第40話 風の残響と光る谷
朝の光が丘の端を照らしていた。焚き火の跡から、かすかに煙が上がっている。
俺は全裸でしゃがみ込み、肉を串に刺して焼いていた。
「よし、火加減は完璧だな」
指先から小さな〈火球〉を出して、炎の温度を微調整する。
やっぱり服を着てると上手くいかない。
魔力を使用できないんだ。
「……あんた、また脱いでるのね」
振り返ると、寝ぼけ眼のリオナが腕を組んで立っていた。
朝日を背負ってるせいか、余計に呆れ顔が際立つ。
「いや、服着てると焼き加減が狂うんだよ。繊細な作業なんだぞ」
「そんな繊細いらないわよ!」
リオナの声に続いて、後ろから小さな悲鳴が聞こえた。
エルナが目を開けたのだ。
「きゃぁぁぁ!? な、なぜ脱いでるんですかぁ!?」
言った直後、定番のようにその場で倒れた。
「朝のルーティンだ」
「そんな日課いりません!」
リオナが額を押さえてため息をつき、エルナは顔を真っ赤にして気絶している。
……いつもの光景だな。
旅ってのは、慣れるほどに楽しくなる。
◇
丘を越えて西へ歩くと、昼前には小さな村――グレン谷が見えてきた。
不思議な場所だった。
谷全体が、青白い光をまとっている。
空気の粒が淡く光ってるように見えた。
「わぁ……幻想的ですね」
目を輝かせるエルナ。
「けど、ちょっと眩しすぎない?」
リオナが囁やく。
俺は頷きながら、光の揺らめく方向を見た。
村人に話を聞くと、夜になるともっと光が強くなるらしい。
最近は眠れないほど眩しくて困ってるそうだ。
村の広場には古い石碑があり、『風の記憶を忘れるな』と刻まれていた。
「……魔力の流れを感じるな。世界の“呼吸”みたいなもんか」
「鑑定すれば分かるでしょ?」
リオナが軽く言う。
「いや、服着てると無理だ」
「もうその言い訳、何度聞いたことか……」
俺が肩を竦めると、リオナが笑い、エルナは手を合わせて祈っていた。
風が頬を撫で、どこか懐かしい音を運んでくる。
けど、その風の奥に微かな“違和感”があった。
◇
夜になると谷が淡く輝き始めた。
最初は穏やかだった光が、やがて風を巻き起こす。
草がうねり、空気が震えた。
嫌な予感がした。
「これ……ただの自然現象じゃありません!」
エルナが目を見開く。
「黒風の残りか?」
「違います。もっと……優しい。でも、悲しいです」
確かに、魔力の流れは怒りでも怨念でもない。
泣いているような、そんな響きだった。
風と光が一瞬、人の形を描く――
だけど、それは攻撃してこない。ただ静かに消えていった。
「……あれは、世界が癒えようとしてるんだな」
俺が呟くと、リオナが不安そうに辺りを見回した。
「でも、この風……建物がもたないわ!」
風が渦を巻き、屋根が軋んだ。畑の土が舞い上がる。
光が暴れ始めていた。
「祈りでも、これじゃ災害だな。やるか」
俺は服を脱ぎ捨て、地面を踏みしめた。
魔力が一気に身体に満ちる。
空気がざわめき、風が俺を中心に旋回した。
〈スキル モザイク〉
顔と股間がモザイクで覆われた。股間のモザイクは細かい。
周囲が息を呑む気配がした。
村人が見てるのは分かってる。
けど、今は関係ない。
「風よ、迷うな。光よ、乱れるな。――すべての流れを、一つに返せ」
〈聖風浄陣〉
足元から光の陣が広がる。
柔らかな風が渦を描き、暴走していた光を包み込んだ。
屋根の瓦が揺れを止め、木々が静まり返る。
谷を包む青白い輝きが、やがて穏やかな光の粒へと変わっていった。
「……止まった、の?」
リオナの声が震える。
「浄化完了。たぶんこれで安定した」
俺は息を整え、ゆっくりと空を見上げた。
雲の切れ間から夜の星が覗いている。
風が優しく頬を撫でていった。
まるで――「ありがとう」と言っているみたいだった。
◇
翌朝、谷を見下ろす丘で腰を下ろした。
村は静かで、風の音が心地いい。
昨日の嵐が嘘みたいに、穏やかな空気が広がっていた。
「……世界が癒えていくってのは、悪くねぇ眺めだな」
そう呟いた俺の横で、リオナが腕を組んだ。
「でも、そのたびに脱ぐのはどうかと思う」
「選べるなら俺だって服着てたいよ」
「……説得力ゼロね」
そこで、エルナがようやく目を覚ました。
「わたし、また……気を失って……?」
「ああ。安定の即落ちだった」
「うぅ……次こそは……!」
俺とリオナは顔を見合わせ、同時に言った。
「無理だな」
風が吹き抜け、三人の笑い声が混じる。
谷の空は澄みきっていて、世界は少しだけ優しかった。
「さて……次はどこ行く?」
「温泉があるって商人が言ってたでしょ」
リオナが立ち上がる。
「温泉か……堂々と脱げる場所って最高だな」
「開き直るな!」
「わ、わたしも温泉……入りたいです!」
笑いながら俺たちは丘を下った。
風が背を押す。
その風はもう恐ろしい“黒風”なんかじゃなく、
世界が新しく息を吹き返す音に聞こえた。




