第63話 王女誘拐 ― 闇に現れたもう一人の勇者
王都に着いて三日目の夜だった。
晩餐の余韻もすっかり消え、俺たちは与えられた客間で休んでいた。
広すぎる寝台、静かすぎる廊下、重すぎる沈黙。
旅の疲れを癒やすには贅沢すぎる環境だが――どうにも落ち着かない。
遠くで風が鳴った。
王城の外壁をかすめる音は、まるで誰かが囁いているようだ。
それが不気味に感じたのは、たぶん気のせいじゃない。
「……風が重いな」
寝台の上で、ぽつりと呟く。
あの“黒風”とは違うが、似た気配をわずかに含んでいる。
まるで、何かがまた蠢いているような――そんな嫌な予感。
やがて、廊下の向こうから金属のぶつかる音がした。
小さな悲鳴も混じる。
俺は上着を掴み、靴も履かずに部屋を飛び出した。
廊下を抜けた先で、リオナと鉢合わせた。
寝巻きの上から剣を提げている。
「嫌な音がした。まさか城の中で……」
「ああ、たぶん――侵入者だ」
次の瞬間、警鐘が鳴った。
硬い鐘の音が風を揺らし、兵士たちが慌ただしく走り出す。
炎の光が窓を赤く染め、風が逆巻いた。
俺とリオナは目を合わせ、無言のまま走り出した。
奥からエルナも現れ、杖を手にして息を切らす。
「聖堂の方で、異様な魔力を感じます……!」
「くそっ、よりによって王都の中心で何やってやがる!」
城内の広間はすでに戦場だった。
黒装束の集団が兵士たちを翻弄し、煙幕があたりを包んでいる。
鉄の匂いと焦げた空気が鼻を刺す。
「リオナ、左! 俺は正面を抑える!」
「了解!」
彼女の剣が閃き、二人の賊を吹き飛ばす。
エルナが杖を掲げ、詠唱を始めた。
「〈浄光陣〉」
床に光輪が浮かび、あたりの闇が霧のように溶けていく。
神聖な風が吹き抜け、兵士たちの傷がわずかに癒えた。
戦場が一瞬だけ静止する。
「いいぞエルナ! そっから下がってろ!」
「え? あ、はい!」
俺は深呼吸した。
この状況、服なんか着てたら何も守れやしない。
俺は上着を脱ぎ、ズボンを放り、全裸になった。
冷たい夜気が肌にまとわりつく。
その瞬間、体の奥底から力が噴き上がった。
〈スキル モザイク〉
顔と股間がモザイクに包まれる。股間のモザイクは細かい。
周囲の兵士たちの動きが一瞬止まった。
「な、なにをしておられるんですかシゲル殿!?」
「これが一番早いんだ、黙って見てろ!」
右手を掲げ、結界を展開する。
〈防御結界〉
衝撃波が壁のように広がり、飛び道具や魔法の破片を弾き返す。
続けざまに、左手で小規模の風を放つ。
〈風刃〉
風の刃が賊の腕をかすめ、短剣が床に落ちた。
その隙にリオナが踏み込み、一気に制圧する。
「こっちは片づいた! 王女の部屋は!?」
「まだ確認できてません!」
兵士の声に、背筋が凍る。
まさか――狙いは最初から王女か。
王女の部屋の前に着いた時、すでに扉は破られていた。
護衛の兵士が倒れ、床には焦げ跡が。
エルナが駆け寄り、祈るように光を放つ。
「〈高位治癒〉」
傷ついた兵士の息が正常に戻る。
その手を握ると、彼は震える声で言った。
「……王女殿下が……裸の男に……連れ去られ……」
「はぁ!? 裸の男!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
リオナがすぐに続けて怒鳴る。
「あんたの仕業だと思われるじゃない!」
俺は叫んだ。
「待て! いくらなんでも同業者が出るなんて聞いてねぇ!」
その頃、城の外。
屋根の上を駆ける影があった。
月明かりのない闇の中、ひとりの“全裸の男”が王女の手を引いて走っている。
体型は少し小太りで、肌の色も俺とは違う。
だが顔と股間は黒い墨で塗り潰されており、遠目には俺に見えなくもない。
「し、シゲル殿……ですの? ずいぶん……丸いような……」
「喋るな! 敵が来る!」
「で、ですが――」
「沈黙を! 守るのだ!!」
その“偽シゲル”は奇妙なポーズで跳躍し、屋根伝いに姿を消した。
取り残された護衛たちは唖然としていた。
俺たちはその直後、現場に到着した。
空っぽの部屋、開け放たれた窓、そして遠ざかる悲鳴。
「まさかとは思うけど、裸の偽物が王女を……?」
「そんなやつ、どっから湧いたんだよ!」
「知らないわよ! でも町の噂になるのは確定ね!」
頭を抱えた。
エルナは窓辺に駆け寄り、遠くの闇を見つめる。
「風が、王女さまを遠くへ運んでいきます……!」
「くそっ……リオナ! 追うぞ!」
「ちょっと待って、その前に服着なさい!」
俺は慌ててズボンを拾い上げた。
だがその瞬間、エルナが振り返った。
裸の俺を見て、頬を真っ赤に染める。
「シ、シゲルさん! な、なぜ今、脱いで――」
そして、きれいに気絶した。
リオナがため息をつく。
「毎回タイミング完璧よね、この子……」
◇
夜が明けた王城の会議室には沈黙が降りていた。
国王は蒼白な顔で椅子に腰掛け、宰相は書状を握り締めている。
「王女がさらわれた……。しかも、目撃証言では“全裸の勇者”が抱えていたと……」
「だから俺じゃねぇって!」
俺は机を叩いた。
鎧の兵士たちがざわめき、誰もが半信半疑の目で俺を見た。
リオナが一歩前に出て言う。
「シゲルはずっと別の場所で戦ってました! 見間違いです!」
「見間違いで済むのか?」
宰相は訝しげに言う。
「全裸の勇者が二人もいる国なんて、聞いたことがないぞ」
「だからそれが問題なんだよ!」
俺の叫びに、場が凍る。
エルナが目を覚まし、まだ少しぼんやりしながら小声で呟いた。
「……夢じゃ、なかったんですね……」
◇
外の空は白み始めていた。
風が窓を揺らし、夜の残り香を運んでくる。
俺は深く息を吸った。
“偽物”の正体を突き止めなければならない。
王女を助けるためにも――そして、自分の名誉のためにも。
「リオナ、エルナ。行くぞ。王女を取り戻す」
「言われなくても!」
「ま、また……脱がないでくださいね……」
俺たちは夜明けの風の中、再び走り出した。
その風は、どこか不穏で――けれど確かに、新しい嵐の匂いを運んでいた。




