表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/91

第35話 黒風、街を包む

 パンの焼ける匂いが街に漂っていた。

 いつもなら、白風亭の前で子どもたちが走り回り、露店の呼び声が響く時間帯だ。

 だが今朝は、空気がざらついていた。風の流れが重く、息苦しい。


 屋根裏の窓からその風を見て、俺は小さくため息をつく。

「また……嫌な風だ」


 リオナが階下から顔を出す。

「気のせいじゃない? 今日は仕事休みでしょ?」


「休みでも災難は休んでくれねぇんだよ」


 そんな軽口を叩いた直後、遠くで爆ぜるような音が響いた。

 街の南側。空が一瞬だけ黒く揺らめく。


 リオナの表情が引き締まる。

「今の……黒風?」


「嫌な予感しかしねぇ」



 ギルドの扉をくぐった瞬間、ざわめきが耳を打った。

 負傷した冒険者が運び込まれ、職員が走り回っている。

 セリナが血の付いた布を抱え、指示を飛ばしていた。

「包帯! 次の班を南門へ!」


 奥の机の上でマリアが地図を広げていた。

 地図上には赤い印がいくつも刻まれている。


「南地区の三ヵ所で同時に黒風の発生を確認。住宅が数棟倒壊、負傷者は二十名以上。……もうただの風じゃありません」


 そこに、泥だらけの若い冒険者が駆け込んできた。


「南門がやられました! 風じゃない、黒い人影がいたんです!」

 声が震えている。


 俺は目を細めた。


「黒い……人影、だと?」


 マリアが顔を上げ、唇を噛む。


「“黒風人型”の再出現かもしれません」


 沈黙が落ちる。


 リオナが剣の柄に手をかけた。

「なら、行くしかないわね」


「エルナ、お祈りはあとで頼むぞ」


「えっ、ま、待ってください、わたしまだ昼食を――」


「昼飯は帰ってからだ」


 俺たちはギルドを飛び出した。



 南門へ向かう途中、風が逆流していた。

 砂塵が巻き上がり、家々の扉が軋む。

 人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。


「下がってろ!」

 リオナが叫び、子どもを抱えて避難路へ導く。


 俺は吹き飛ぶ看板を払いのけ、エルナを庇った。


 視界の先――黒い霧が渦を巻き、地面を這うように広がっていく。

 まるで、街そのものを飲み込もうとしているかのようだった。


 リオナが息を呑む。

「これが……“影の風”……?」


「いや、“風”なんて生易しいもんじゃねぇ」


 霧の中心に、黒い輪郭が立ち上がる。

 全身を黒衣で包んだ男のような影。

 姿形が俺そっくりで、嫌な感じしかない。


「……光の勇者。お前がこの街を照らしすぎた」

 声は低く、地の底から響くようだった。


「お前が……黒風人型か」


「光があれば、必ず影は生まれる。均衡を壊す者――お前だ」


 そう言うと、影は衣を脱ぎ捨てた。

 闇の中から、一瞬で全裸になった黒風人型が飛び出す。


〈スキル クマ〉

 顔と股間に小さなクマがぽすん、と乗る。


 リオナが絶句する。

「なにまた……クマ?」


 エルナは真っ赤になって叫ぶ。

「な、な、なんで全裸なんですかぁぁ!? く、クマー!?」


 そのまま気絶した。


「お約束すぎる……」

 俺はため息をついた。


 黒風人型が両腕を広げると、突風が生まれた。

 瓦礫が宙を舞い、街の石畳が剥がれる。

 逃げ遅れた人々の叫びが響く。


「リオナ、避難誘導を!」


「了解!」


 俺は服を脱ぎ捨てた。

 魔力が体を包み、血流が熱を帯びる。


〈スキル モザイク〉

 顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは、やはり細かい。


封印結界(シールドバリア)


 地面から不透明の壁が立ち上がり、黒風を包み込む。

 風圧が激しく、腕が震えた。


 黒風人型は結界を押し返し、内部で笑う。


「封印の牢など、影が抜けぬと思うか」


 黒い腕が結界を突き破り、冷気があふれた。

 瓦礫が爆ぜ、光と闇が衝突する。


 俺は力を込めた。

「この街を壊させるかよ!」


 魔力を全開にして結界を二重展開すると、黒風人型の動きが鈍る。


「お前の影は、お前の罪だ……」


「うるせぇ、影が喋んな!」


 風が止んだ。霧が薄れ、黒風人型は姿を消した。



 瓦礫の中で、リオナとマリアが負傷者を運んでいた。


「南門、崩落……。 家屋三十棟以上倒壊。 負傷者六十名以上」

 セリナが報告書を抱え、蒼白な顔をしていた。


「完全に“人型”として動いていますね。もはや現象ではありません」

 マリアが言った。


「放っておいたら、次はギルドそのものが狙われるわね」

 リオナが唇を噛む。


「だったら、俺が止めるしかねぇ」


 俺は空を見上げた。

 黒い雲が渦巻き、風がまた鳴り始めていた。



 屋根裏の窓から街を見下ろすと、瓦礫の中に灯が点々と瞬いていた。

 人々が片付けを始め、ギルド職員たちが走り回っている。


『……お前の世界、ずいぶん壊したなぁ』

 頭の中に聞こえるのは、神の声だ。


「修理はそっちの仕事だろ、(ジジイ)


『人間の尻拭いまでする神がどこにいる』


「少なくとも、家が壊れて喜ぶ神は聞いたことねぇな」


『ふむ、たしかに。だがこの戦い、均衡が崩れすぎた。お前の“影”が現れるのは、必然だったかもしれぬ』


「それでも、止める。あいつを――そしてこの街を守る」


『ははっ、勇者気取りめ。だが……楽しみだのぅ』


 風が窓を揺らす。

 俺はゆっくりと腰を下ろし、夜空を見上げた。


「明日は晴れてくれよ。パンが湿気る」


 遠くの空で、微かに雷が光った。

 黒風の予兆か、それとも――次の決戦の鼓動か。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ