第4話 ギルド登録と受付嬢
パンの焼ける香りで目が覚めた。
胃袋が鳴る。異世界に来ても、腹は正直らしい。
「おはようございます!」
宿の娘エマが明るい声で笑う。
栗色の髪をひとつに結び、白いエプロン姿がよく似合っていた。
「おはよう、エマさん」
「今日はどこか行くんですか?」
「身分証を作ろうと思って。冒険者ギルドってやつに」
「いいですね! この街では一番人が多いところですよ」
パンとスープを食べながら、異世界初の“社会デビュー”に少し緊張する。
身分証があれば、とりあえず「ただの不審者」からは卒業できる。
◇
外は爽やかな風が流れる。
通りを歩くと、石畳の上に屋台が並び、果物や布を売る声が飛び交っていた。
街の中心に立派な建物がそびえている。
木製の看板には金文字で「冒険者ギルド・リーベル支部」。
「……おお、ちゃんとした造りだ」
中に入ると、広いホールが喧騒で満ちていた。
鎧姿の冒険者たちが依頼書を眺め、受付では職員が次々と応対している。
ざっと見回すと、真面目そうな人もいれば、酒臭いのもいる。
異世界にも、役所の窓口みたいな空気はあるんだなと思った。
「次の方〜」
声に振り向くと、受付のカウンターにいたのは――
銀髪ショートで、制服の袖がやや長い若い女性。
目が半分閉じていて、眠そうに話していた。
「……登録ですか〜?」
「はい、一応……えっと、初めてです」
「はい〜……お名前をどうぞ〜」
彼女は書類をめくりながら、こちらを見ずに羽ペンを走らせる。
筆圧がやたらと弱い。
この人……本当に仕事中か?
「名前はシゲルです」
「しげる……っと。出身は?」
「遠い田舎の村です」
「ふ〜ん。職業は?」
少し迷って、俺は彼女に「剣士(仮)」と云った。
「“剣士(仮)”……仮、ですか?」
「まぁ、いろいろありまして」
「ふむふむ……まぁいっか」
なんだろう、この人の“ゆるさ”。
隣のカウンターでは、別の職員が冒険者に書類の不備を叱っているのに、
この人だけ、まるで別の空気に生きている。
「はい〜、じゃあ最後に魔力量を測りますね〜」
セリナと名乗った彼女が、机の下から透明な水晶を取り出した。
丸くて手のひらほどの大きさ。
あ、これは……。
門の前での嫌な記憶がフラッシュバックする。
真っ赤に光る石、鳴り響く警報、慌てふためく衛兵たち。
あの再来だけは勘弁してほしい。
「手をかざしてくださ〜い」
「は、はい」
恐る恐る手を乗せた瞬間、水晶の内部がきらりと光った。
光は一瞬で赤く染まり――
ギルド中がざわめいた。
「おい、見ろよ! 赤だぞ!」
「赤って……上位魔術師級じゃねぇか!?」
「新人だよな!?」
俺はあわてて手を引っ込める。
「ちょ、ちょっと待って!? 俺、何もしてないから!」
セリナはのんびり首をかしげた。
「ん〜……ああ、これ、昨日掃除してないんですよねぇ」
「掃除!?」
「埃がたまると、たま〜に誤作動するんですよ〜。この水晶、繊細なんで」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ〜。でも大丈夫、爆発はしませんよ〜。……たぶん」
たぶん、って言ったな今。
周囲が息を呑む中、セリナは淡々と記録用紙にメモを書いた。
「よし、登録完了〜。おめでとうございます、F級剣士(仮)さん」
「いや、いまの明らかに異常だったでしょ!?」
「だいじょ〜ぶです。最初はみんな光りますから〜」
「赤く!?」
「ええ。個性ってやつです〜」
適当すぎて、逆に信じたくなる。
まるでこの世界の「常識」を塗り替える力でもあるのか、この人。
登録を終え、ギルドカードを受け取った。
手のひらに乗る金属製の板には、こう刻まれていた。
【F級剣士(仮) 登録番号000712】
「“仮”が、残ってる……」
俺がつぶやくと、セリナが微笑んだ。
「はい〜、仮が取れると昇級です〜。がんばってくださいね〜」
「なにかが違う気がする……」
ギルドを出る直前、背後で彼女の声が聞こえた。
「次の方〜! 爆発しても慌てずに〜!」
この街の人々は、だいぶ肝が据わってるらしい。
◇
白風亭の部屋でベッドに横になると、また声が響いた。
『また光らせおったな、シゲルよ』
「お前が原因だろうが!」
『おぬし、ほんに派手好きじゃ』
「好きでやってねぇ!」
『ふぉっふぉっ。まぁ、登録できたなら上出来じゃ。あの娘、面白いのう』
「セリナのことか? ……たしかに、異世界一マイペースだ」
『安心というのは、案外そういう緩さの中にあるものじゃぞ』
「説教臭いぞ神」
『神じゃからのう』
いつもの調子で笑う声が消え、静けさが戻る。
窓の外では、街の灯りが点々と瞬いていた。
「……俺も、少しずつ慣れてきたかもな」
そう呟いて目を閉じると、
眠りの向こうで、あの水晶の赤い光がぼんやりと浮かんだ。




