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第57話 星海の大地 ― 光の彼方へ

 旅立ちから、どれほどの時が経ったのだろう。

 幾つもの風を越え、いくつもの笑いを経て――俺たちは、とうとう辿り着いた。


 視界の先に、光る大地が広がっていた。

 まるで夜空を裏返したような光景。

 地面の下に、無数の星が埋め込まれているかのように、淡い光が流れている。


 風が吹くと砂のような光の粒が舞い上がり、頬に触れるたびに温もりが伝わってくる。

 冷たくも、優しい。

 まるでこの世界そのものが、息をしているようだ。


「……ここが、“星海の大地”か」


 思わず息を呑んだ。

 隣ではリオナが目を細め、金色の髪を風に揺らしている。

「ほんとに、海みたい。空が地面に落ちたみたいだね」


「わぁ……星が足元にあるみたいです……!」

 エルナが胸の前で両手を組み、涙をこぼしそうなほど見入っている。



 俺たちはそのまま、丘の上で野営することにした。

 夕焼けが星海を染め、まるで溶けた金属が流れているような光景が広がる。

 焚き火の炎が風に揺れ、星の光と混じり合って一つの輪を作っていた。


「ここに来てから……風の音が変わった気がします」

 エルナの言葉に耳を澄ますと、たしかに聞こえる。


 風は唸らず、歌っている。静かな旋律のような音。

「黒風の残響が、完全に癒えたんだな」


「うん。やっと世界が、息をしてる感じ」

 リオナが肩の力を抜いた。


「やっと……やっと落ち着いた気がする。あんたと旅してると、トラブルばっかりだったけど」


「おい、それ言うか?」


「でも――」


 焚き火の光に照らされ、リオナは微笑んだ。

「なんか、悪くなかったよ」


 俺はその言葉に返す言葉が見つからず、ただ空を見上げた。

 無数の星々が、静かに瞬いている。



 そのとき、ふいに夜空から声が降りてきた。


『――見事だ、シゲル』


 穏やかで、どこか懐かしい声。

 神だった。


『お前はこの世界の風の循環を修復した。黒風の歪みは癒え、世界は再び息を吹き返した』


(ジジイ)……見てたのか」


『当然だ。……お前の裸も、勇気もな』


「やめろ! そういう言い方やめろ!」


 リオナが呆れたようにため息をついた。

「相変わらずだね、天界のジジイ」


『聞こえておるぞ、娘よ。だがもう我の出番はない。世界は、お前たちの風で動いていく』


 声が少しずつ遠ざかっていく。


 エルナが静かに祈るように言った。

「……神様、本当にありがとう。わたしたち、人として前に進みます」


『それでよい。お前たちはもう、“観測の枠”を越えた』


 風が吹き、声は完全に消えた。


「……ようやく静かになったな」


「やっとね。あの神様、気まぐれだから」


「でも、見守ってくれていたんですね」

 エルナの頬を照らす星の光が、涙のように煌めいていた。



 夜が明けて東の空が金色に染まり、星海が輝きを増していく。

 まるで、空と大地の境界がなくなっていくようだった。


 風が三人の間を通り抜ける。

 俺はゆっくりと息を吸い込み、言葉を探した。

「……不思議だな。ここに来て、やっと分かった気がする」


「何が?」とリオナ。


「生きてるってことが、こんなに静かで温かいなんてさ」


 エルナは微笑んで頷いた。

「私は、祈ることの意味を学びました。誰かに許しを求めることじゃなく、ただ“今を受け入れる”ことなんですね」


 リオナは剣を地面に突き立て、空を見上げる。

「私は、自分の強さを信じるようになった。あんたと旅して、色々ムチャもしたけど――守りたい人がいるって、悪くないね」


 俺は二人の横顔を見て、ふっと笑った。

「……俺も、少しは強くなれたかな」


「強くなったというより、脱ぐのが早くなったわね」


「褒め言葉として受け取るよ」


「やめてください、そういう話の締め方!」

 エルナが慌てて頬を染める。


 三人の笑い声が風に溶けた。

 遠くで、光が波のように揺らめいている。



 歩き始めると、星の海を踏みしめるたびに足元から柔らかな光が広がっていく。

 世界の果てにあるはずのこの地が、こんなにも温かいとは思わなかった。


 リオナが前を向いたまま言う。

「ねぇ、次はどこ行こうか」


「温泉のあるところで頼む」


「……真面目に答えなさい」


「俺は真剣だっての」


 エルナは笑いながら、光る風を掬い上げた。

「この風は、きっと次の場所へ導いてくれますよ」


 俺たちは顔を見合わせ、同時に頷いた。


 風が吹く。

 光が流れる。

 黒風はもうどこにもない。

 ただ、生きる者たちの呼吸だけが、この世界を満たしていた。


 ――星海の大地にて。

 風の旅人たちは、再び歩き出す。

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