。

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