第42話 笑う道化と風の残響
朝靄の残る草原で、焚き火の煙がゆらゆらと立ちのぼっていた。
焼ける魚の匂いが鼻をくすぐり、腹が鳴る。
「……で、なんでまた脱いでるの?」
向かいに座ったリオナが、パンをかじりながら眉をひそめた。
「服を着たままじゃ火加減が鈍る」
「鈍ってるのはあんたの頭でしょ」
俺は真顔で魚をひっくり返す。
「魔法制御の修行だ。火球の微調整は繊細なんだよ」
「朝から修行とか……食欲なくなるわ」
その横で、エルナが両手で顔を覆っている。
「ま、また脱いでる……朝から……なぜ……」
「だから修行だって!」
「もう、旅の修行というより“羞恥の行”よね」
リオナのツッコミが飛び交うなか、魚の皮がパリッと弾けた。
香ばしい香りが広がり、「よし、完璧」と満足げに頷いた瞬間――。
遠くの丘の方から、甲高い笑い声が響いた。
それは“笑い声”のはずなのに、どこか寒気を伴っていた。
「……あれ、笑ってるよな?」
「笑ってるようで、笑ってない感じがするわね」
「なんか嫌な風が流れてる」
エルナの表情が曇る。
俺は焼けた魚を串ごとくわえたまま立ち上がった。
「行ってみるか。朝飯代わりの一仕事だ」
「だからそういうフラグ立てるなっての!」
俺たちが辿り着いたのは、谷あいにある小さな村だった。
木造の家々が並び、広場の中央では人々が――笑っていた。
ただし、異様なほどに。
涙を流しながら、苦しそうに止まらない笑い。
誰かが膝をつき笑いながら倒れる。
空気が重く乾いた風が吹いている。
「なんだこれ……」
「黒風の……残響?」
リオナの声にエルナが小さく頷く。
「ええ、でも以前のような悪意は感じません。ただ、歪んでいる……」
広場の中央には、ピエロの格好をした男が立っていた。
鈴のついた帽子を揺らし、甲高い声で叫んでいる。
「はははっ! 笑え! 笑えぇぇっ!」
その声に呼応するように、周囲の人々が再び狂ったように笑い出した。
「……止めないと」
エルナが一歩踏み出すが、俺は手で制した。
「待て、風が流れてる。空気が……淀んでる」
周囲の草木がざわめき、まるで笑っているように揺れた。
木陰に隠れ、俺は静かに服を脱いだ。
旅装束を畳み、草の上に置く。
空気が一変する。身体の奥から魔力があふれた。
〈スキル モザイク〉
顔と股間をモザイクが覆う。今日も股間のモザイクは細かい。
「し、シゲルさん!? な、なにして――」
後ろからの声。振り返るとエルナが目を見開き、顔を真っ赤にしていた。
「きゃああああああ!? また脱いでるぅぅぅ!?」
叫んだ次の瞬間、エルナはそのまま気絶。
リオナがため息をつく。
「……はいはい、今回もお約束ね」
「すまん、慣れてくれとは言えない」
俺は深く息を吸い、集中力を高めた。
流れよ鎮まれ、力よ巡れ。
〈静流陣〉
足元から光の波紋が広がり、村全体を包み込む。
暴走する風がゆるやかに沈み、空気が透き通っていく。
黒い靄が道化の体から抜け、霧のように散った。
男が膝をつき、苦しげに息を吐く。
「……お、俺は……なにを……して……」
エルナはその頃、まだ地面でぴくりとも動かない。
リオナが肩をすくめる。
「ま、平和ね」
「いや、全然平和じゃねぇけどな……」
◇
日が落ちた村では、人々が集まり焚き火を囲んでいた。
みんなで互いに「笑いすぎて腹が痛い」と冗談を言い合っている。
空気が軽く、やっと生きた笑いが戻った。
エルナが目を覚まし、ぼんやりと辺りを見回す。
「……あれ? 戦いは?」
「終わった。あなたが寝てる間にね」
リオナが淡々と言う。
「わ、私また……」
「ええ、見事な気絶芸だったわよ」
エルナが耳まで真っ赤になり、俯いた。
「……お約束、ですか?」
「そう、それ」
俺が頷くと、リオナが笑った。
「旅の恒例行事だもの。次は何回目になるかしらね」
エルナは呆れたようにため息をつき、そっと微笑んだ。
「もう、仕方ないですね……」
◇
翌朝、霧が晴れた村に柔らかな陽光が差し込む。
子どもたちが広場を走り回り、大人たちは笑顔で見守っていた。
その中央に――昨日の道化が立っていた。
ボロボロの衣装のまま、それでも胸を張って声を上げる。
「さあ、皆さま! 本日の演目、“泣いたカラスも笑い出す!”でございます!」
ぱらぱらと笑い声が広がる。
鈴が鳴るたびに、今度は本当の笑いが弾けた。
子どもたちが輪を作って跳ね、村人たちは泣きながら笑っている。
「……ほんとうに、笑いを取り戻したんですね」
エルナが小さく呟く。
リオナが腕を組み、にやりと笑った。
「いいじゃない。これでまともな芸人よ」
俺は少し離れた場所でその光景を見つめ、ふっと息を吐いた。
「……笑いってのは、誰かに見せるためじゃなく、自分が生きてる証拠なのかもな」
「だからあんたも変なとこで脱ぐのやめなさいよ」
「真剣勝負だっつの!」
エルナがくすっと笑い、
道化の鈴の音がまたひとつ響いた。
その音は風に乗り、遠くまで届いていく。
まるで、黒風に奪われた人々の“心”まで救うように――。




