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第44話 風下の村と笑わぬ少女

 風が、止まっていた。

 旅の途中、俺たちは小さな村の入り口に立ち、思わず足を止めた。

 季節は春のはずなのに、空気が乾いて冷たい。

 木々の葉は動かず、洗濯物は棒のように垂れ下がっている。

 畑の麦も、まるで時間を忘れたように揺れもしない。


「……なんか、空気が重いわね」

 リオナが腰に手をやり、周囲を警戒する。

 その隣でエルナが胸に手を当て、静かに目を閉じた。


「これは……黒風の残響です。けれど、黒風のような怒りや敵意は感じません。

 悲しみに近い……祈りのような波です」


「祈り?」

 リオナの眉がぴくりと動く。

 俺は空を見上げた。薄曇りの空は灰色で、風の気配すらなかった。


「風が止まってる。まるで、この村だけ時間が止まったみたいだ」



 村に入ると、さらに奇妙な光景が広がっていた。

 人々は口を閉ざし淡々と仕事をしている。

 だが、その目は焦点が合ってない。

 まるで遠い夢の中にいるように、どの顔もぼんやりしている。


 広場の真ん中には壊れかけた風車があった。

 その羽は片方だけ折れ止まったまま。

 地面には枯れた花が散っていた。


 俺は呟いた。

「……誰も笑ってねぇな」


 その言葉に、エルナが寂しげに頷いた。

「風が“笑い”を忘れてしまったんです」


 村の外れで、一人の少女を見つけた。

 年の頃は十歳ほど。

 ボロボロのマントに包まれ、抱えているのは小さな木製の風車。

 羽根が欠け、手で回そうとしても動かない。


「どうしたんだ?」

 俺がしゃがみ込み、目線を合わせる。


「……お母さん、風といっしょに行っちゃったの」


 その声は、か細く震えていた。

 彼女の背後では、家が一軒、黒ずんだまま崩れかけている。

 黒風の被害だ――そう直感した。


 エルナがそっと少女の肩に手を置いた。

「泣いていいのよ。悲しみを我慢するほうが、もっと苦しいから」


 少女は涙をこぼさず、ただ風車を握りしめた。

「……風は笑ってたのに」


 その言葉が胸の奥に刺さる。

 風が笑っていた――あの世界を、俺も思い出した。


 その瞬間、空が淡く揺らめいた。

 白でも黒でもない。銀と青の光を帯びた靄が村の上空に現れる。

 光の粒が漂い、風鈴のような音が響いた。


「黒風……?」

 リオナが剣に手をかける。


「いや、違う」

 俺は首を振った。


 それは柔らかく、美しい。怒りではなく、まるで誰かの記憶が風になって漂っているようだった。


 エルナが小さく呟く。

「これは……癒やしの前触れです。黒風が消えたあとに残った、“世界の涙”みたいなもの」 


「でも、このままじゃ村の心が飲まれる」

 俺は息を整え、上着を脱ぎ始めた。


「ちょっ……! また!?」

 リオナの声が裏返る。


「仕方ねぇだろ、服を着てたら魔法使えねぇんだ」


 ズボンを脱ぎ、靴を脱ぎ、全裸になる。

 風がないのに肌がひやりとするが、魔力の流れで身体の芯は熱い。


 俺の全裸を見て、エルナの顔が真っ赤になった。

「ひゃっ……は、裸!? な、なぜ毎回脱ぐんですか!?」


 そのまま真っ白になって気絶。


「はい、お約束入りましたー」

 リオナが頭を抱える。


「……あれはもう芸の域だな」

 俺は小さく笑った。


〈スキル モザイク〉

 顔と股間がモザイクに覆われる。股間のモザイクは細かい。


 掌に魔力が集まる。


 流れよ鎮まれ、力よ巡れ。

静流陣(サイレントフロー)


 光が陣を描き、村全体に広がる。

 風が動いた。

 止まっていた洗濯物が揺れ、風車がひとりでに回り出す。

 空を漂う銀の靄が柔らかく波打ち、ひとつ、またひとつと空へ昇っていった。


 その光景の中で、少女が風車を掲げる。

 欠けた羽根が光に包まれ、ふっと回った。

 頬を撫でた風が彼女の涙を乾かす。


 初めて――彼女は笑った。



 朝日が照らす村には活気が戻っていた。

 広場では焼きたてのパンの香りが漂い、鍛冶屋の槌音が響く。

 子供たちは走り回り、犬が吠え、風車が楽しげに回る。


 その中央に少女が立っている。

 握った風車が、緩やかな風を受け回っている。


「風が笑った」

 回る風車を見て少女も笑う。


 人々も笑う。

 回る風車とともに、笑い声が重なっていく。

 泣いていた子供が笑い、大人が頬を拭う。


 エルナが目を覚まし、まだ少しふらふらしながら呟く。

「風が……笑っていますね」


 リオナがにやりと笑う。

「つまり、あんたの脱ぎ芸がまた世界を救ったってわけね」


「……救い方のジャンル分け、間違ってると思うんだが」

 俺は頭を掻いた。


「でもまぁ……人が笑えるなら、それでいいか」



 村を見下ろす丘で、俺は振り返った。

 風が頬を撫で、光の粒が空に溶けていく。


「黒風の残響……。あれは“世界が癒えていく音”なのかもしれないな」


 背後でリオナの声がした。

「次はどこへ行く?」


「西の方にな、温泉饅頭があるらしい」


「……やっぱり食い物目当てか」


 エルナが笑い、リオナが呆れ、俺は肩をすくめる。

 その笑い声が風に乗り、遠くまで届いていった。


 ――まるで、風そのものが笑っているようだった。

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