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第47話 湯けむりの谷と幻の温泉卵

 旅を始めて数日、俺たちは“霧の谷”と呼ばれる場所にたどり着いた。

 白い湯けむりが地表から立ちのぼり、朝の光に溶けている。

 空気はぬるく、ほんのりと硫黄の匂いがした。


「見て! 絶対温泉よ!」

 リオナが鼻をくんくんさせながら叫んだ。


 横でエルナが微笑みながら呟く。

「本当に、空気が柔らかいですね。世界が息をしているみたいです」


 谷の入り口には小さな村があった。

 湯けむりのせいで視界がぼんやりしているが、人々は穏やかな顔で洗濯や作業をしている。

 俺たちは宿の婆さんに話を聞くことにした。


「白竜の湯はな、かつてはこの谷の命だったよ」

 婆さんは湯気の向こうで遠くを見るような目をした。


「けど今じゃ近づけやしない。熱風が荒れてね、石も木も溶かしてしまうんだよ。竜が怒ってるんだろうって皆が言うのさ」


「……竜が怒る温泉か。そりゃ熱そうだな」


「でも、その湯で茹でると“幻の温泉卵”ができるらしいです」

 エルナが目を輝かせて言う。


「味が、神々しいんですって!」


「神々しい……またジジイが絡んでそうで嫌な響きだな」


 リオナは手を腰に当て、すでにやる気満々だった。

「行くわよ、白竜の湯! あんた、魔法で湯加減調整して!」


「俺、温泉職人じゃねぇんだけど……」


 それでも俺たちは谷の奥へ向かった。



 谷の中心部にある洞窟の前で、風が唸っていた。

 砂混じりの熱風が頬を刺し、髪を逆立てる。

 岩肌が赤く染まり、まるで生き物のように鼓動している。


「……地脈が暴走してるな」

 俺は足元に手を当て、魔力の流れを感じ取った。


 かつて黒風が荒れた土地では、世界そのものがまだ安定していない。

 風は浄化されても、熱と魔力の残響が残る――そんな気がした。


「このままじゃ村まで影響しますね」

 エルナが心配そうに洞窟を見つめる。


 リオナは剣の柄に手を置いて言った。

「行くわよ。こういうのは早めに対処しないと後が面倒よ」


 俺たちは洞窟に入った。



 中は灼熱の地獄だった。

 足元の岩がじわりと熱を持ち、壁から熱い蒸気が立ち上る。

 音もなく、しかし何かが蠢くような気配。


 次の瞬間、風が爆ぜた。

 轟音とともに熱風が吹き荒れ、岩が崩れ落ちる。


「リオナ、エルナ! 伏せろ!」


 俺は反射的に手をかざした。だが風は止まらない。

 熱と魔力の暴走――これはもう、自然現象の域を超えている。


「くそっ……仕方ないな!」

 俺は上着を脱ぎ、ズボンを放り投げた。

 熱風の中で全裸になり、全身の魔力を解き放つ。


〈スキル モザイク〉

 顔と股間がモザイクに覆われる。いつも通り股間のモザイクは細かめだ。


「きゃーっ! な、なんで脱いでるんですかーっ!?」

 エルナが真っ赤になって叫び、そのままお約束のように気絶した。


「もう恒例行事ね……!」

 リオナが剣を構えたまま呆れ顔をする。


 俺は両手を広げ、風の流れを読み取る。


静流陣(サイレントフロー)


 光の波紋が走り、暴れる熱流がゆっくりと鎮まっていく。

 風の流れ、空気のうねり、熱の脈動――すべてを一つに整える。

 しかし奥から再び強い圧力が押し寄せた。


「やっぱり抑えきれねぇか……なら――」

 俺は押し寄せる圧に掌をかざす。


水壁(ウォーターウォール)


 水の壁が立ち上がり、熱風を包み込む。

 蒸気がぶわっと弾け、洞窟全体が白く染まった。

 やがて、熱が和らぎ、耳を打つような静寂が訪れる。



 霧のような蒸気が晴れると、洞窟の中央に大きな卵のような石が見えた。

 その表面はひび割れ、内部から淡い光が漏れている。


「……あれが、“白竜の卵石”か」

 俺が呟くと、リオナが息をのんだ。

「伝説の源ってやつね」


 光はやがて優しい蒸気へと変わり、洞窟を満たしていく。

 外へ出ると、谷の空気がすっかり変わっていた。

 風は穏やかで、空気は澄みきっている。


 村人たちが駆けつけ、「湯が戻った!」と歓声を上げた。

 地面から湧き出す湯が、次々と川へ流れ込み、小川が復活していく。

 子どもたちが笑い、老人が手を合わせて泣いていた。


「……すごい。まるで、世界が癒えていくみたい」

 エルナが目を細めて呟いた。


「温泉卵もまた作れるかもな」


「味見担当は私ね!」とリオナ。


「いや、焦げ卵にならないようにしろよ」



 夕陽を見ながら、俺たちは再生した温泉で疲れを癒やしていた。

 湯の表面には光が浮かび、夜空の星を映している。


「旅の目的、やっと達成ね」


「……服を着たまま入れる温泉って最高だな」


「成長したわね、シゲル」

 リオナが笑う。


「きっと竜も喜んでますよ」

 エルナが静かに言った。


 そのとき――湯の底から声が響いた。


『湯に入る前に大騒ぎとは、お前も成長せんな』


「……(ジジイ)! お前見てたのか!」


『お前が湯気で隠れてる間だけな』


「覗き見すんな!」


 リオナとエルナが大笑いする中、俺は湯をばしゃっと叩いた。

 その音が、まるで湯けむりの谷全体に響き渡るように広がっていった。


 湯の音。風の音。笑い声。

 すべてがひとつに溶け合い、世界が少しだけ優しくなった気がした。

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