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第62話 王女と裸の勇者

 王城の空気は、昨日よりも一段と張り詰めていた。

 玉座の間に立つ俺は、どうにも落ち着かない。

 視線が痛い。あの“全裸決闘”の翌日だ。

 そりゃ誰だって噂の本人を見たいだろうが、もう少し穏やかな目で見てくれ。


「シゲル殿」

 国王がゆっくりと立ち上がった。

 白い髭を撫でながら、威厳のある声で告げる。


「そなたの力、確かにこの目で見た。ゆえに、王国特命顧問として任ずる」


 特命顧問――まさか異世界で公職につくとは思わなかった。

 俺は頭を下げながらも、心の中では混乱していた。

 昨日の決闘なんて、バルドの魔法を弾いただけだ。

 それがこんな話に発展するとは。


「帝国との国境付近が騒がしい。戦を望みはせぬが、抑止力が必要なのだ」

 王の声には切実さがにじんでいた。


「そなたの力、まさに神より授かりし奇跡。王国の盾となってほしい」


 ……やめてくれ、その“神より授かりし”って言葉が一番むずがゆいんだよ。

 あの(ジジイ)が聞いたらニヤニヤするのが目に浮かぶ。


 玉座の脇では宰相が渋い顔をして腕を組んでいた。

「陛下、いかがなものかと。昨日のあのような……はしたない戦法を」


 隣のバルドも苦々しく唇を噛む。

「裸で戦うなど、魔導師の風上にも置けません」


 リオナは腕を組んで「ま、あんたらより強いけどね」と言い放つ。

 エルナは「でも……服を着てても強いはずです!」と、なんとも的外れなフォローを入れた。

 王の前だというのに、場の空気は完全に彼女らのペースだった。



 王座の間を後にすると、王宮の中庭で王女が俺たちを待っていた。

 光沢のあるドレスに身を包み、金髪が陽光を受けて淡く輝く。

 ひと目見ただけで、気品という言葉の意味を思い知る。


「あなたが――“平和を呼ぶ勇者”なのですね」

 王女は柔らかく微笑んだ。


「国を救ってくださり、ありがとうございます」


 優しく微笑まれても、俺のほうが緊張してしまう。

「い、いえ、俺はそんな……たまたま流れで」


「全裸の勇者ですけどね」

 リオナの一言で、王女の頬がぱっと染まる。


「ぜ……全裸の!」


「えっと! 誤解です! あ、誤解でもないんですけど!」

 エルナが慌てて弁明し、俺は地面を見つめた。もうこの空気どうにかしてくれ。


 王女は動揺しつつも微笑んだ。


「その……覚悟の形は、人それぞれなのですね」


 フォローが優しすぎて心に刺さる。



 そのころ、遥か彼方の帝国では――。


 暗い石造りの会議室。

 窓もなく、蝋燭の灯だけが円卓を照らしている。

 数名の高官たちが顔を伏せ、声を潜めていた。


「王国に“全裸の勇者”なる者が現れたそうだ」


「馬鹿な噂だろう。勇者が全裸とは」


「だが、王都の目撃情報が確かにある。バルドとの決闘で勝利したと」


 静寂ののち、最年長の参謀が口を開いた。

「陛下は姑息な手段がお嫌いだ。だが、このまま放置すれば王国は結束する。先に手を打つべきだ」


「陛下には?」


「報告はしない。独断で動く」


 参謀が机に巻物を広げた。

「王女を攫えば、王国は膝をつく。内通者に指令を送れ」


 燭台の火が揺れ、陰が歪む。

「“全裸の勇者”など、嘲笑と共に葬ってやろう」


 その夜、黒羽の伝書鳥が闇に飛び立った。



 王都の昼下がり。

 王女の招待で、俺たちは庭園で食事をともにしていた。

 真っ白なテーブルクロス、銀の食器。

 風に花の香りが混じり、噴水の音が心地いい。


 ……が、問題は中身だ。

 皿の上の料理が芸術すぎて、どこから手をつければいいかわからない。

 リオナは小声で「パンが綿みたい」と文句を言い、

 エルナはフォークを落として「あっ……!」と慌てて拾っている。


 王女はその様子に小さく笑った。

「賑やかで、楽しい方々なのですね」


「……すみません。緊張でガチガチなんです」


 王女の笑顔は柔らかかった。

「平和な昼下がりが、いつまでも続けばいいのですが」


「そうですね。戦とか、もうこりごりです」


 俺の言葉に、彼女はほんの少しだけ目を伏せた。

「でも、あなたは国を守ってくださるのですよね?」


 真っすぐな瞳に見つめられると、どうにも弱い。

「守るっていうより、巻き込まれてるだけです」


「それでも、巻き込まれてくださるなら……国民は救われます」


 リオナがパンをかじりながら口を挟む。

「ま、どっちでもいいけど、服は脱ぐなよ」


「わかってる!」


 周囲の侍女たちが小さく吹き出し、空気が和んだ。



 そのころ、城壁の上――。

 一人の男が双眼鏡を覗いていた。

 黒い外套をまとい、口元には冷たい笑み。


「王女の護衛が“全裸の勇者”とは……まったく、滑稽だ」


 懐から小瓶を取り出し、伝書鳥の脚に小さな紙を括りつける。

 「計画は進行中。近日中に王女を確保する」――。


 鳥は羽ばたき、群青の空へ消えた。

 男は低く笑う。

「あとは、貴様が動くだけだ、“勇者”」



 部屋に戻った俺は、寝台に腰を下ろした。

 窓の外では風が静かに流れている。

 あの黒風の残響とは違う、穏やかな風。


 それでも、胸の奥にざらつく予感が残っていた。

 王の命、帝国の影、そして――自分の立場。

 俺はただ平穏に生きたくて、旅をしてきた。

 なのにいつの間にか、国の命運を背負わされている。


「……俺、また厄介なことに巻き込まれてる気がする」


 隣室のリオナが壁越しに答えた。

「気のせいじゃないわね」


 その声に、思わず苦笑いが漏れた。


 風が、ゆるやかにカーテンを揺らす。

 明日は――きっと穏やかな日にはならない。

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