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第50話 風の声を奪う者

 風が消えていた。


 渓谷の入口に立つと、鼓膜が変になるような静けさに包まれた。

 空は晴れているのに、木の葉一枚すら揺れない。

 鳥の声も虫の音もない。ただ、息をする音だけがやけに響く。


「なんか、空気が止まってる感じね」

 リオナが腕を組んであたりを見渡す。

 その金髪ポニーテールも、まったく揺れなかった。


「風鈴も、動いてません……」

 エルナが指差した先で、軒下の風鈴がぴたりと静止している。

「風がいない世界って、こんなに寂しいんですね……」


「……またアイツらか?」

 俺がそう言うと、リオナはすぐに眉をひそめた。

「ルミエラ教団。前の村で“風を壺に詰める”とかやってた連中ね」


「今度は“風の停止実験”かもしれないな」


「そんなの実験じゃなくて嫌がらせでしょ」


 どうやら俺たちの旅は、また風関係のトラブルに巻き込まれたらしい。



 谷の奥へ進むと、白い布をまとった人たちが岩場に並んでいた。

 見覚えのある壺を抱え、全員で同じ方向に向かって祈っている。


「沈め、沈め、風の声よ……」


「神の沈黙に、我らを導きたまえ……」


 低く響く声が、風の代わりに渓谷を満たしていた。

 音そのものが吸い込まれるように薄れていく。

 足音を立てても響かない。リオナが口を開いても、声が出ない。

「……っ!」


 エルナが慌てて胸に手を当てる。

「音が、消されています! このままじゃ呼吸まで――」


 俺は即座に上着を脱いだ。

 リオナが振り向いて、声にならないツッコミをする。

 それでも表情で“脱ぐな”と伝わってきた。

 だが、もう手遅れだ。


 ズボンを脱ぎ、靴を蹴り飛ばす。

 全裸の身体に魔力が満ち、静けさの中で肌が熱を帯びる。


〈スキル モザイク〉

 顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは細かい。


 渓谷の空気が微かに震え、そこだけ“音”が戻った。


 教団員たちは全員、俺の方を振り向いた。


「見よ! 沈黙の中に現れし光の象徴……!」


「これこそ、神の御業!」


 ――違う! モザイクだ!!


 俺が必死でジェスチャーしても、誰も理解してくれない。

 リオナが頭を抱えたまま無言で口を動かす。

「ややこしくしてるのはあんた」


 そのとき、風を閉じ込めた壺が大きく震えた。

 蓋が勝手に開き、淡い銀と青の靄が溢れ出した。

 光の粒が舞い、世界が一瞬だけ無音の輝きに包まれる。


 渓谷全体の音が、まるで吸い取られるように消えていった。

 俺は焦って魔法を発動する。


静流陣(サイレントフロー)


 だが、魔法が発動した瞬間、背後から金属音が鳴った。


 カァン


 リオナがどこからか鐘を拾って振り鳴らしたのだ。


 その一撃が、沈黙を切り裂いた。

 風が吹き、音が戻り、草がざわめく。

 教団員たちは「試練が終わった!」と叫び、涙ぐんでいる。


 俺の魔法は、ほぼ発動しなかった。

 モザイクのまま、俺は棒立ちになっていた。


「……終わったの?」

 リオナが鐘を抱えながら振り返る。


「フタ閉めるより簡単だったわ」


「俺の……魔法……」


「間に合わなかったわね」

 リオナが肩をすくめた。


 そのとき、後ろから小さな悲鳴が上がる。


「シ、シゲルさん!? な、なんで全裸――」

 エルナはそのまま気を失った。お約束すぎて泣けてくる。


 俺は溜め息をつき、服を拾い上げた。

「……脱ぐだけで話が進むってどういう運命だよ」


 教団員たちは壺を抱えて列を作り、満足そうに去っていった。


「これも神の加護」


「沈黙の試練は終わった」

 などと言いながら。


 渓谷には再び、風が戻った。

 さっきまで止まっていた木の葉が揺れ、岩肌を撫でる音がする。

 風の粒が光を受けてきらめいた。


 エルナが目を覚まし、まだ頬を赤くしてつぶやく。

「でも、あの人たち……悪気はないんですよね」


「迷惑だけどね」

 リオナがぼそっと言う。


 俺は空を見上げた。

 風が吹き抜け、どこか遠くで風鈴が鳴った。


「風も、人も、閉じ込めたら生きられないんだな」


 リオナが笑って言う。

「風は自由に。人も自由に。……服は脱がない」


「そのまとめ方、もう慣れてきてないか?」


 風がふわりと吹き抜け、

 笑い声が谷に響いた。

 そして俺たちは、次の風の村を目指して歩き出した。

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