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第5話 初の仕事だ、パンを届けろ

 朝の陽が街の石畳を照らしていた。

 ギルドの扉を開くと、中はすでに人であふれている。

 冒険者たちが掲示板の前で依頼書を奪い合い、怒号と笑いが飛び交っていた。


「討伐はA級が優先だろ!」


「薬草採取? そんなの子供の仕事だろ!」


 ……F級の俺には、眩しすぎる光景だ。


 人を助けるってのは大事だけど、初仕事くらいは平和にやりたい。

 命はなにより大事――そう、安全第一だ。


 俺は人混みを避け、掲示板の端を眺めた。

 並ぶ依頼の中に一枚だけ、やけに地味な依頼があった。


【パン屋〈クルミ亭〉の配達手伝い】

 依頼内容:北区への配達

 報酬:銅貨十枚

 条件:荷物を落とさないこと


 ……これだ。

 魔物も罠もなし、ただパンを運ぶだけ。完璧。


「これ受けます!」

 受付に駆け込むと、カウンターではあのゆるふわ銀髪受付嬢、セリナが欠伸を噛み殺していた。


「パンの配達ですかぁ〜? これ、人気ないんですよねぇ。重くて」


「重いくらい平気です!」


「前にも転んでパン潰した人いましたけど……」


「縁起でもないこと言わないでください!」


 ……嫌なフラグが立った。

 でもいい。初仕事だ。

 どんな任務もこなしてみせる――たとえそれがパンでも。



 パン屋〈クルミ亭〉は、朝から香ばしい匂いで包まれていた。

 木のカウンターには、焼きたての丸パンやバターロールが山積み。

 店主は太っちょで陽気なおじさん、そして看板娘のミナが笑顔で迎えてくれた。


「ギルドの方? 配達お願いね!」


「はい、任せてください」


「北区の伯爵邸に届けてね。特注の“ふわふわ金パン”だから落としちゃダメよ?」


「了解です」


 ミナは籠を差し出しながらにっこり。

「焼きたてでまだ温かいから、袋の中は蒸気注意ね」


「了解……(蒸気!?)」


 店主が笑って言う。

「街道沿いを歩けばすぐだ。急がなくていい、丁寧に運べ」


「任せてください。パン一つたりとも潰しません!」


 こうして俺の初仕事、パン配達が始まった。


 昼下がりの街は穏やかだった。

 パン籠を抱え、石畳を軽く踏みしめながら歩く。

 焼きたての香りが風に乗って鼻をくすぐる。


「いい天気だな。よし、このまま平和に……」


 その瞬間。

 通りの隅で、小さなリスのような魔物がピョンと跳ねた。

 尻尾がふわふわで、先端がピンク色。

 おそらく――〈スウィートテール〉。

 甘い匂いに誘われて現れる、パン泥棒の常習犯だ。


「おい、来るな……来るなよ!?」


 俺の警告むなしく、リスは見事な跳躍で籠にダイブ。

 パンをくわえて逃走!


「コラー! それは貴族の夕食だ!」


 走るリス。

 走る俺。

 周囲の人々が何事かと振り返る。


「うわぁぁぁ!? パンが飛ぶ! 俺の信用も飛ぶーっ!」


 狭い路地に入った瞬間、俺は決断した。


「……仕方ない」


 服を脱ぎ捨て、全裸になる。

 身体を魔力が包み、血が熱を帯びる。


〈スキル モザイク〉

 顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは細かめだ。


 リスに向かって掌をかざす。


 パンのためだ……風よ止まれぇっ!

風壁(ウィンドウォール)


 風による透明な壁が展開され、逃げるリスの進路をふさぐ。

 パンがふわりと宙に浮き、俺の腕の中に戻ってきた。


「……よっしゃ!」


 喜んだのも束の間。

 路地の角から、小さな子どもが顔を出した。


「ママ! キラキラした人がいる!」

「見ちゃいけません!」


 ……俺は、全力で服を拾いながらその場を離れた。


 貴族邸に着いた頃には、夕暮れだった。

 執事が落ち着いた声で出迎える。


「おや、少し汗をかかれましたな」


「……いろいろありまして」


「パンは?」


「無事、焼きたてのままです」


 執事は微笑んだ。


「素晴らしい。情熱を感じます」


「いや、情熱というか……羞恥というか……」


 俺は苦笑しながら籠を渡した。



 ギルドに戻ると、セリナがニコニコ顔で迎えてくれた。


「おかえりなさ〜い。パン、大好評でしたよ〜」


「それは何より」


「そういえば街で噂になってました。“風の勇者”がパン泥棒を退治したって!」


「いや、それはたぶん別の……」


「“全裸で風を操る男”って、面白いですよねぇ〜」


「――おい待て、情報が混ざってるぞ!?」


 周囲の冒険者たちがクスクス笑う中、

 俺は報酬の銅貨十枚を握りしめ、ため息をついた。


 ……パン一つ届けるのに、命と尊厳をかけるとは。

 異世界、恐るべし。


 その夜。

 宿の天井から、いつもの声が降ってきた。


『ふぉっふぉっ、パンと風とはよく似合うのう』


「パン屋の親父も同じこと言ってたぞ!」


『勇気と羞恥、どちらも焼き立てだったわい』


「……それ、どういう意味だよ(ジジイ)


『おぬしの人生、なかなか香ばしいのう』


「もう黙れぇぇぇ!!」

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