第3話 はじまりの街
草の香りが風に乗って流れてくる。
どこまでも広がる草原の先、白い石の防壁が見えた。
旗がはためき、人々の話し声がかすかに聞こえる。
「……街だ」
胸の奥が少し熱くなる。
神が言っていた“安全な場所”というのが、たぶんあそこなんだろう。
それにしても、遠目に見るだけで心が踊る。
まるでゲームやラノベの世界がそのまま現実になったみたいだ。
街の名は、リーベル。
この世界では交易都市として知られている――らしいと、頭の中に“知識”が流れ込んでくる。
神がくれた異世界知識。
便利だが、ちょっと怖い。
「よし、行ってみるか」
歩き続けて三十分ほど。
門の前には、行商人や冒険者らしき人たちが列を作っていた。
荷車を引く男、馬に乗る兵士、笑いながら話す女旅人。
すれ違う人々が、まるで舞台の上の登場人物のように見える。
こういうときは、だいたい“身分証を見せろ”って言われるやつだ。
脳内のラノベ知識を総動員しながら、列の最後尾についた。
門の前では鎧を着た衛兵が一人ずつ通している。
手には、手のひら大の光る石――魔道具らしい。
「次! 手をかざせ!」
商人が石に手をかざすと、淡い青色に光った。
衛兵が頷き通行を許可する。
その次の旅人は黄色。
子供は緑。
あれ、色が違う? なんだこのシステム。
観察しているうちに自分の番が近づいてきた。
緊張で喉が渇く。
「よし、落ち着け俺。テンプレ展開だ。焦るな」
軽く深呼吸して衛兵の前に立つ。
鉄の槍を持った年配の男が、こちらを睨んだ。
「身分証を見せろ」
「す、すみません! 遠い田舎の村から来たんです! 村にはそういうの、なくて!」
深々と頭を下げる。
この“下手に出る作戦”が通じるかどうかが勝負だ。
衛兵は少し眉をひそめて言った。
「……ふむ。そういう者もおる。だが規定は規定だ。手をかざせ」
「は、はい!」
言われるままに石に手をかざした。
――その瞬間、赤い閃光が走る。
「うわっ!?」
光は一気に真紅へと変わり、
次の瞬間――耳をつんざくような警告音が鳴り響いた。
ビィイイイイイイ――ッ!
周囲の人々がどよめく。
衛兵が慌てて槍を構えた。
「反応あり! 魔力暴走か!?」
「な、なんだと!?」
「ちょ、ちょっと待って!? 俺、何もしてませんって!」
両手を振って否定するが光は止まらない。
魔力検知石の内部で、何かがビリビリと震えている。
どうやら俺の中の魔力が勝手に反応しているらしい。
やばい、服を着ててもバレるのか!?
このままでは本当に捕まる。
慌てて言い訳を探す。
「えっと! こ、これはきっと……あれです! えーと……古井戸の水が……」
「井戸?」
「井戸の水が何だ!」
「えっと……昔、落ちたことがあって、それで……体に変な魔力が残ってるとか?」
その場の誰もが固まった。
そして若い衛兵がぷっと吹き出す。
「ははっ、井戸に落ちて魔力暴走って聞いたことねぇな!」
もう一人の年配衛兵が苦笑いを浮かべる。
「まぁ、悪い反応ではない。魔力量が異常で石が誤作動しただけだ」
そう言って石を叩くと、光がすっと消えた。
「まったく、最近の魔導具は過敏すぎるんだ」
「で、ですよねー! いやー、びっくりした!」
心臓がまだドキドキしている。
なんとか誤魔化せたようだ。
「通行料は銅貨十枚だ」
衛兵の声で我に返る。
だが、手持ちは金貨しかない。
「あ、あの……銅貨がなくて、これしか」
金貨を見せると、またしても視線が集まる。
衛兵が小さくため息をつき、袋を差し出した。
「まったく……田舎村の男にしては金持ちだな。両替してやる」
笑いをこらえながら言う。
俺は「す、すみません」と頭を下げて受け取った。
「次からは小銭を持てよ、田舎者」
「は、はいっ!」
通行料を払い門をくぐる。
その瞬間、背後で衛兵が仲間に向かって言った。
「魔力はあるくせに挙動が妙に田舎者臭ぇな」
それ、褒めてないよな……?
門の影に入り、誰にも聞こえない声でぼそりと呟く。
「……異世界人、チョロいな」
◇
門を抜けると、世界が一変した。
石畳の道の両側に商人の声が響き、焼き立てのパンの香りが漂う。
果物を売る屋台、鎧を修理する鍛冶屋、笑いながら手を振る子どもたち。
「すげぇ……本当に、異世界だ」
感動と同時に、不思議な安心感があった。
地球でも、こういう“人の生活の匂い”はあった気がする。
ふと、広場の向こうに立派な建物が見えた。
木製の看板には「冒険者ギルド・リーベル支部」と刻まれていた。
「……ギルド、か」
いずれは行ってみることになるだろう。
でも今は、まず休める場所がほしい。
通りを歩いていくと、二階建ての宿が目に入った。
白い壁に木の梁、花の鉢植えが並び、どこか温かい雰囲気だ。
看板には「白風亭」とある。
「……ここにしよう」
扉を開けると、パンとスープの香りが鼻をくすぐった。
カウンターの奥から、元気な声が響く。
「いらっしゃいませ!」
目の前には、栗色の髪をポニーテールにした若い女性が立っていた。
その笑顔は、異世界に来て初めて見る“普通の優しさ”だった。
「宿を探してるんですけど、一泊できますか?」
「もちろん! 一階が食堂で、二階が客室です」
彼女――エマと名乗った宿娘に案内され、部屋に入る。
木の香りが心地いい。
ベッドに腰を下ろした瞬間、体中の力が抜けた。
「……あー、やっと落ち着いた」
窓の外では、夕陽が街を金色に染めていた。
人の声、笑い声、鐘の音。
ああ、ここはもう“知らない世界”じゃない。
◇
ベッドに横たわり、意識が沈みかけたそのとき――
耳の奥で、あの声がした。
『ふぉっふぉっ……初日から賑やかじゃのう、シゲルよ』
「……出たな、神」
『魔力検知石を真っ赤に染めるとは、なかなか派手な登場じゃった』
「俺のせいじゃねぇ! あんたのチートが原因だろ!」
『ふぉっふぉっ、結果オーライじゃ。おぬし、街に入れたろう?』
「……はいはい。もう寝る」
『安心を求めるなら、まず慣れねばならんぞ。異世界の空気にな』
「うるさい……観察してないで、たまには寝てろ」
『神は眠らんのじゃよ』
「だから厄介なんだよ……」
呟きながら目を閉じると、遠くで風鈴のような音が鳴った。
その音に包まれながら、俺は静かに眠りに落ちた。




