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第39話 旅立ちと三人の決意

 パンの焼ける匂いで目が覚めた。

 腹が鳴る。どうやら胃袋だけは平和を取り戻したらしい。


 黒風との戦いから数週間。

 街の瓦礫は片付き、人々の顔にも少しずつ笑みが戻ってきていた。

 俺の住む屋根裏もようやく落ち着きを取り戻した――いや、少なくとも“いつもの騒がしい朝”が戻ってきたと言うべきか。


 今日も俺は全裸で〈火球(ファイアボール)〉を浮かべ、魚を焼いていた。

 服を着てると魔法が使えないんだから仕方ない。

 俺にとってこれは、生活の知恵であり、日常であり、そして――羞恥の儀式でもある。


「シゲル、あんたまた脱いでるでしょ!」


 階段を上がってきたリオナの怒声。

 パンッと火球がはじけ、焼きかけの魚が空中を飛んだ。


「危ねっ!」

 慌ててキャッチ。手のひらがジリっと熱い。


「朝っぱらから全裸で火遊びとか、どういう修行よ!」


「修行じゃねぇ。朝食だ」


「どっちにしろおかしいから!」


 そこへ、エルナが上がってきた。

「おはようございま――きゃあああっ!? な、なぜ脱いでるんですかぁ!?」


 彼女は目を白黒させ、そのままふらりと倒れた。


「また倒れた……」

 リオナが額を押さえる。


「俺だって好きで脱いでるわけじゃねぇ……」


 脱衣生活にも慣れたとはいえ、朝からこのテンションは疲れる。

 焼き魚は無事だったが、気力は削られた。


 ――それでも、不思議と空気は穏やかだった。

 あの黒風との戦いが嘘のように、街は静かだ。



 昼前に俺たちはギルドへ向かった。

 復興支援の中心としてギルドは賑やかだった。

 セリナが書類を抱えて駆け回り、マリアが職員に指示を飛ばしている。


「おはようございます、シゲルさん。リオナさん、エルナさん」


「おはよう。なんか忙しそうだな」


 俺が声をかけると、マリアが手を止めて笑った。


「ええ。でも良い報せもありますよ。西方の街から、物資が届く予定です」


「西方?」

 リオナが首をかしげる。


「ええ、“星海の大地”という場所です。地熱が強く、温泉が湧いていて……魚料理が絶品だそうです」


 その言葉に、リオナの目がギラリと光った。

「温泉!? 行くしかないじゃない!」


「いや、ちょっと待て」


 俺が制止する間もなく、彼女はマリアの腕をつかんだ。

「どんな温泉? どれくらいの規模? 混浴!?」


「混浴とは聞いてませんが……」

 マリアが苦笑する。


 横でエルナが頬を染めていた。

「温泉……癒しと浄化の儀式にも通じます。素敵です!」


「おいおい、エルナまで!?」


 セリナが横からひょいと顔を出す。

「街の修復が終わるまで、ギルドの依頼受付は一時停止ですよ。今のうちに旅でもどうです?」


「おい、セリナ。そういう無責任な発言はだな……」


「いいアイデアじゃない!」

 リオナが即答した。


「決まりね!」


「決まってねぇ!」


 だが、すでに彼女たちの中で話は進行していた。

 俺の反論なんて、春風に飛ばされる紙切れみたいなもんだ。



 屋根裏に戻ると、すでに二人は荷造りを始めていた。

 リオナは剣を研ぎ、エルナは聖水の瓶を並べている。


「なあ、温泉行くだけだよな? なんで荷物が遠征並なんだ?」


「これは旅の浄化儀式に必要な物です!」

 エルナがきっぱり。


「魚を焼く準備も完璧にしておかないと!」

 リオナも真顔だ。


「いや、焼くの俺だろ!?」


 そんなやり取りをしながら、俺たちは笑って準備を終えた。

 あの戦いのあとで、こうして笑って出発できることが、どれほど幸せなことか――ふとそんなことを思う。



 翌朝街の門には、見送りの人々が集まっていた。

 セリナとマリアもやってきて、荷を担いだ俺たちを見入る。


「どうか気をつけて。……シゲルさん、服はなるべく着ていてくださいね」


「それもうギルドの注意事項なの?」


「正式に加えようかと」


「やめて!」


 リオナが笑いながら剣を肩にかける。

「よし、温泉と魚の楽園へ出発!」


「私は祈りの旅として……」


「俺は強制参加として……」


 笑い声に包まれて、門が開く。

 朝の光の中を、三人の影がゆっくりと伸びていく。


 背後で子供たちが手を振っている。

「光る勇者、がんばってー!」


 その言葉に、俺は思わず顔を覆った。

「やめろ、その呼び方!」



 昼過ぎに街道を歩く三人の足取りは軽かった。

 春の風が心地よく花の香りが漂う。


「シゲル、温泉に着いたら何食べたい?」


「温泉に入ってから考える」


「それ、答えになってないわ」


 笑い合いながら、道を進む。

 やがて日が傾き、夕暮れの丘に着いたころ、リオナが腰に手を当てた。

「今日はここで野営ね」


「了解。じゃあ火を――」

 俺が脱ごうとした瞬間、二人の声が重なった。


「「脱ぐな!」」


 結局、火打ち石で火を起こすことに。

 時間はかかったが、焚き火の火はやがて穏やかに揺れた。


 肉を焼く香ばしい煙りが漂う。

 リオナが頬杖をつきながら笑う。

「こうしてると、あの騒動が夢みたいね」


「ああ。……でも、最後は悪くない夢だったと思うぜ」


 焚き火の火がぱちりと弾け、星空が広がる。


 俺は空を見上げた。

 満天の星。

 その向こうに、まだ見ぬ“星海の大地”がある。


「温泉に魚……なんか、嫌な予感しかしねぇけど――まぁ、行ってみるか」


 星が瞬くたびに、旅路が少しずつ形になっていくような気がした。

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