第33話 闇の勇者現る
ギルドが朝から騒がしかった。
扉を開けた瞬間、ざわめきと紙の匂いが押し寄せてくる。
受付カウンターの前では冒険者たちが口々に叫んでいた。
「北門で“光る勇者”が現れたんだって!」
「いや、今回は“黒かった”らしいぜ!?」
「おいおい、黒いって……影武者か!?」
……また俺の話題か。
俺は壁沿いを歩きながらセリナのカウンターへ向かった。
彼女は眉間に皺を寄せ、俺を見るなりため息をつく。
「シゲルさん……また“あなた関連”の騒ぎです」
「俺、今日はまだパンも食ってねぇけど?」
「だからこそ、問題なんです。何もしてないのに噂が立つなんて」
セリナは報告書を突き出した。
【北門付近に黒い霧状の人物出現。
姿・体格は“光る勇者”と酷似。
魔法〈雷槍〉を発動し消失】
「……雷槍?」
リオナが後ろから覗き込み、腕を組む。
「ちょっと、それあんたの得意魔法じゃない?」
「いや、雷槍なんて世界中の魔法使いが使えるだろ。俺専用じゃない」
「確かにそうだけど、タイミングが悪すぎよ」
エルナが静かに報告書を読み取る。
法衣の袖が光を反射して柔らかく揺れた。
「この“黒い霧”……魔力の構造が歪んでいます。自然発生ではなく、何かに“宿った”形跡があるようです」
嫌な予感がした。
黒風が……形を持ち始めた?
◇
昼過ぎ。俺たちは北門の外に出た。
春の草原に風が吹き抜けるが、その奥には重い空気が漂っていた。
「うわ、また変な風……」
リオナが髪を押さえ、剣の柄に手をやる。
「ここ、魔力の流れが逆です」
エルナが地面に触れた瞬間、指先が青白く光った。
「普通は大地から空へ流れる魔力が、吸い込まれてる……!」
「吸い込む?」
「ええ、まるで何かが“呼吸してる”みたいに……」
俺は足元の砂を蹴った。
その瞬間——空気が裂けた。
黒い霧が地面から噴き出し、ぐにゃりと形を変えていく。
人影。
いや、それは“俺”だった。
黒装束に包まれた、俺そっくりの体格。
影が立ち上がり、声が風に混じる。
「……裸ノ光……今度ハ、負ケヌ……」
リオナが剣を抜く。
「なにあれ、変態系のストーカー!?」
「……俺に似てるとか言うな」
エルナが息をのんだ。
「これ……魔力反応、黒風のものです!」
黒い人影が、ゆっくりと動いた。
やがて——その手が、自らの衣をつかむ。
「……おい、まさか」
嫌な予感が、今度こそ確信に変わる。
風が舞い上がる。
黒装束が、ひらひらと空を舞った。
そして、全裸。
「お、おい待て!?」
その瞬間、周囲の圧が高まる。
人影の身体に黒い光が集まり、空気がざわめいた。
〈スキル クマ〉
ふわり。
顔と股間に——クマのぬいぐるみが。
「……………………」
「……………………」
その場は沈黙。
「いや、なんで“クマ”!?!?」
リオナの声が風を切り裂く。
「しかも二頭身でかわいい系!?」
「センスどうなってんだよ……!」
「……裸ハ、光。闇ニハ、クマ。」
「ポエム吐くな!!」
黒風人型——闇の勇者が、ゆっくりと手をかざした。
詠唱のリズムは、世界共通の構文。
だが、魔力の色はどす黒く濁っていた。
「〈雷槍〉」
空が裂け、雷撃が地面を焼く。
草が一瞬で焦げ、白煙が立ち上る。
「おいおい! 魔法をこんな所で使うなよ!」
俺が叫ぶ間にも、第二撃の詠唱が始まっていた。
「こっちもやるしかねぇか……!」
俺は木陰に走り込み、深呼吸した。
脱ぐタイミングが人生で一番シビアだ。
でも——やるしかない。
上着を脱ぎ、ズボンを蹴り、靴を飛ばす。
春風が肌を打ち、全身の感覚が研ぎ澄まされていく。
〈スキル モザイク〉
顔と股間にモザイクが掛かる。股間のモザイクは細かい。毎回ムダに細かい。
「よし……勝負だ、クマ野郎!」
黒風人型が光をまとい、クマをきらめかせる。
二人の全裸勇者——モザイクとクマが対峙する。
雷が交差し、地面が爆ぜた。
リオナが叫ぶ。
「バカ二人ーっ!」
「俺は違うだろ!」
「どっちも裸でしょ!」
エルナは真っ赤になり、悲鳴を上げた。
「きゃあああああっ!? なんで二人とも脱いでるんですかぁぁ!?」
そして——気絶。いつものパターンだ。
雷光が収束し、爆音が鳴り響いた。
黒風人型はふっと霧となり、姿を消す。
「……次ハ、真ノ姿デ……」
その声だけが風に残った。
◇
夕方、ギルドに戻ると、セリナが待ち構えていた。
「また脱いだんですね?」
「脱いでない!」
「リオナさん?」
「脱いだわね」
「おいっ!?」
マリアが記録帳にペンを走らせる。
「黒い霧……それが人の形になったと?」
「ああ。世界共通の魔法を使ってきた。雷槍の術式そのまま。あいつ、まるで人間みたいに魔力を扱ってた」
「ということは……“黒風”ではない?」
「わからねぇ。けど少なくとも、“何かに似せてる”気がする」
セリナが苦笑する。
「まさか、シゲルさんの影とか?」
「冗談でもやめてくれ」
リオナが溜め息をつく。
「クマつきの影ね。悪夢だわ」
「お前、それ笑ってるだろ」
エルナが目を覚まし、ぽつりとつぶやいた。
「夢じゃ……なかったんですね……クマ……」
「現実だよ」
「…………信じたくなかったです」
◇
屋根裏の窓から月明かりが差し込む。
風が静まり返った街を撫でていく。
「……“闇の勇者”ね。笑えねぇネーミングだ」
俺はベッドに横になり、天井を見上げた。
『——闇もまた、光を欲するのじゃ』
神の声が頭の中に響く。
「出たな、神。お前もクマ見たか?」
『見たとも。まことに愛嬌あるスキルじゃのう』
「褒めるな!」
『光が強くなれば影も濃くなる。おぬしが進む限り、影もまた成長を続けよう』
「……つまり、俺が強くなればあいつも強くなるってか」
『それが世界の理。風が生まれれば、風下も生まれる』
「風下ってなんだよ……」
俺は天井に向かって小さくため息をついた。
その風下に、クマがいると思うと、眠気が吹き飛んだ。




