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第56話 再生の風 ― 教団、光へ

 朝の光が山を包んでいた。

 昨日まで薄暗く重かった空が、まるで新しい一日を祝福するかのように澄んでいる。

 風がやわらかく吹き、修道院の鐘が静かに鳴った。


 俺たちは山上の神殿前に立っていた。

 祭壇の前では信者たちが散らばった瓦礫を片付け、壊れた風鈴を拾い集めている。

 リオナは腰に手を当ててため息をついた。

「一晩でよくここまで片付いたもんね。あの混乱が嘘みたい」


「みんな真面目だな。……俺のせいで壁一枚分、余計に壊したけど」


「そこは記憶に留めないでおくわ」


 リオナが軽く笑うと、風が髪を揺らした。

 その光景は、昨日までの荒れた祈りの場とはまるで違う。



 ほどなくして、老神官がゆっくりと現れた。

 灰色だった表情に血色が戻り、目の奥には穏やかな光が宿っている。


「お三方……昨日は、本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げるその姿に、周囲の信者たちも静まり返る。


 神官は祭壇の前に立ち、両手を組んだ。

「風は、罰ではなく赦しでした。私たちはそれを誤っていたのです」


 その声は、これまでの叫びではなく祈りに近かった。


 彼は新しい布を掲げる。

 白地に青い糸で『癒やしの風』と刺繍された旗が陽光を受け、やさしく揺れた。


「今日より我らルミエラ教団は、争いを捨て、人を癒やす風を祈る集いといたします」


 沈黙のあと、拍手が広がった。

 戸惑いながらも、信者たちは笑顔を見せて互いに肩を叩き合う。


 エルナがそっと目を細めた。

「……ようやく、本当の祈りに戻れたんですね」


 神官は深く頷いた。

「あなた方が運んだ風が、我々の心を洗ってくれたのです」



 そのとき、若い信者が一歩前に出てきた。

 目を輝かせ、少し緊張した声で言う。

「勇者さま……あの、もしやあなたが“脱衣の神”と……!」


「いや違う! 誰がそんな神だ!」

 場がどっと湧いた。


 リオナが慌てて手を振る。

「この人の“祈りの形”がちょっと特殊なだけで!」


「な、なるほど……真の解放……!」


「違うってば!」


 エルナは苦笑しながら肩をすくめる。

「でも、皆さん笑っていますよ」


 見渡せば、険しかった信者たちの顔が柔らかくほころんでいる。

 笑いとともに、風が穏やかに流れた。



 神殿の修復が一段落した頃、俺たちは境内の風鈴の音を聞いていた。

 白い旗がはためき、遠くで子供たちの笑い声がする。

 エルナは祭壇に立ち、静かに祈りの言葉を唱えた。

 その声に合わせ、風が柔らかく頬を撫でた。


「……いい風ね」リオナが言う。


「ああ。もう“黒風”なんかじゃない。ちゃんと息してる風だ」


 老神官がそっと近づき、手を差し出した。

「あなた方のような人に出会えたこと、それ自体が神の導きでした」


「いや、導いたのは風のほうですよ」

 エルナが穏やかに微笑む。



 山道を下る途中、鳥の声とともに風が背中を押した。

 リオナが歩きながら振り返る。

「これでようやく、星海の大地に行けるわね」


「今度こそ、温泉と魚料理だけにしてくれ」


「どうせ途中でまた脱ぐくせに」


「……否定できないのがつらい」


 エルナがくすくす笑う。

「でも、今日の風は優しいですね」


 俺は空を見上げた。

 雲ひとつない青空に、白い旗のような風が流れていた。


 風はもう、誰も傷つけない。

 ただ、旅立つ者の背を押してくれるだけだ。


 ――こうして、風の教団は新たな祈りを始めた。

 そして俺たちは、次の空の下へ向かう。

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