第28話 光と風の聖女
朝日が街の石畳を黄金色に染めていた。
ギルドの扉を押し開けると、いつものように賑やかな声が飛び交う。
冒険者たちが依頼掲示板を囲み、成功談を語り合い、時折笑い声が響いた。
「おはようございます、シゲルさん! リオナさん!」
カウンターの奥からセリナが手を振った。
その横ではマリアが書類の山を整理している。相変わらず、背筋が真っすぐだ。
「おはようございます」
「……ああ、今日も紙の匂いしかしないな」
「ギルドですからね」
俺が肩をすくめると、リオナが笑った。
そんな俺たちに、マリアが一枚の封筒を差し出した。
「こちらが新しい依頼です。黒風の調査――前回、あなた方が封印した西の丘に再び異常反応が観測されました」
「そうかよ……」
思わず声が漏れる。
「やっぱり、あれ、自然現象じゃなかったのね」
リオナが腕を組んだ。
マリアが小さくうなずく。
「本部から支援者が派遣されます。封印や浄化に長けた神聖魔法使いです。彼女と合流して調査にあたってください」
「へぇ、女の子なんだ」
リオナが口の端を上げる。
そのタイミングで、ギルドの扉が開いた。
「失礼いたします。神聖教会より派遣されました、神聖魔法使いエルナと申します」
柔らかな声が空気を包む。
金色に近い淡い髪、青空を写したような瞳。
純白の法衣に金の刺繍が施され、胸元には光輪の紋章。
彼女が一歩進むだけで、周囲のざわめきが静まった。
「神の導きが皆さまにありますように」
深く礼をする姿はまるで聖女そのものだった。
セリナが目を輝かせて小声で言う。
「ねぇねぇ、すっごい清楚じゃない? シゲルさん、見惚れてます?」
「いや、ただまぶしいだけだ」
「同じ意味よ」
リオナが肘で突く。
マリアが咳払いをして場を整えた。
「では三名での出発をお願いします。黒風の再発地点は西の丘。現場は前回とほぼ同一です」
「了解」
リオナが軽く手を上げ、俺たちはギルドを後にした。
◇
春風が街を抜け、丘へ続く街道を渡る。
丘の上には若草が揺れ、遠くに黒い鳥が一羽、旋回していた。
「……ここね」
リオナが剣の柄に手を添える。
エルナは地面に跪き、指先で草を撫でた。
「残留魔力が残っています。黒く、濁って……これは自然現象ではありません」
俺も目を細める。
風が肌に触れる――冷たい。
やっぱり、前と同じ気配だ。いや、それよりも濃い……。
「エルナさん、どんな感じ?」
「ええ。風の流れに乗って“怨嗟”のようなものが混ざっています。でも大丈夫、神の光が導いてくれるはずです」
彼女は胸の前で手を組み、祈りの言葉を唱えた。
淡い光が彼女を包み、地面に円形の光紋が浮かぶ。
「〈浄光陣〉」
光が地を走り、黒い靄を包み込む。
一瞬、風が止まり――
次の瞬間、強烈な突風が巻き起こった。
「うわっ!」
リオナが体を低くして踏ん張る。
エルナの法衣が翻り、光の陣が一気に吹き飛ばされた。
「だ、ダメです……押し返されます!」
「押されてるって……おいおい、あれ、前よりデカくないか!?」
俺の目の前で黒い渦が膨張し、草をなぎ倒していく。
「くそっ、仕方ねぇ!」
俺は木陰へと走り込み、周囲を確認。
人影なし。よし。
上着を脱ぎ捨て、ズボンを放り出した。
冷たい空気が肌を包む。
体の奥から魔力が湧き上がる。
〈スキル モザイク〉
顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは細かめだ。
全身が震え、魔力の奔流が手のひらに集まる。
「おとなしくしてろよ、黒い風ッ!」
掌を突き出し、空間を切り取るように魔法を発動。
〈封印結界〉
地面から不透明な壁が立ち上がり、黒風を包み込む。
黒い渦が暴れ、壁を叩く。風圧で草が平伏し、石が宙を舞った。
「暴れすぎだっつの!」
さらに集中を高め、掌に光を集める。
消えろ!
〈聖風浄陣〉
結界内を光が舞い、白く輝き――爆発。
黒い靄が断末魔のように吹き散り、風が静まった。
「……ふぅ」
汗が背を伝う。
俺は光の消えた結界を見つめ、息を整えた。
よし、封じた。たぶん……。
安堵の瞬間――。
「し、シゲルさん!? あなた今、なんで裸で――」
エルナの驚愕の声。
振り向くと、全身裸で一部モザイクの俺を凝視していた。
「えっ!? いや違う! これは状況が!」
「きゃああああああああああっ!!」
ドサッ!
エルナは気を失ってその場に崩れた。
「おいおいおい!」
「……まぁ、そりゃそうなるわな」
リオナが呆れたように言う。
「弁解させてくれ! いや、今はそれどころじゃないけど!」
エルナを木陰に寝かせ、服を着直した。
シャツのボタンを留めながら、俺は頭を掻く。
「どう説明すりゃいいんだこれ……」
「もう説明しないほうがいいと思うわ」
「だよなぁ」
やがてエルナが目を覚ました。
「……あれ? 私、どうして……」
「気のせいだ。何も見てない。いいな?」
「は、はい?」
リオナが小声で「うまいこと誤魔化したわね」と笑った。
◇
夕方。三人でギルドに戻ると、セリナとマリアが迎えてくれた。
「お帰りなさい! 無事でしたか?」
「まぁ、いろいろと……」
リオナが目をそらす。
マリアは報告書を受け取り、静かに問う。
「黒風の残滓は?」
「封じました。でも……完全に消えたかは分かりません」
マリアの眉がわずかに動いた。
「なるほど。つまり、まだ“根”が残っている可能性があると」
「はい。感じたんです。あれは“風”じゃなく、何かの意思がある」
エルナが真剣に言う。
セリナが息をのむ。
「え、風に意思って……怖っ!」
リオナが肩をすくめた。
「まぁ、今のところは収まってるわ。ひとまず良しでしょ」
「ええ、報告は私がまとめます。お疲れさまでした」
マリアが淡々とまとめ、セリナが笑顔で手を振った。
「今夜は温かいスープが出ますよー! おごりじゃないですけど!」
「けちぃ」
リオナが舌を出す。
俺は苦笑してギルドを出た。
◇
屋根裏部屋の窓から春風が吹き込み、灯りが揺れる。
リオナは一階の部屋を借りる事になり、今夜はもう寝ているだろう。
「……結局、黒風は消えなかった」
呟いた俺の耳に、いつもの声が響いた。
『ふむ、なかなか見事な封印じゃった。褒めてやろう』
「お前かよ、神。あれ、どういう存在なんだ?」
『さぁてのう。風とは気まぐれなものじゃ。誰の息吹が混ざるかなど、誰にもわからん』
「おい、神だろお前」
『ほっほ、そうとも言う』
肩を落とし、寝台に横になる。
天井の隙間から、夜風が静かに通り抜けた。
黒風の気配は消えたはずだった。
けれど――俺の胸の奥には、まだどこか不穏なざわめきが残っていた。
◇
翌朝、リオナが起き抜けに階下から声をかけてきた。
「おーい、シゲル。朝ごはんどうする?」
「今日は……パン以外で頼む」
「珍しいわね」
ふと、窓の外を見る。
遠くの空の端――ほんの一瞬、黒い筋のようなものが揺れた。
風が頬を撫でる。
まるで、誰かが笑っているような風だった。




