第5話 初の仕事だ、パンを届けろ
朝の陽が街の石畳を照らしていた。
ギルドの扉を開くと、中はすでに人であふれている。
冒険者たちが掲示板の前で依頼書を奪い合い、怒号と笑いが飛び交っていた。
「討伐はA級が優先だろ!」
「薬草採取? そんなの子供の仕事だろ!」
……F級の俺には、眩しすぎる光景だ。
人を助けるってのは大事だけど、初仕事くらいは平和にやりたい。
命はなにより大事――そう、安全第一だ。
俺は人混みを避け、掲示板の端を眺めた。
並ぶ依頼の中に一枚だけ、やけに地味な依頼があった。
【パン屋〈クルミ亭〉の配達手伝い】
依頼内容:北区への配達
報酬:銅貨十枚
条件:荷物を落とさないこと
……これだ。
魔物も罠もなし、ただパンを運ぶだけ。完璧。
「これ受けます!」
受付に駆け込むと、カウンターではあのゆるふわ銀髪受付嬢、セリナが欠伸を噛み殺していた。
「パンの配達ですかぁ〜? これ、人気ないんですよねぇ。重くて」
「重いくらい平気です!」
「前にも転んでパン潰した人いましたけど……」
「縁起でもないこと言わないでください!」
……嫌なフラグが立った。
でもいい。初仕事だ。
どんな任務もこなしてみせる――たとえそれがパンでも。
◇
パン屋〈クルミ亭〉は、朝から香ばしい匂いで包まれていた。
木のカウンターには、焼きたての丸パンやバターロールが山積み。
店主は太っちょで陽気なおじさん、そして看板娘のミナが笑顔で迎えてくれた。
「ギルドの方? 配達お願いね!」
「はい、任せてください」
「北区の伯爵邸に届けてね。特注の“ふわふわ金パン”だから落としちゃダメよ?」
「了解です」
ミナは籠を差し出しながらにっこり。
「焼きたてでまだ温かいから、袋の中は蒸気注意ね」
「了解……(蒸気!?)」
店主が笑って言う。
「街道沿いを歩けばすぐだ。急がなくていい、丁寧に運べ」
「任せてください。パン一つたりとも潰しません!」
こうして俺の初仕事、パン配達が始まった。
昼下がりの街は穏やかだった。
パン籠を抱え、石畳を軽く踏みしめながら歩く。
焼きたての香りが風に乗って鼻をくすぐる。
「いい天気だな。よし、このまま平和に……」
その瞬間。
通りの隅で、小さなリスのような魔物がピョンと跳ねた。
尻尾がふわふわで、先端がピンク色。
おそらく――〈スウィートテール〉。
甘い匂いに誘われて現れる、パン泥棒の常習犯だ。
「おい、来るな……来るなよ!?」
俺の警告むなしく、リスは見事な跳躍で籠にダイブ。
パンをくわえて逃走!
「コラー! それは貴族の夕食だ!」
走るリス。
走る俺。
周囲の人々が何事かと振り返る。
「うわぁぁぁ!? パンが飛ぶ! 俺の信用も飛ぶーっ!」
狭い路地に入った瞬間、俺は決断した。
「……仕方ない」
服を脱ぎ捨て、全裸になる。
身体を魔力が包み、血が熱を帯びる。
〈スキル モザイク〉
顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは細かめだ。
リスに向かって掌をかざす。
パンのためだ……風よ止まれぇっ!
〈風壁〉
風による透明な壁が展開され、逃げるリスの進路をふさぐ。
パンがふわりと宙に浮き、俺の腕の中に戻ってきた。
「……よっしゃ!」
喜んだのも束の間。
路地の角から、小さな子どもが顔を出した。
「ママ! キラキラした人がいる!」
「見ちゃいけません!」
……俺は、全力で服を拾いながらその場を離れた。
貴族邸に着いた頃には、夕暮れだった。
執事が落ち着いた声で出迎える。
「おや、少し汗をかかれましたな」
「……いろいろありまして」
「パンは?」
「無事、焼きたてのままです」
執事は微笑んだ。
「素晴らしい。情熱を感じます」
「いや、情熱というか……羞恥というか……」
俺は苦笑しながら籠を渡した。
◇
ギルドに戻ると、セリナがニコニコ顔で迎えてくれた。
「おかえりなさ〜い。パン、大好評でしたよ〜」
「それは何より」
「そういえば街で噂になってました。“風の勇者”がパン泥棒を退治したって!」
「いや、それはたぶん別の……」
「“全裸で風を操る男”って、面白いですよねぇ〜」
「――おい待て、情報が混ざってるぞ!?」
周囲の冒険者たちがクスクス笑う中、
俺は報酬の銅貨十枚を握りしめ、ため息をついた。
……パン一つ届けるのに、命と尊厳をかけるとは。
異世界、恐るべし。
その夜。
宿の天井から、いつもの声が降ってきた。
『ふぉっふぉっ、パンと風とはよく似合うのう』
「パン屋の親父も同じこと言ってたぞ!」
『勇気と羞恥、どちらも焼き立てだったわい』
「……それ、どういう意味だよ神」
『おぬしの人生、なかなか香ばしいのう』
「もう黙れぇぇぇ!!」




