第55話 迷える祈りと教団の影
岩肌の山道を登ると、冷たい風が頬を撫でた。
見上げれば、灰色の雲の切れ間から陽光が差し込み、斜面の上に白い尖塔が見えた。
「……なんだ、あれ」
「教会っぽいけど……こんな山奥に?」
リオナが眩しそうに目を細める。
エルナは胸の前で両手を合わせ、少し息を呑んだ。
「ルミエラ教団……本山です。星を祀る風の神殿があると聞いていました」
俺は苦い顔をした。
“ルミエラ教団”という名を聞くのは何度目だろう。
星を飲み込む装置を暴走させ、街を吹き飛ばしかけた、あの面倒な連中。
「また厄介なのに近づくなって顔してるわよ」
「当たりだ。温泉と魚の旅のはずが、山登りに宗教って、どんな試練だよ」
それでも三人は足を進める。
風が笛のように鳴り、どこか懐かしい祈りの声が聞こえてきた。
◇
本山の門前には、数十人の信者が集まり、白布の旗を掲げて祈っていた。
その中心に立つのは、初老の神官。
灰色のローブをまとい、両手を天に伸ばしている。
「風よ、我らに語れ! 神の声を取り戻すのだ!」
信者たちは一斉に両手を掲げたが、その瞳には不安の色が浮かんでいた。
俺たちの姿に気づくと、若い信者の一人が駆け寄ってきた。
「旅の方々ですか? ……神はもうすぐお戻りになります!」
「いや、神が来るとは思えないんだが」
リオナが眉をひそめ、俺は肩をすくめる。
エルナは穏やかに問う。
「神官さまは……まだあの事件のことを?」
信者は悲しげに頷く。
「試練だと。神は我らを見捨てていないと……」
リオナが小さくため息をついた。
「試練って便利な言葉よね。だいたいロクな結果にならない」
「確かにな」
◇
神殿の内部は、風の通り道のように広く、吹き抜けの天井から光が降り注いでいた。
中央の祭壇には青い風鈴が並び、その奥で神官が一人、祈りの言葉を唱えていた。
「風よ……神の声を、もう一度……!」
空気が震えた。
風鈴が一斉に鳴り、光が揺らめく。
エルナが表情を強張らせた。
「まずいです、残響を呼び起こそうとしてる……!」
「また風かよ!」
俺は即座にリオナとエルナを庇い、上着を脱ぎ捨てる。
ズボンも放り投げ、靴を蹴り飛ばす。
風と共に魔力が体に満ちる。
〈スキル モザイク〉
顔と股間がモザイクで覆われる。股間のモザイクは細かい。
「ちょ、ちょっと待って!? ここ、聖堂よ!?」
「神前で一番神聖な姿ってことにしとけ!」
俺が魔力を解放したその瞬間――
エルナが目を見開いた。
「し、シゲルさん……!? な、なぜ脱――きゃあぁぁぁ!?」
顔を真っ赤にして数歩後ずさり、壁にぶつかった勢いでそのまま崩れ落ちた。
「エルナ!?」
「また倒れたわよ!」
リオナが半ば呆れながら叫ぶ。
「聖堂で気絶って、ある意味神聖じゃねぇか……」
「ふざけてないで集中して!」
俺は掌を床に押し当てる。
〈静流陣〉
魔法が展開し、祭壇を包む風の流れが静まり始めた。
しかし神官は叫ぶ。
「神は我らに罰を与えてなどいない! これこそ祝福だ!」
風が逆巻き、青い風鈴が弾けた。
リオナが剣を抜き、一閃。
「いい加減にしなさいよ!」
柱に絡みついていた風の結界が裂ける。
靄が悲鳴のように舞い上がり、そして静寂が戻った。
◇
気を失っていたエルナが、ゆっくりと目を開けた。
「う……あれ? 私、また……?」
「うん、見事に落ちた」
「し、仕方ないじゃないですか……いきなり脱ぐから!」
「いや、あれは戦闘用の正装で……」
「正装なもんか!」
リオナのツッコミが炸裂。
神官はその場に膝をつき、深く頭を垂れた。
「私は……救いを求めるふりをして、逃げていただけだったのか……」
俺は上着を拾いながら肩を回す。
「逃げてもいいさ。ただ、人を巻き込むのは勘弁な」
リオナが呆れ顔で腕を組む。
「言ってることは立派なのに、格好が台無し」
「聞き流してくれ」
エルナは神官のそばに膝をつき、微笑んだ。
「風はあなたを赦しました。これからは、人を癒やす風にしてください」
神官は静かに頷いた。
外では柔らかな風が吹き、白い旗が穏やかに揺れていた。
◇
三人で腰を下ろし休憩中、リオナが笑いをこらえながら言った。
「ねぇ、あんたさ。黒風を止めて、教団も止めて……もう“脱衣の神”って呼ばれてもおかしくないわよ」
「やめろ。そんな信仰広まったら世も末だ」
エルナは困り顔で笑った。
「でも、確かに皆さん救われてますね……」
「褒め言葉のつもりか?」
「ええ、もちろん」
俺はため息をつきながら、遠くに広がる星空を見上げた。
「……風の旅も、ようやく終わりが見えてきたな」




