第64話 王女救出 ― 砂塵の追跡戦
夜明けの王都は、嵐の前のようにざわめいていた。
馬の嘶き、甲冑の音、兵士たちの怒声。
王女誘拐――その報が伝わって、まだ一刻も経っていない。
しかも、犯人の姿は“全裸の勇者”にそっくりだという。
「だから俺じゃないって!」
俺は朝から王城で弁解していた。
だが信じてもらえたのはリオナとエルナだけ。
宰相は冷たい目を向け、周囲の貴族たちはヒソヒソと噂を交わしている。
王は沈黙を破り、静かに言った。
「勇者シゲルよ。わしは信じておる。しかし――」
その言葉の先を言わずとも分かった。
王女を救い出す。それが俺に課された使命だった。
◇
王城を出た俺たちは、夜明けの街を駆け抜けた。
朝の光が屋根瓦を照らし、遠くで鐘が鳴っている。
道には倒れた兵士が数名。
焦げ跡、焼けた木々――雷の魔法の痕跡。
エルナが屈み、指先を光らせた。
「……雷属性の魔力です。でも、歪んでる。人為的に増幅された跡があります」
倒れた兵士たちは、エルナが治療魔法を使い回復していく。
リオナが舌打ちする。
「つまり、あの偽勇者は雷魔法を使えるってことね」
「まあ……真似しやすい属性ではあるけどな」
「そうなの?」
俺たちは街道を北へ。
道中、逃げる賊の足跡を見つけ、馬を走らせた。
砂埃の向こう、峡谷の影が見える。
◇
峡谷の入り口――冷たい風が吹き抜ける。
岩の間には黒装束の賊たちの姿が見える。
その中央に縄で縛られた王女が怯えた目で座らされていた。
俺は息を潜めた。
「……あれが、偽勇者の仕業か」
「何にせよ、早く助けるわよ」
リオナが剣を抜く。
俺は一歩前に出た。
「リオナ、頼む。少し下がっててくれ」
「……あんた、まさか」
「うん、そのまさかだ」
俺は迷わず服を脱ぎ始めた。
流れる風と共に、身体に魔力が漲る。
リオナが顔を覆い、エルナは「あっ……」と言ったきり硬直する。
〈スキル モザイク〉
顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクはいつものとおり細かい。
峡谷に流れる風が一瞬、静まり返った。
「裸の男が出たぞ!」
賊の一人が叫び、弓を引く。
魔法の詠唱も聞こえてきた。
〈爆風〉
俺の魔法がいち早く突風を呼び、峡谷を駆け抜けた。
砂と岩が舞い上がり、賊たちは宙を転がる。
リオナがその隙に王女へ駆け寄り、縄を切った。
「ご無事ですか!」
「は、はい……でも、その……あの裸の方は?」
「見ないでください!」
俺は地面に手をつき、魔法を発動。
〈樹木拘束〉
大地から木の根が伸び上がり、逃げようとする賊を絡め取った。
渓谷に静寂が戻る。
風が吹き抜け、王女が小さく息をつく。
俺はその姿を確認してようやく息を吐いた。
その瞬間――背後から「ぱたん」という音が。
エルナが目を回して倒れていた。お約束の発動だ。
◇
捕縛された賊たちは十数人。
俺たちは全員を峡谷の広場に集めた。
顔と股間に墨を塗った裸の偽勇者の姿は、どこにもない。
王女は眉をひそめて囁く。
「たしかに……裸で顔と股間が黒く塗られた者が……でも、もう見当たりません」
リオナが周囲を見回し、腕を組んだ。
「ってことは、服を着て紛れ込んでるわね」
俺は一歩進み出て、捕虜たちを見渡す。
その中に、一人だけ――息を荒くしている小太りの男。
顔には焦りの色が見える。
服は土まみれだが、どこか慣れた様子でとぼけているようだ。
王女がその男を指差した。
「この者です……わたくしを攫ったのは、この者です!」
男の顔が一瞬、引きつった。
俺はゆっくりと手をかざす。
〈鑑定〉
淡い光が男の身体をなぞり、魔力の残滓が浮かび上がる。
――股間付近に、黒い墨の反応。
「ズボンを脱がせれば、はっきりするさ」
俺の一言で、場が凍りついた。
リオナが絶叫する。
「言い方ぁぁぁっ!」
王女は真っ赤になり、エルナは気絶したまま小刻みに震えている。
小太りの男は観念して叫んだ。
「ま、待ってくれ! 認める! 俺がやった! 股間の墨を落とす時間がなかったんだよ!」
俺はため息をつきながら腕を組む。
「こんな小太り野郎と俺を間違えるな!」
堂々と言い放った。……全裸で腕を組みながら。
王女の悲鳴が峡谷にこだました。
「やっぱり勇者は全裸ですわーーっ!」
リオナが頭を抱える。
「ほんとにもう、締まらないわねぇ」
そのとき、地面に倒れていたエルナが目を覚まし、状況を見てまた気絶した。
「……お約束完了、本日二回目」
思わずぼそっと呟いた俺に、リオナの肘が飛んできた。
◇
夕陽が峡谷を染めるころ、捕虜たちは兵士に引き渡された。
王女は馬車に乗り、何度も俺たちに頭を下げた。
「本当に……ありがとうございました」
リオナが笑いながら言う。
「もう少しで“全裸の誘拐犯”扱いだったけどね」
「ほんとそれな……」
風が吹いた。
峡谷を抜ける風は、どこか穏やかだった。
まるで、黒風の残響が再び癒やしの風へと戻ったように。
俺は空を見上げた。
「……服を着て平和に生きたいだけなんだけどな」
リオナが小さく笑う。
「それ、もう無理だと思う」
その言葉に、俺は苦笑した。




