第65話 城の静寂と動き出す影
王都の城門が見えたとき、正直ほっとした。
長い戦いと追跡の末に王女を救い出した俺たちは、王の使者に導かれて無事帰還したのだ。
街の入り口にはすでに多くの人が集まり、俺たちの馬車を取り囲んでいた。
「おおっ、勇者シゲルだ!」
「全裸で王女を救ったって本当か!?」
……やっぱり、そこが強調されるのか。
フードを深くかぶり、顔を隠す俺の横でリオナが吹き出す。
「いやあ、英雄扱いされるのも悪くないんじゃない?」
「全裸の英雄とか。この恥ずかしさは後世に残るレベルだぞ……」
「大丈夫。モザイクのおかげで威厳は保たれてる」
エルナは手を合わせて祈るような仕草をしながら、小声で呟く。
「……次こそ服を着たまま英雄に……」
「努力目標にはしてるよ」
王都の人々の歓声を背に、俺たちは王城へと入った。
謁見の間で王女は正式に報告を終え、国王は俺の方へ向き直る。
「改めて、シゲル殿……いえ、勇者殿。本当に感謝いたします」
「いえ、その……勇者ってほどじゃ」
周囲の貴族たちがざわめく。
俺は褒められるのに慣れてない。
褒められたうえに“勇者”って呼ばれるのは、むず痒さで死ねそうだった。
◇
夜の王城では祝宴の準備が進められていたが、ある場所では別の会議が開かれていた。
――同じ夜、遠く離れた帝国。
黒い幕の張られた会議室に、五人の高官が集っていた。
「王国には“光る全裸の勇者”がいるそうだ」
「……馬鹿げている。だが噂の出所が問題だ」
「王女を救ったのは事実。放置は危険だ」
机の上に置かれた報告書には、たったひとつの名前が記されている。
“全裸魔法使いシゲル”――
高官の一人、グラナードが冷たく笑った。
「よかろう。ならば再度“偽の勇者”を放て。混乱を生むのだ」
「またあの墨塗りか?」
「方法は守れ。ただし今回は少し痩せ型にしろ。前は太すぎた」
「……痩せた全裸勇者、ですか」
「滑稽で結構だ。混乱にはそれが一番だ」
翌日、帝国の地下訓練場。
痩せこけた男が、黒い墨で顔と股間を塗られながら直立していた。
「お前が“勇者シゲル”だ」
「はっ、了解です!」
「決して服を着るな。威厳が失われる」
「はっ!」
そのやり取りを見守る教官たちの表情は真剣そのものだった。
滑稽なのに、奇妙で不気味な光景だった。
――その夜、俺はそんなことが起きているとは知る由もなかった。
王城の窓から見える灯りの下で、ただ静かに風の音を聞いていた。
◇
そして数日後の朝、王都に奇妙な報告が届いた。
「陛下、報告です! 市外に“全裸の勇者”が出現しました!」
「なにっ!? また勇者か!?」
「はい、しかも……今回は痩せております!」
玉座の間が凍りついた。
王は眉をひそめ、宰相バルセノアが机を叩く。
「なんと不敬な! 国の威信が地に落ちるではないか!」
「し、しかし、民衆は“勇者再臨”と騒ぎ立て……!」
その頃、俺は客室でお茶を飲んでいた。
「なんか、また妙な噂が立ってるらしいけど」
「シゲル、外に出てないよね?」
リオナが目を細める。
「出てない! ここ数日は城内にいた!」
「寝ぼけて脱いでませんか?」
エルナが恐る恐る聞いてくる。
「寝ぼけて脱ぐか!」
ほんとにやめてくれ。俺の社会的地位はもはや粉々だ。
◇
一方そのころ、王城の地下書庫では一人の男が通信魔法の鏡に手をかざしていた。
王の侍従長、カーディス――帝国の内通者である。
鏡の中にはグラナードの影が映る。
「偽勇者を放った。噂を広げろ。王国を混乱させよ」
「承知しました。すでに市井では“二人の勇者”の話が出始めています」
「上出来だ。王を惑わせろ。戦の準備を遅らせるのだ」
通信が途切れたあと、カーディスは机に置かれた一枚の紙を手に取る。
そこには、貧相な体つきの全裸男が描かれていた。
顔と股間が黒く塗りつぶされている。
「……痩せ過ぎだろ、これは……」
◇
夜風が静かに吹く。
俺は庭のベンチに座り、星を見上げていた。
リオナがやって来て、隣に腰を下ろす。
「聞いた? やっぱり“偽のあんた”が出たって」
「もう勘弁してくれ……今度はどんなヤツだ?」
「痩せてて、ヒョロヒョロだったらしい」
「なんだそりゃ……」
俺は頭を抱えた。
しばらくして、エルナが温かい飲み物を持ってくる。
「でも……噂が広まるのは早いですね」
「それが狙いなんだろうな」
俺はカップを見つめながらつぶやいた。
「誰かが、偽勇者を操ってる。……きっと、また面倒なことが起きる」
風が、城壁の向こうから流れてくる。
その風には、鉄の匂いが混じっていた。
遠く、帝国の夜がざわめく音が聞こえた気がした。
そして俺は知る。
この静けさのあと、もっと大きな嵐が――
裸であろうと服を着ていようと、避けられない戦いが待っていることを。




