第48話 風の残響と歩む者たち
春の終わりを告げる風が丘を渡っていた。
空は高く、澄みきっている。木々の若葉が揺れ、道端の花がゆっくりと風に首を振った。
リオナが鼻歌まじりに歩きながら言う。
「今回は、まだ脱いでないわね」
「フラグ立てんな」
「でも、また温泉に行けたらいいですね」
エルナは笑いながら言う。
「……温泉なら堂々と脱げるしな」
「そういう意味じゃないっての!」
笑い声が風に溶け、穏やかな旅路が続いた。
◇
数日が経ち、俺たちは広い谷に面した宿場町へとたどり着いた。
道の両側に木造の建物が並び、人々は活気にあふれている。
露店の呼び声、荷馬車の音、焼きたてのパンの匂い――。
久しぶりに文明に触れた気がして、俺はほっと息を吐いた。
「やっぱり街の空気はいいな」
「腹の虫も元気に鳴いてるわね」
「リオナ、それ俺の腹な」
リオナが笑い、エルナがくすくすと微笑む。
町の広場に入ると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
風鈴のような音が響き、空気の中に銀色の粒子が漂っている。
人々が立ち止まり、手を伸ばす。だが、誰も恐れてはいなかった。
むしろ――心を鎮めるような、穏やかな光景。
「……これ、黒風の残響?」
エルナがそっと手を伸ばし、光の粒を掌に受けた。
淡く青白い光が指の間で揺れ、消える。
「感じます。これは――癒しの力です」
黒風とは違う。
この風は怒りも憎しみもなく、ただ静かに流れている。
まるで、何かを“修復”しているように。
「世界が……自分で傷を癒してるのかもな」
「世界が?」
リオナが首を傾げる。
「ああ。黒風が壊したものを、風が治してるんだ。……人の心も、かもな」
俺が言うと、エルナが優しく頷いた。
◇
その夜、宿場町は祭りのような賑わいを見せていた。
風鈴の音が鳴り響き、灯籠が夜空を彩る。
宿の主人は「風の祝福の日だ」と笑って酒を振る舞ってくれた。
「うまっ!」
リオナがジョッキを掲げる。
「シゲルも飲みなさいよ!」
「俺は水でいい。いつ何があるか分からん」
エルナもジョッキを掲げている。
「す、すみません、なんかこう……楽しそうで」
「たまには羽目外してもいいよ」
リオナが笑いながら、彼女の肩を軽く叩いた。
夜風が心地いい。
その風の中に、かすかに光の粒が混じっていた。
ふと、遠くの空に淡い光の帯――流星のようなものが見えた。
「なんだ、あれ」
「風が……光ってる?」
エルナが呟く。
その光はやがて地平の向こうへ消え、風鈴のような音だけを残した。
◇
翌朝、広場に立つと、風の残響はもう消えていた。
だが町の空気はどこか柔らかく、人々の顔も明るかった。
宿の主人が言う。
「昨夜の風を“光の風”と呼ぶんですよ。心が癒える、不思議な風だって昔から言われててね」
「癒える……か」
俺は空を見上げた。
確かに、空の青さが昨日より少し澄んで見えた。
◇
その日、町を出る前にもう一度広場を通ると、
子どもたちが風車を手に走り回っていた。
「見て! また風が来た!」
ひゅう、と音が鳴り、風車が回る。
銀と青の粒子がきらめき、まるで空の中で笑っているようだった。
「……黒風の残響は、きっとこの世界の“息”なんだ」
「息?」
リオナが聞き返す。
「生きてるってことだよ。世界そのものが呼吸してる」
エルナが微笑む。
「優しい呼吸ですね。……神の祝福に似ています」
「神が関わってるなら、もう少し穏やかにしてほしいけどな」
俺がぼやくと、リオナが吹き出した。
◇
丘を越える風は今日も心地よい。
この世界がまだ息づいている――その確かな証を感じながら、俺たちは再び歩き出した。
次に待つのは、どんな出会いだろうか。
背後で風鈴の音が鳴る。
それはまるで、旅人たちへの“ありがとう”のように響いていた。




