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第27話 報告と再兆

 朝の風は妙に冷たかった。

 春だってのに、肩がすくむ。

 俺は屋根裏の小窓を押し開け、鼻を鳴らす。

 外では洗濯物がはためいていた。

 ……いや、俺んとこは洗濯物が干せるレベルの家じゃない。

 昨日の黒風の件を思い出し、ため息が出る。


「封印したはず、なんだけどな」


 独りごちて、腰のギルドカードを取り出す。

 今日こそは正式報告を済ませなきゃならない。

 報酬は……いや、期待はやめておこう。

 どうせロクな額じゃない。


 床板のきしむ音を聞きながら、階段を下りた。

 かつてパン屋だった一階には、今日も人の気配はない。

 代わりに、どこからともなく焼きたてのパンの香りがする気がした。

 ──腹が減ってんのか、俺。



 街の中心にあるギルドは、朝からにぎわっていた。

 冒険者たちが依頼掲示板を取り囲み、報酬額に一喜一憂している。

 俺が入ると、受付のセリナがすぐに顔を上げた。


「おはようございます、シゲルさん! 昨日は黒風を封印したたって聞きました!」


「まぁ……なんとか、な」


「すごいじゃないですか! “黒風を止めた男”って噂になってますよ!」


 あちゃー。

 噂、もう広まってんのか。


 リオナが後ろで肩をすくめている。

「また“光る勇者”の再来って言われてるわよ」


「俺、光ってねぇし……もうそれ訂正してくれない?」


「無理ね。人の口には戸が立てられないってやつよ」


 セリナは書類を取り出しながら、満面の笑みを浮かべた。

「じゃあ、黒風封印の報告書、お願いしますね!」


 彼女の元気さが眩しすぎて、なんか逆に疲れる。


 報告書を提出すると、今度はもう一人の受付嬢――マリアが現れた。

 黒髪をきっちりまとめ、表情は真面目そのもの。

 こっちが本番だ。

「封印の魔法構成を教えてください。属性、術式、詠唱時間、発動位置――できるだけ詳細に」


「え、えーと……その、魔法ってなんの事?」


「魔法でなければ、どうやって封印を?」


「……勢い?」


 マリアの眉がピクリと動いた。


 背後でリオナが吹き出す。

「勢いで封印するな、バカ」


「うるさい、あの時は切羽詰まってたんだよ!」


 セリナが笑って場を和ませるように口を挟む。

「まぁまぁ、結果的に街を守ったんですし、良かったですよ!」


 マリアはため息をつき、机に報告書を置いた。

「あなたの“勢い”に、こちらの記録班が頭を抱えてるんですけどね」


 報告が一段落ついた、その時だった。

 ふっと空気が変わった。


 背筋をなでるような冷風。

 ギルドの窓がカタカタと震える。

 紙が一斉に宙を舞い、掲示板の依頼書が散乱した。


「きゃっ!? また風っ!?」


「おいおい、勘弁してくれよ!」


 セリナが悲鳴を上げ、リオナが剣に手をかける。

 俺はとっさに目を凝らした。

 風の中に、一瞬だけ黒い靄が見えた――。


「……おい、まさか、またか?」


 マリアが即座に呪文を唱え、結界を張る。

 風が止まり、紙がぱたりと落ちた。

 彼女は警戒の表情を崩さない。


「黒風の残滓、ですね。封印が完全ではなかった」


「いやいや、ちが、ちがう! たぶん封印の余波! 魔力の残り香みたいな!」


 必死に言い訳を並べる俺。

 ……まぁ、実際ちょっと怪しいけど。


 リオナが腕を組み、じっと俺を見た。

「“たぶん”って言い方が一番あやしいのよね」



「ぐっ……!」


 マリアはしばらく黙っていたが、静かに言った。

「もし封印が不完全なら、再調査が必要です」


「ちょ、ちょっと待ってくれ、それは――」


 しかし、俺の言葉を遮るように、マリアは机の引き出しを開けた。

 中から新しい依頼書を取り出し、赤い印を押す。

「正式依頼です。名称――『黒風現象再調査』」


 赤印の文字がやけに目に刺さる。

 報酬額を見て、リオナが眉をひそめた。

「わりに合わないわね」


「ほんとだよ……危険手当が安すぎる」


 セリナが苦笑しながら書類を差し出す。

「また行くんですか? 危なくないですか?」


「たぶん危ないけど……放っとくのも後味悪いしな」


「いい加減にしなさいよ」とリオナがため息をつく。

 けれどその表情は、どこか頼もしげだった。



 報告を終えてギルドを出ると、昼の陽射しがやけに眩しかった。

 通りの風が強く、帽子を押さえる人の姿がちらほら見える。

 パン屋の前を通ると、風にあおられたのぼり旗がバサバサとはためいていた。


 俺は苦笑しながらつぶやく。

「風の仕事が多いな、最近」


「そのうち“風担当”って呼ばれるわよ」


「いやだなそれ……響きがダサい」


 リオナは空を見上げた。

 「でも、今の風――なんか、違う気がしない?」


 「……そうか?」


 「黒い風、って感じ。気のせいかもしれないけど」


 俺は笑ってごまかした。

「気のせい、気のせい。たぶん季節の変わり目だ」


 言いながらも、胸の奥がざわつく。



 屋根裏の小さなランタンの灯を見つめながら、俺は思わず呟いた。

「……やっぱり、あれで終わりじゃなかったのかもな」


 その時、聞き慣れた声が響いた。

『ほう、気づいたか。ようやく鼻が利くようになったのう』


「……(ジジイ)。出たな」


『出たなとは無礼な。わしはいつも、おぬしを見守っておるぞ』


「覗き見してるって言えよ」


『言葉のあやじゃ。さて、風のことじゃが――』

 神の声がわずかに沈む。


『封じた風は止まる。しかし、歪みは残る。おぬしがこの世界にいる限り、な』


「……何だよそれ。俺のせいってか?」


『さあな。風は、流れる先を自ら選ばん。ただ、そこに吹くのみじゃ』


 神はそれだけ言って、声を消した。

 屋根裏に静寂が戻る。

 ランタンの灯が揺れ、壁に俺の影が伸びた。


 外では、夜風が優しく流れていた。

 けれどその音の奥に、確かに黒い気配が混ざっていた気がした。


 俺は布団に潜り込み、天井を見上げた。

 今日の報酬? ゼロだ。再調査付き。

 だけど、なぜか悪い気はしなかった。

 ……いや、良くはないけど、慣れてきたというか。


「ほんと、風まかせな人生だな、俺」

 そう呟いて、目を閉じた。


 春の夜の風はやさしく、けれどどこか不穏に吹き抜けていった。

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