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第21話 春の訪れと冬眠明けの財布

 薄い陽の光が屋根裏の板の隙間から差し込む。

 冬の間は凍えていたこの部屋にも、ようやく春の匂いが漂い始めていた。

 草木が芽吹く音が聞こえそうなほど、外の風は柔らかい。

 だが、俺の懐はまだ冬のままだった。


「……銀貨一枚。銅貨三枚。終わったな」


 床に置いた財布をのぞき込み、深いため息をついた。

 パンすら買えねぇ。

 ギルドの安仕事も焼け石に水。

 このままじゃ、マジで干からびる。


「なあジジイ、春になったのに俺の財布だけ冬眠してるんだけど」


『芽吹きには時間がかかるものじゃ。節約を学べ、若者よ』


「節約神、黙っててくれ……」


 空腹を抱えたまま、俺は屋根裏部屋を出た。

 春風が隙間から吹き込み、木の階段をきしませながら外へ出る。

 街路の花壇には黄色い花が咲き、子どもたちの笑い声が風に乗って流れてくる。

 世界はこんなに春なのに、俺の財布は氷河期。

 悲しい現実をかみしめつつ、ギルドの扉を押し開けた。



「おはようございます、シゲルさん! 今日も財布が軽そうですね!」


 朝からセリナが明るすぎる。殺傷力の高い挨拶だ。


「せめて“お元気そうですね”とか言ってくれない?」


「だって顔がもう“お金ないです”って書いてますし」


 俺と財布は、セリナの挨拶で瀕死の重傷負う。

 なにはともあれ、仕事をしないと。

 すがる気持ちでカウンターの上に並んだ依頼票を見ると、ひときわ目を引く紙があった。


「牧場の修繕と護衛、報酬金貨二枚!」


「おっ、いい仕事だな」


「ただし、日帰りで力仕事ですけど!」


「……力仕事の三文字が重い」


 ちょうど隣の席で書類を束ねていたリオナが顔を上げる。

「ちょうどいいんじゃない? 冬の間、運動してなかったでしょ」


「……痛いとこ突くな」


「報酬も悪くないし、春一番の仕事よ。行くでしょ?」


「……働く、か。人並みに」


 その一言が、俺の春の始まりだった。



 郊外の牧場に着くと、春風が頬を撫でた。

 丘には若草が芽吹き、牛たちがのんびりと草を食べている。

 空はどこまでも青く、風の流れが気持ちいい。


「ここが依頼主の牧場ね」


「ああ……春って、こういう匂いだったんだな」


「あんた、寒いからって屋根裏に籠もってるから気付かないのよ」


「……ごもっともです」


 見ると、木の柵がいくつも壊れており、修繕が必要な状態だった。

 牧場主のボルンが頭を掻きながら出てくる。


「いやぁ助かるよ。最近、風が強くてな。牛が落ち着かんのだ」


「了解です」


 俺とリオナは工具を受け取り、杭を打ち直し始めた。

 最初は平和だった。

 春の陽気のなか、仕事って意外と悪くない――と思ったのも束の間。


「……地味にきついなこれ」


「冬の間サボってた分よ」


 リオナは笑ってハンマーを振るい、俺は肩で息をする。


 そのとき、泥まみれの子牛が柵を突き破って暴れた。


「お、おい止まれぇ!」


 リオナが叫ぶ。

 俺はとっさに子牛を押さえ込み、全身泥だらけに。


「……これ洗わないと」


「魔法でパパッとできないの?」


「……あー、なんで俺が魔法を使える前提なんだ?」


「へぇ、意外ととぼけるのね」


「放っとけ……」


 仕方なく桶の水で泥を流す。

 風が頬を撫でる。春の風は心地いい――けど、冷たい。



 昼過ぎ、風が変わった。

 ぴん、と張り詰めた空気が肌を刺す。


「……リオナ、何か来る」


「うん、風の匂いが違う」


 丘の上に銀の影。

 風牙ウルフだ。

 体毛が逆立ち、風の刃が走る。


「B級魔物!? なんでこんなところに!」


「そんなの聞かれても!」


 リオナが剣を構え、俺は横へ走る。

 けど、着衣のままでは魔法は発動しない。

 心の中で、俺は静かに腹を括った。


「働く男、覚悟を見せる時か……」


 干し草小屋の影へ飛び込み、服を脱ぎ捨てる。

 春風が肌をなで、春の日差しが眩しい。


〈スキル モザイク〉

 顔と股間をモザイクが覆う。股間のモザイクは細かい。


 よし、財布の糧になれ!

風槍(ウィンドランス)


 空気が収束し、風の槍がウルフを貫く。

 爆風が巻き起こり、干し草が舞い上がった。

 服も、当然、一緒に。


「ちょっ!? また脱いでる!?」


「違う、飛ばされたんだ!」


「結果は同じでしょ!」


 ウルフは地面に叩きつけられ、動かなくなる。

 黒い靄が風に混じり、遠くへ流れて消えた。


 戦闘後、牧場主が頭を下げた。

「助かったよ兄ちゃん。……あんた、服は?」


「風の仕業です」


「……そ、そうか。風って怖ぇな」


 リオナが呆れ顔で肩をすくめる。

「もう、あんたが一番怖いわよ」


「褒め言葉として受け取っとく」


 報酬の金貨二枚を受け取り、財布が少しだけ温かくなる。

 夕暮れの風は穏やかで、牧場の草が金色に揺れていた。


「働くって、悪くないな」


「脱がずに済めば最高ね」


 俺は苦笑しながら空を見上げる。


 春の風の中に、ほんの一瞬、黒い影が揺らめいた。

 けれど、それに気づいたのは、きっと俺だけだった。



 ――こうして俺の異世界生活、第一章は静かに幕を閉じた。

 働いて、食って、ときどき脱いで。

 思えば、転がり込んだ屋根裏の天井の下にも、ちゃんと“日常”ってやつはあったんだな。


 ……問題は、この平和がいつまで続くかってことだけどな。


(第1章 完)

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