第56話 再生の風 ― 教団、光へ
朝の光が山を包んでいた。
昨日まで薄暗く重かった空が、まるで新しい一日を祝福するかのように澄んでいる。
風がやわらかく吹き、修道院の鐘が静かに鳴った。
俺たちは山上の神殿前に立っていた。
祭壇の前では信者たちが散らばった瓦礫を片付け、壊れた風鈴を拾い集めている。
リオナは腰に手を当ててため息をついた。
「一晩でよくここまで片付いたもんね。あの混乱が嘘みたい」
「みんな真面目だな。……俺のせいで壁一枚分、余計に壊したけど」
「そこは記憶に留めないでおくわ」
リオナが軽く笑うと、風が髪を揺らした。
その光景は、昨日までの荒れた祈りの場とはまるで違う。
◇
ほどなくして、老神官がゆっくりと現れた。
灰色だった表情に血色が戻り、目の奥には穏やかな光が宿っている。
「お三方……昨日は、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げるその姿に、周囲の信者たちも静まり返る。
神官は祭壇の前に立ち、両手を組んだ。
「風は、罰ではなく赦しでした。私たちはそれを誤っていたのです」
その声は、これまでの叫びではなく祈りに近かった。
彼は新しい布を掲げる。
白地に青い糸で『癒やしの風』と刺繍された旗が陽光を受け、やさしく揺れた。
「今日より我らルミエラ教団は、争いを捨て、人を癒やす風を祈る集いといたします」
沈黙のあと、拍手が広がった。
戸惑いながらも、信者たちは笑顔を見せて互いに肩を叩き合う。
エルナがそっと目を細めた。
「……ようやく、本当の祈りに戻れたんですね」
神官は深く頷いた。
「あなた方が運んだ風が、我々の心を洗ってくれたのです」
◇
そのとき、若い信者が一歩前に出てきた。
目を輝かせ、少し緊張した声で言う。
「勇者さま……あの、もしやあなたが“脱衣の神”と……!」
「いや違う! 誰がそんな神だ!」
場がどっと湧いた。
リオナが慌てて手を振る。
「この人の“祈りの形”がちょっと特殊なだけで!」
「な、なるほど……真の解放……!」
「違うってば!」
エルナは苦笑しながら肩をすくめる。
「でも、皆さん笑っていますよ」
見渡せば、険しかった信者たちの顔が柔らかくほころんでいる。
笑いとともに、風が穏やかに流れた。
◇
神殿の修復が一段落した頃、俺たちは境内の風鈴の音を聞いていた。
白い旗がはためき、遠くで子供たちの笑い声がする。
エルナは祭壇に立ち、静かに祈りの言葉を唱えた。
その声に合わせ、風が柔らかく頬を撫でた。
「……いい風ね」リオナが言う。
「ああ。もう“黒風”なんかじゃない。ちゃんと息してる風だ」
老神官がそっと近づき、手を差し出した。
「あなた方のような人に出会えたこと、それ自体が神の導きでした」
「いや、導いたのは風のほうですよ」
エルナが穏やかに微笑む。
◇
山道を下る途中、鳥の声とともに風が背中を押した。
リオナが歩きながら振り返る。
「これでようやく、星海の大地に行けるわね」
「今度こそ、温泉と魚料理だけにしてくれ」
「どうせ途中でまた脱ぐくせに」
「……否定できないのがつらい」
エルナがくすくす笑う。
「でも、今日の風は優しいですね」
俺は空を見上げた。
雲ひとつない青空に、白い旗のような風が流れていた。
風はもう、誰も傷つけない。
ただ、旅立つ者の背を押してくれるだけだ。
――こうして、風の教団は新たな祈りを始めた。
そして俺たちは、次の空の下へ向かう。




