第30話 風のあと静かな夜に
黒風との戦いから一日が経った。
街には、ようやく静けさが戻りつつあった。
屋根の上には職人たちが並び、焦げた瓦を張り替えている。
通りでは商人が壊れた屋台を修理し、子供たちが拾った釘を誇らしげに差し出していた。
ギルドの前では、セリナが必死に指示を飛ばしている。
「通りは封鎖中です! 補給班、回収を急いで!」
その隣で、マリアが冷静に地図を広げ、復旧班の配置をまとめていた。
彼女の周りには疲れ切った冒険者たちが座り込み、それでも笑い合っていた。
その光景を、俺は屋根裏の小窓からぼんやりと見下ろしていた。
瓦が軋む音、釘を打つ音、子どもの笑い声。
どこか懐かしい――地球の音に似ていた。
「やっと静かになったな……」
俺の呟きに、風鈴のような声が返る。
「そうですね。まだ少し風が残ってますけど」
エルナの声だった。
彼女は朝から街の治療所を回って、負傷者を癒やしているらしい。
窓を開けると、リオナが通りで住民と一緒に屋根を押さえていた。
大きく手を振ってくる。あの金髪は、今日もやたら目立つ。
◇
夕方、ギルドに呼び出された。
マリアが帳簿の山を整理しながら言う。
「報告をお願いします。黒風は……完全に消滅しましたか?」
「いや、たぶん……まだ残ってる」
俺は小さく首を振った。
「結界の中で消滅したはずなのに、何か“見られてる”感じがした」
「見られてる?」
マリアのペンが止まる。
「うん。風なのに、意志を感じるっていうか」
俺の言葉に、エルナは神妙な顔になる。
「……やっぱり。あの風、完全に浄化できていません」
彼女の瞳には迷いがなかった。
「わたし、これからも一緒に行動させてください。黒風のこと、もっと調べたいんです」
リオナが腕を組んで苦笑する。
「ほんっと真面目ね。……でも助かるわ。三人の方がにぎやかだし」
「にぎやかって言い方、やめてくれ」
俺はため息をついた。
セリナが笑いながら報告書を受け取る。
「三人パーティー、正式登録しておきますね!」
◇
夕焼けを見ながらボロ家の屋根裏で洗濯物を干していると、下から元気な声が上がってきた。
「こちらでお世話になりますね!」
エルナの声だ。
「家賃は折半だからね!」
リオナ、相変わらずだな。
「……俺のプライベート、完全に消えたな」
屋根裏がギシギシと鳴る。
それでも、誰かの笑い声がある暮らしは、少しだけ悪くない。
窓の外には星が瞬き、夜風が静かに流れていた。
ふと、その風の中に、あの声が混じる。
『……おぬし、あれに“目”を見たか?』
神の声だ。
「なんだよ、怖いこと言うなよ」
『風は去っても、目は閉じておらん……忘れるな』
「まったく、落ち着かせる気ゼロかよ」
俺は空を見上げ、ゆっくり息を吐いた。
「……ま、なるようになるか」
風がボロ屋の屋根を撫で、ミシミシと鳴らした。
下の階から笑い声が聞こえる。
俺はその音に耳を澄ませながら、目を閉じた。
――その風の向こうに、新たな日々が待っていることを、まだ俺は知らない。




