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第31話 黒風ふたたび

 屋根裏に朝の光が差し込む。

 ひび割れた天井の隙間から、埃がふわふわと落ちてくる。

 鼻がむずむずして、思わずくしゃみをした。


「……ぶえっくしょい!」


 その声に、下の階からリオナの怒鳴り声が飛んできた。


「シゲルー! 朝ごはん冷めるわよー!」


「いま行くって! あ、パン落とした!」


 屋根裏の低い天井で頭をぶつけ、痛みにうずくまる。

 俺は異世界最強の魔法使い――だが、現実はボロ家の屋根裏暮らし。

 リオナとエルナが一階を借りて住み始めてから、俺の生活だけはまったくレベルアップしていない。


「……なんでだろな。仲間増えたのに収入は減った気がする」


 床の隙間から漂ってくるのは、焼き立てのパンとハーブの香り。

 エルナの声が聞こえた。


「リオナさん、パンが焦げそうですっ!」


「まったく、朝から神聖魔法の練習なんてしてるからよ!」


「え、えへへ……神様へのお祈りが長くなっちゃって……」


 この子はほんとに天然だ。

 聖水をこぼすわ、祈りの途中で寝落ちするわ。

 でも、なぜかそのマイペースが心を落ち着かせる。


 俺は階段を降りながらぼやいた。

「これでようやく、落ち着いた生活ができそうだな」


 ――そのセリフがフラグになるなんて、言った瞬間に気づくべきだった。



 昼前にギルドの使いが通りに現れた。

 依頼書を配っていたらしい。


「春の風祭り、警備依頼……だと?」


 依頼内容は“祭り準備中の事故防止および風害対策”。

 報酬は銅貨数枚――。


 リオナは腕を組んでため息をついた。

「なんか地味ね」


「金にならねぇ匂いがするな」


「でも、こういう依頼をこなすのが冒険者の信頼につながるんですよ」

 エルナが笑顔で言う。

 眩しいくらいに前向きだ。俺も少しだけ見習いたい。



 春の風祭りの会場は、街の中央広場だった。

 色とりどりの布と花飾りが並び、子どもたちが走り回る。

 パン屋も出店している。

 俺は無意識に香ばしい匂いを追って、財布の中身を確認した。


「……うん、空だ」


「もう慣れたでしょ」


「その言葉が一番つらい!」


 風に吹かれて、空に舞う風船。

 布飾りがバタバタとはためく。

 のどかな光景――だったのは、ほんの数分前まで。


 突風が吹き抜け、飾りのひもが千切れた。

 風船が一斉に舞い上がる。

 屋台のテントがめくれ上がり、子供が泣き声を上げた。


「うわっと! 屋根が飛ぶぞ!」


「リオナ、押さえろ!」


「了解!」

 リオナが剣でテントの支柱を押さえ、俺はロープを掴んだ。

 しかし風はおさまらない。

 エルナの金髪がふわりと舞い、頬に貼りつく。

 彼女は目を細めた。


「……この風、ただの春風じゃありません」


 俺も肌で感じていた。

 生きているような風――脈動している。

 嫌な既視感が胸をざわつかせる。


 まさか……黒風?



 その夜、俺たちはギルドに報告へ向かった。

 昼の騒ぎで、すでに数件の“風害”報告が上がっているという。


 受付のセリナが心配そうに顔を出した。

「また風の暴走? ……シゲルさん、あなた何かしてませんよね!?」


「俺を自然災害扱いすんな!」


「だって、だいたいあなたが現場にいると何か起きるじゃないですか」


「それは……否定できねぇけど!」


 奥の机ではマリアが淡々と書類をまとめていた。

 彼女は目だけこちらに向け、落ち着いた声で言った。

「北塔の方角で風の逆流が確認されています。異常が続くなら、調査隊を派遣する予定です」


「……まるで、黒風の再来みたいだな」


「そう感じているのは、あなただけではありません」


 マリアの瞳が、一瞬だけ強く光った気がした。

 彼女も“何か”を感じているようだった。


 ギルドの外に出ると、風が静まり返っていた。

 だが、その静けさが逆に怖い。

 夜の街灯の光がゆらめき、影が動く。


 エルナが不安そうに空を見上げた。

「……黒風、また来るんでしょうか」


「来ても、吹き飛ばしてやるさ」

 リオナが剣の柄に手を添える。

 その横で、俺は風の流れを感じ取っていた。


 風は――南へ流れている。

 街を避けて、まるでどこかへ導かれるように。


 嫌な予感しかしねぇ。


 帰ると屋根裏部屋の明かりがチラチラと揺れていた。

 ロウソクの火が風で揺れているのかと思ったが、違った。

 風そのものが、部屋の隙間を通り抜けている。


「おいおい、ここにも来るのかよ」


 風が机の上の紙を舞い上げる。

 落ちてきた紙に、黒い煤のような跡がついていた。

 指で触れると、ざらりとした感触――魔力の残滓だ。


 俺は静かに呟いた。

「黒風……本格的に動き出したな」



 翌朝ギルドの掲示板には、新しい張り紙があった。


『北塔方面 調査依頼 報酬:金貨三枚』

 筆跡はマリアのものだ。


「……行くしかないか」

 リオナが剣を背負いながら言う。


「また風ね」


「パンが飛ばないといいけど……」

 エルナが心配そうに笑う。


 俺は掲示板を見上げ、深く息を吸った。


 黒風――今度こそ、決着をつける。



 風が吹いた。

 春の香りに混ざって、どこか焦げたような匂いがする。

 その匂いを嗅ぎながら、俺は小さく呟いた。


「……この街、ほんとに風と縁がありすぎだろ」


――静かな春風の裏で、“闇の勇者”はすでに動き出していた。

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