第57話 星海の大地 ― 光の彼方へ
旅立ちから、どれほどの時が経ったのだろう。
幾つもの風を越え、いくつもの笑いを経て――俺たちは、とうとう辿り着いた。
視界の先に、光る大地が広がっていた。
まるで夜空を裏返したような光景。
地面の下に、無数の星が埋め込まれているかのように、淡い光が流れている。
風が吹くと砂のような光の粒が舞い上がり、頬に触れるたびに温もりが伝わってくる。
冷たくも、優しい。
まるでこの世界そのものが、息をしているようだ。
「……ここが、“星海の大地”か」
思わず息を呑んだ。
隣ではリオナが目を細め、金色の髪を風に揺らしている。
「ほんとに、海みたい。空が地面に落ちたみたいだね」
「わぁ……星が足元にあるみたいです……!」
エルナが胸の前で両手を組み、涙をこぼしそうなほど見入っている。
◇
俺たちはそのまま、丘の上で野営することにした。
夕焼けが星海を染め、まるで溶けた金属が流れているような光景が広がる。
焚き火の炎が風に揺れ、星の光と混じり合って一つの輪を作っていた。
「ここに来てから……風の音が変わった気がします」
エルナの言葉に耳を澄ますと、たしかに聞こえる。
風は唸らず、歌っている。静かな旋律のような音。
「黒風の残響が、完全に癒えたんだな」
「うん。やっと世界が、息をしてる感じ」
リオナが肩の力を抜いた。
「やっと……やっと落ち着いた気がする。あんたと旅してると、トラブルばっかりだったけど」
「おい、それ言うか?」
「でも――」
焚き火の光に照らされ、リオナは微笑んだ。
「なんか、悪くなかったよ」
俺はその言葉に返す言葉が見つからず、ただ空を見上げた。
無数の星々が、静かに瞬いている。
◇
そのとき、ふいに夜空から声が降りてきた。
『――見事だ、シゲル』
穏やかで、どこか懐かしい声。
神だった。
『お前はこの世界の風の循環を修復した。黒風の歪みは癒え、世界は再び息を吹き返した』
「神……見てたのか」
『当然だ。……お前の裸も、勇気もな』
「やめろ! そういう言い方やめろ!」
リオナが呆れたようにため息をついた。
「相変わらずだね、天界のジジイ」
『聞こえておるぞ、娘よ。だがもう我の出番はない。世界は、お前たちの風で動いていく』
声が少しずつ遠ざかっていく。
エルナが静かに祈るように言った。
「……神様、本当にありがとう。わたしたち、人として前に進みます」
『それでよい。お前たちはもう、“観測の枠”を越えた』
風が吹き、声は完全に消えた。
「……ようやく静かになったな」
「やっとね。あの神様、気まぐれだから」
「でも、見守ってくれていたんですね」
エルナの頬を照らす星の光が、涙のように煌めいていた。
◇
夜が明けて東の空が金色に染まり、星海が輝きを増していく。
まるで、空と大地の境界がなくなっていくようだった。
風が三人の間を通り抜ける。
俺はゆっくりと息を吸い込み、言葉を探した。
「……不思議だな。ここに来て、やっと分かった気がする」
「何が?」とリオナ。
「生きてるってことが、こんなに静かで温かいなんてさ」
エルナは微笑んで頷いた。
「私は、祈ることの意味を学びました。誰かに許しを求めることじゃなく、ただ“今を受け入れる”ことなんですね」
リオナは剣を地面に突き立て、空を見上げる。
「私は、自分の強さを信じるようになった。あんたと旅して、色々ムチャもしたけど――守りたい人がいるって、悪くないね」
俺は二人の横顔を見て、ふっと笑った。
「……俺も、少しは強くなれたかな」
「強くなったというより、脱ぐのが早くなったわね」
「褒め言葉として受け取るよ」
「やめてください、そういう話の締め方!」
エルナが慌てて頬を染める。
三人の笑い声が風に溶けた。
遠くで、光が波のように揺らめいている。
◇
歩き始めると、星の海を踏みしめるたびに足元から柔らかな光が広がっていく。
世界の果てにあるはずのこの地が、こんなにも温かいとは思わなかった。
リオナが前を向いたまま言う。
「ねぇ、次はどこ行こうか」
「温泉のあるところで頼む」
「……真面目に答えなさい」
「俺は真剣だっての」
エルナは笑いながら、光る風を掬い上げた。
「この風は、きっと次の場所へ導いてくれますよ」
俺たちは顔を見合わせ、同時に頷いた。
風が吹く。
光が流れる。
黒風はもうどこにもない。
ただ、生きる者たちの呼吸だけが、この世界を満たしていた。
――星海の大地にて。
風の旅人たちは、再び歩き出す。




