第74話 断層の夜明け ― 全裸の戦い ―
夜明け前の砦は、やけに静かだった。
昨夜の戦闘で負傷した兵の呻き声も、今は風に紛れて聞こえない。
松明の火だけが頼りなく揺れて、空の端には白い光が滲み始めている。
「……このまま朝を迎えたら、戦が再開するな」
リオナが磨いていた剣を止め、俺を見上げた。
「間違いないわ。帝国の陣は、まだ炎が消えてない」
「だろうな」
俺は城壁の上から、遠くの黒い影を見た。
帝国軍の旗は、まだ掲げられたままだ。
風に乗って、鉄と土の匂いが届く。これは、また死への匂いだ。
「リオナ、エルナ」
「「なに?」」
「俺が行って、この戦を止める」
二人が動きを止めた。
エルナが目を見開く。
「止めるって……どうやって、ひとりで?」
「やり方はある。俺にしかできない方法だ」
リオナが立ち上がり、声を荒げた。
「バカ言わないで! 一人で帝国の軍勢に突っ込むつもり!?」
「突っ込むわけじゃねぇよ。――戦わせないだけだ」
沈黙が支配する。
遠くで鳥が鳴く。
空が、薄紫に染まりはじめている。
「俺を信じてくれ。……もう、脱ぐ覚悟はできてる」
「ちょっと待って。その覚悟の使い方変態ぽい!」
リオナのツッコミが入ったが、俺は苦笑するしかなかった。
「俺が服を着て戦うのは無理だ。これ以上、誰も傷つけたくない」
リオナが唇を噛む。
エルナは祈るように手を組んでいる。
「……どうか、あなたが無事でありますように」
俺は背を向け、静かに言った。
「信じて待っててくれ」
二人から視線を外す。
上着を脱ぎ、ズボンを放る。
冷たい朝風が全身を撫でた瞬間、身体の奥に魔力が走る。
血の代わりに、魔力が脈打つような感覚。
〈スキル モザイク〉
顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは細かい。
リオナが目を覆いながらため息をついた。
「……ほんとに脱いだ」
エルナは両手で顔を隠しながら叫ぶ。
「見えません! 見えませんってば!」
しかし次の瞬間、
「ひゃうっ」と声を上げ、そのまま気絶した。
俺は軽く笑って、砦の門をくぐる。
夜明けの光が差し込み、裸の背中を照らした。
冷たい空気が肺に刺さる。
――だが、心は不思議と穏やかだった。
◇
帝国の前線では、黒い鎧の兵たちが並び、緊張した顔でこちらを見ている。
誰かが叫んだ。
「な、なんだあれは!? 裸の……魔導士か!?」
「馬鹿言うな、勇者じゃないのか!?」
「いや、あんな格好で来る勇者がいるか!」
ざわめきが広がり、弓兵たちが矢を構えたまま動けずにいる。
指揮官らしき男が怒鳴った。
「構え! 魔法攻撃に備えろ!」
俺は立ち止まり、彼らを見渡した。
「ここで終わりにしよう。無駄な戦いは、もうやめろ」
誰もが息を呑んだ。
指揮官が嗤う。
「貴様ひとりで何ができる!」
「そうか、わかった」
俺は右手を地面に突き立て、呟いた。
「……ここまでにしよう」
〈巨大断層〉
――その瞬間、大地が鳴った。
足元から伝わる振動。
地面の奥から、魔力が爆ぜるような音が響く。
轟音と共に、大地が裂けた。
帝国軍と俺の間に、深く広い断層が走る。
地鳴りが響き、土煙が空を覆った。
地面に出来た亀裂の幅は数十メートル。深さは底が見えない。
帝国兵たちは悲鳴を上げ、武器を取り落とした。
「ひっ、ひいいいっ!」
「地面が裂けたぞ!」
帝国軍が後退し始める。
だが、まだ終わりじゃない。
俺は拳を握りしめ、もう一度魔力を集めた。
「……逃げるなよ」
〈巨大断層〉
再び、大地が裂ける。
今度は帝国軍の後方。
轟音と共に地面が沈み、裂け目が走る。
先ほどの断層と繋がり、帝国兵たちは周囲から隔絶された。
「う、動けんぞ!」
「陣が分断されたぞ!」
混乱、恐怖、そして沈黙。
俺はゆっくりと言った。
「戦うより、生き残れ」
風が吹き抜けた。
地面に出来た裂け目の底から、立ち上る熱が俺の足を撫でる。
モザイク越しに立つ自分が、どこか別の存在のように感じた。
神でも英雄でもない。
ただの、変態を超えた人間だ。
◇
その報せは、帝国の首都グランザに届くまでそう時間はかからなかった。
軍議の間で、参謀が報告書を震える手で掲げる。
「陛下、王国の全裸勇者が……地を裂き、第一軍を包囲しました」
皇帝アスモルは眉をひそめ、低く唸った。
「全裸で……地を?」
宰相が青ざめながら言う。
「報告によれば、“全裸の神が降りた”と……」
玉座が沈黙に包まれる。
皇帝は立ち上がり、剣を抜いた。
「ならば、神に抗う策を練るまでだ。軍議を開け!」
◇
夜が明けた砦の上から、リオナが遠くを見つめていた。
地平線の向こうに、黒い線が走っている。
それは断層。まるで大地が裂かれた傷跡のようだ。
「……あいつ、本当にやったのね」
隣で目を覚ましたエルナが呟く。
「裸のまま……?」
「裸のままよ」
「……神様」
「違うわ。あれは人間よ。かなり変態だけど」
空が白み、風が吹く。
俺は裂け目の前に立ち、朝焼けを見つめていた。
――もう誰も、死なせない。
風が頬を撫でる。
その声がまた、頭の中に響いた。
『裸で地を割るとは……お前、神話でも目指しておるのか?』
「黙れ、神。俺はただの人間だ」
『ふむ。ならば――“人の限界”を見せてみよ』
朝陽が昇る。
風が赤く染まり、戦の夜明けを告げた。
――全裸の魔法使いが、戦の行方を変えようとしていた。




