第51話 風の果て、うたかたの都
空気がやわらかくなった。
春の終わり、旅の風は初夏の匂いを運んでくる。
リオナが大きく伸びをして、空を仰いだ。
「ふぁ〜……温泉より風呂が恋しくなってきたわね」
「どっちも湯だろ」
「でも旅先の風呂って、やっぱり贅沢なのよ」
その隣で、エルナが頬に触れた風を感じながら言った。
「この風、なんだか優しいですね。まるで誰かが見守っているみたい」
「見守ってるかは知らんが、吹きすぎなきゃ助かる」
丘の向こうに、俺は白い石造りの遺跡群を見つけた。
砂に半ば埋もれた巨大な風車が、陽光を反射して輝いている。
「――あれが“風の都アルフェリア”。黒風が初めて封じられた場所だって話だ」
リオナが眉を上げる。
「そんな所、普通の観光地みたいに言う?」
「温泉の次は遺跡見物だ。悪くないだろ」
◇
到着した風の都は、静まり返っていた。
石畳の道の両脇に、倒れた風車と崩れかけた塔。
それでも、青空に向かって立ち並ぶ姿はどこか神聖だった。
広場では学者や吟遊詩人が資料を広げていた。
旅の記録者らしい男が俺たちに話しかける。
「長いこと、ここには風が吹かなかったんですよ」
黒風を封じた時、同時に“風そのもの”も止まったらしい。
リオナが腰に手を当てる。
「風の都って名前が泣くわね」
その横で、エルナが小さく呟いた。
「でも……この場所、生きています。静かに息をしてるみたい」
俺は目を細めた。
「……ああ、確かに。世界が寝息を立ててる感じだ」
そのときだった。
風車の根元から淡い光の粒がふわりと舞い上がる。
銀と青が混ざった靄――黒風の残響だ。
人々がざわめき、風がゆっくりと流れを変える。
暴れるでもなく、ただ歌うように。
古い風車がギィ……と音を立てて回り始めた。
「こりゃまた派手な目覚めね」
リオナが風に髪をなびかせる。
「いや、これは暴走じゃない」
俺は胸の奥に微かに伝わる鼓動を感じながら言った。
「……“再生”だ」
エルナは両手を組んで祈るように目を閉じる。
「神聖な風……世界が癒されていく……」
しかし、風はだんだん強くなり始めた。
砂が巻き上がり、研究者たちの紙束が飛んでいく。
「やば、暴走の前兆だ」
俺は思わず腰のベルトに手をかける。
「待って、あんたまさか――」
「非常事態だ、通報は後で頼む!」
上着を脱ぎ、ズボンを蹴り飛ばし、俺は全裸になった。
身体を風が包む。魔力が奔流のように流れ込む。
〈スキル モザイク〉
顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは細かい。
俺は地に手をつき、魔力を制御する。
流れを鎮め、調和を導く。
〈静流陣〉
周囲の風が一瞬止み、やがて穏やかに風が流れ出す。
銀青の靄が風車を包み、まるで世界そのものが息を吹き返すようだ。
背後で、またいつもの悲鳴。
「ひゃあああっ!? し、シゲルさん、また全裸で……!」
エルナは顔を真っ赤にして、案の定そのまま気絶した。
「毎回律儀だな……」
「裸の風神、爆誕ね」
リオナが肩をすくめる。
「誰が神だ!」
◇
風の都アルフェリアは、再び息を吹き返した。
止まっていた風車がすべて回り出し、光が街を満たしていく。
研究者たちは歓声を上げ、子供たちは笑いながら走り回った。
空には薄い虹がかかっている。
俺は服を拾いながら、静かに笑った。
「……これで、また一つ世界が動いたな」
「ええ。でもあんたのせいで伝説が増えたわよ」
「“裸の風神”か、“全裸の加護者”か……いや、どっちも嫌だ」
リオナは呆れながらも、どこか誇らしげに笑っていた。
エルナは気絶したまま小さく寝息を立てている。
俺は風の中でつぶやく。
「次は……星海の大地、だったな」
穏やかな風が頬をなでた。
まるで、“行け”と言っているかのように。




