第62話 王女と裸の勇者
王城の空気は、昨日よりも一段と張り詰めていた。
玉座の間に立つ俺は、どうにも落ち着かない。
視線が痛い。あの“全裸決闘”の翌日だ。
そりゃ誰だって噂の本人を見たいだろうが、もう少し穏やかな目で見てくれ。
「シゲル殿」
国王がゆっくりと立ち上がった。
白い髭を撫でながら、威厳のある声で告げる。
「そなたの力、確かにこの目で見た。ゆえに、王国特命顧問として任ずる」
特命顧問――まさか異世界で公職につくとは思わなかった。
俺は頭を下げながらも、心の中では混乱していた。
昨日の決闘なんて、バルドの魔法を弾いただけだ。
それがこんな話に発展するとは。
「帝国との国境付近が騒がしい。戦を望みはせぬが、抑止力が必要なのだ」
王の声には切実さがにじんでいた。
「そなたの力、まさに神より授かりし奇跡。王国の盾となってほしい」
……やめてくれ、その“神より授かりし”って言葉が一番むずがゆいんだよ。
あの神が聞いたらニヤニヤするのが目に浮かぶ。
玉座の脇では宰相が渋い顔をして腕を組んでいた。
「陛下、いかがなものかと。昨日のあのような……はしたない戦法を」
隣のバルドも苦々しく唇を噛む。
「裸で戦うなど、魔導師の風上にも置けません」
リオナは腕を組んで「ま、あんたらより強いけどね」と言い放つ。
エルナは「でも……服を着てても強いはずです!」と、なんとも的外れなフォローを入れた。
王の前だというのに、場の空気は完全に彼女らのペースだった。
◇
王座の間を後にすると、王宮の中庭で王女が俺たちを待っていた。
光沢のあるドレスに身を包み、金髪が陽光を受けて淡く輝く。
ひと目見ただけで、気品という言葉の意味を思い知る。
「あなたが――“平和を呼ぶ勇者”なのですね」
王女は柔らかく微笑んだ。
「国を救ってくださり、ありがとうございます」
優しく微笑まれても、俺のほうが緊張してしまう。
「い、いえ、俺はそんな……たまたま流れで」
「全裸の勇者ですけどね」
リオナの一言で、王女の頬がぱっと染まる。
「ぜ……全裸の!」
「えっと! 誤解です! あ、誤解でもないんですけど!」
エルナが慌てて弁明し、俺は地面を見つめた。もうこの空気どうにかしてくれ。
王女は動揺しつつも微笑んだ。
「その……覚悟の形は、人それぞれなのですね」
フォローが優しすぎて心に刺さる。
◇
そのころ、遥か彼方の帝国では――。
暗い石造りの会議室。
窓もなく、蝋燭の灯だけが円卓を照らしている。
数名の高官たちが顔を伏せ、声を潜めていた。
「王国に“全裸の勇者”なる者が現れたそうだ」
「馬鹿な噂だろう。勇者が全裸とは」
「だが、王都の目撃情報が確かにある。バルドとの決闘で勝利したと」
静寂ののち、最年長の参謀が口を開いた。
「陛下は姑息な手段がお嫌いだ。だが、このまま放置すれば王国は結束する。先に手を打つべきだ」
「陛下には?」
「報告はしない。独断で動く」
参謀が机に巻物を広げた。
「王女を攫えば、王国は膝をつく。内通者に指令を送れ」
燭台の火が揺れ、陰が歪む。
「“全裸の勇者”など、嘲笑と共に葬ってやろう」
その夜、黒羽の伝書鳥が闇に飛び立った。
◇
王都の昼下がり。
王女の招待で、俺たちは庭園で食事をともにしていた。
真っ白なテーブルクロス、銀の食器。
風に花の香りが混じり、噴水の音が心地いい。
……が、問題は中身だ。
皿の上の料理が芸術すぎて、どこから手をつければいいかわからない。
リオナは小声で「パンが綿みたい」と文句を言い、
エルナはフォークを落として「あっ……!」と慌てて拾っている。
王女はその様子に小さく笑った。
「賑やかで、楽しい方々なのですね」
「……すみません。緊張でガチガチなんです」
王女の笑顔は柔らかかった。
「平和な昼下がりが、いつまでも続けばいいのですが」
「そうですね。戦とか、もうこりごりです」
俺の言葉に、彼女はほんの少しだけ目を伏せた。
「でも、あなたは国を守ってくださるのですよね?」
真っすぐな瞳に見つめられると、どうにも弱い。
「守るっていうより、巻き込まれてるだけです」
「それでも、巻き込まれてくださるなら……国民は救われます」
リオナがパンをかじりながら口を挟む。
「ま、どっちでもいいけど、服は脱ぐなよ」
「わかってる!」
周囲の侍女たちが小さく吹き出し、空気が和んだ。
◇
そのころ、城壁の上――。
一人の男が双眼鏡を覗いていた。
黒い外套をまとい、口元には冷たい笑み。
「王女の護衛が“全裸の勇者”とは……まったく、滑稽だ」
懐から小瓶を取り出し、伝書鳥の脚に小さな紙を括りつける。
「計画は進行中。近日中に王女を確保する」――。
鳥は羽ばたき、群青の空へ消えた。
男は低く笑う。
「あとは、貴様が動くだけだ、“勇者”」
◇
部屋に戻った俺は、寝台に腰を下ろした。
窓の外では風が静かに流れている。
あの黒風の残響とは違う、穏やかな風。
それでも、胸の奥にざらつく予感が残っていた。
王の命、帝国の影、そして――自分の立場。
俺はただ平穏に生きたくて、旅をしてきた。
なのにいつの間にか、国の命運を背負わされている。
「……俺、また厄介なことに巻き込まれてる気がする」
隣室のリオナが壁越しに答えた。
「気のせいじゃないわね」
その声に、思わず苦笑いが漏れた。
風が、ゆるやかにカーテンを揺らす。
明日は――きっと穏やかな日にはならない。




