第38話 静かな街と不穏な称号
あの黒風との戦いから、どれほどの時が経っただろう。
街の瓦礫は片づけられ、折れた街灯は新しく立て直された。
焼け焦げた壁も新しい漆喰で白く塗り直されていた。
人の手って、すげぇな。
たった数週間でここまで戻すなんて、俺の魔法よりよっぽど現実的な力だ。
屋根裏部屋の隙間風が、修復された街の香りを運んでくる。
焼き立てパンの香ばしさ。
鍛冶場の鉄の匂い。
そして――
通りを行き交う人々の、笑い声。
平和が戻った。
そう思った矢先だった。
「おっはよう、シゲル。今日も絶好調ね」
朝から妙に機嫌のいいリオナが、新聞を手に屋根裏に上がってきた。
いつものように俺は布団から顔だけ出して返事をした。
「……絶好調に寝不足だ。昨日、ねずみのダンスパーティーがあってな」
「はいはい。ところでこれ、見なさい」
リオナが広げた新聞を見た瞬間、俺は毛布を頭までかぶった。
紙面の見出しが、でかでかと踊っていた。
【光る全裸の勇者、街を救う! 神にも選ばれし英雄!?】
「……またかよおおおおおおッ!」
屋根裏が震えた。
まさか二回目が来るとは思ってなかった。
勇者ブーム再来とか、いらねぇんだよ。
「人気者ね」
「俺は望んでねぇ!」
記事には、モザイク入りの勇者のイラスト。
“謎の光”をまとった全裸の男が、黒い風を打ち払う姿が描かれている。
どう見ても俺だ。いや、俺以外にいねぇ。
「英雄再臨、だってさ」
「やかましいわ! シリーズ化すんな!」
リオナはくすくす笑いながら、指で記事の端を叩く。
「ほら、“市民からの証言”もあるわよ。“勇者様は光り輝いていた”って」
「魔力の反射だわ!」
俺は枕を投げた。
◇
昼前に街へ出ると、完全に祭りのような空気だった。
露店が並び、復興記念だとか勇者記念だとか、名前を変えた屋台がずらり。
パン屋の前には“勇者の焼き印入りパン”。
隣の商人は“勇者饅頭~白い皮と黒い餡~”。
……なぜだ、俺が戦うたびに食品になる。
「すごいですね、皆さんが笑顔です!」
横を歩くエルナが目を輝かせていた。
神聖魔法使いの彼女は、こういう人の温もりを素直に喜ぶ。
――だからこそ、俺の羞恥心が刺さる。
「笑顔の裏で俺の尊厳が蒸発してるんだが」
「また被害妄想言ってる」
リオナが呆れた顔をする。
「被害“実体験”なんだよ!」
◇
ギルドに顔を出すと、案の定だった。
冒険者たちが集まっては、ひそひそと話している。
「見たか? あの光の中の男、背格好が似てるんだよな」
「でも顔わかんねぇしな」
「いや、あの声は……」
俺はそっと壁に背を押しつけて小声で呟いた。
「……俺、このまま壁になりたい」
リオナが笑いながら肩を叩く。
「もう遅いわ。ほら、受付のお姉さんが呼んでる」
「おはようございます、シゲルさん!」
セリナが笑顔で手を振った。
――その笑顔が怖い。
「最近、“勇者観光”の人が増えてるんですよ。現場を見に来るんです!」
「やめてくれ、観光資源にすんな……」
マリアも苦笑いしながら書類をまとめていた。
「あなたの魔力記録、まだ解析が終わってないんです。神聖領域に近い……けれど、どの属性にも該当しない」
「つまり、モザイク属性ってことですか」
「……正式な記録には書けませんね」
リオナが小声で囁いた。
「すごいわね、もはや“分類不能”」
「褒めてねぇだろそれ!」
◇
街の外れでは、復興工事の音が響いていた。
俺はリオナたちと手伝いに行き、瓦礫を片づけながら空を見上げた。
春の雲が流れていく。
黒風の名残は、もうどこにもない。
「やっと静かになったな」
「そうね。でも……」
リオナは斜めに俺を見て言った。
「静かなのに、あなたがいると騒がしくなるのよね」
「おい待て、それどういう意味だ」
「褒め言葉よ」
――この人の褒め言葉は、いつも刃の形してる。
◇
夕方、ギルドから通達が届いた。
“モザイク勇者についての正式な聞き取りを行う”
俺は両手で頭を抱えた。
「まただ……また聞き取りだ……!」
「慣れたでしょ?」
リオナが笑う。
「慣れるか! 一生慣れたくねぇ!」
エルナは無邪気に言った。
「勇者様は皆の希望ですから!」
「お前、俺のメンタル壊す天才だな」
◇
夕陽が差し込む屋根裏の窓を開けると、春の風が優しく流れ込んできた。
街は穏やかで、修復された灯りが柔らかく光っている。
遠くから笑い声。祭りの笛の音。
俺はその光景を見下ろしながら、ため息をついた。
「また勇者騒ぎか……。俺、ただの一般人でいさせてくれよ……」
その時、頭の中に嫌な声が響く。
『人気が出てよかったじゃのう。次はグッズ監修でもするか?』
「出たな神。てめぇのせいだろうが」
『何を言う。わしはただ観測しておるだけじゃ。お前のモザイクがよく見えるのう』
「褒め言葉に聞こえねぇ!」
『人気と恥は紙一重じゃ。お主は今、世界の中心におる』
「俺はただ、静かにパン食って寝たいだけなんだよ」
『パン……それはよき願いじゃな』
「結局パンの話になるのな!」
屋根裏に俺の叫び声が響き、
下の階から「うるさいぞー!」と返してきた。
俺は苦笑して布団にもぐり込む。
――またかよ。
でも、こうして笑って生きてるだけマシか。
春の夜風が窓から流れ込み、
モザイク勇者の次の試練を、そっと予告していた。




