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第19話 風下のざわめき

 朝、屋根裏の隙間から差し込む光がまぶしかった。

 寒さで鍋のスープは凍り、俺は鼻をすすりながら立ち上がる。


「……あー、今日も貧乏が染みるな」


 扉を開けると、通りの向こうでパンをかじるリオナの姿があった。


「おはよう、貧乏顔」


「おはよう、毒舌」


 軽く手を上げて笑うと、リオナはじっと俺を見た。


「……ねえ、最近一人で喋ってない?」


「寝言だ! 寝言だから!」


 あぶない。ジジイ(神)と話してたのがバレるところだった。



 ギルドに向かう途中、通りの風が妙に逆方向に吹いていた。

 旗が逆立ち、パン屋の看板がゆらゆらと揺れる。


「風、変じゃない?」


「そうか? 俺の寝癖のほうが変だと思うけど」


「……そうね、確かに」


 納得するなよ。


 その瞬間、パン屋の屋根の旗が強く煽られ――一瞬だけ白く光った。

 目を瞬かせた次の瞬間、突風が吹き荒れ、露店の果物が宙を舞う。


「おい、帽子が飛んだー!」


「ぎゃー! パンが!」


「おいおい、また俺が拾う係かよ!」


 リオナと一緒に走り回り、転がる木箱や吹き飛ぶ布を押さえる。

 髪が乱れ、砂ぼこりが舞い上がる。

 風の音が低く唸り、まるで誰かが笑っているようだった。


「リオナ、屋台を押さえろ!」


「了解!」


 二人で力を合わせ、倒れかけた屋台を支える。

 パンの香ばしい匂いがふわっと戻ってきたとき――風は、嘘みたいに止まった。


「……収まった?」


「どうやらな」


 振り返ると、通りの人々が拍手をしていた。


「さすがだ! 風退治の勇者さまだ!」


「やめろ、それ流行らせるな!」


 リオナが肩をすくめて笑う。

「もう名物ね、シゲル。光らないだけマシじゃない?」


「うるせぇ……」



 昼過ぎのギルドはいつもよりざわついていた。

 セリナがカウンター越しに手を振る。


「おかえりなさーい、風の勇者さん!」


「だからその呼び方やめろって!」


 奥の机では、マリアが冷静に書類を整理していた。

「例の突風事件、被害は軽微。ですが――」


 マリアが数枚の報告書を並べた。


「西方の農村でも、“黒い風”が作物を枯らす報告が相次いでいます」


「黒い風……?」


 リオナが眉をひそめる。


「原因は?」


「現状不明。ですが、魔力の偏りが観測されています」


 俺は思わず息を飲んだ。

 黒い風……嫌な予感しかしない。


「その……風って、光ったりとかしてないですよね?」


「光?」


「いや、なんでも。日当たり的な、あれです」


「意味がわかりません」

 マリアの冷たい視線が刺さる。


 リオナが苦笑して肩をすくめた。

「まあまあ、シゲルは風にも嫌われてるから」


「お前も言うな!」


 ギルドの空気が少し和み、笑いが起きた。


 セリナが小声で囁く。

「でも、ほんとに風が喋ったら怖いですね」


「……それ、冗談じゃ済まない気がするんだよな」



 夕暮れの通りに戻ると、街の屋根の上を風がゆっくりと流れていた。

 空気の端がざわつく。

 遠くで子どもたちの笑い声が響く。

 俺はふと立ち止まり、つぶやいた。


「……この街、ほんとに落ち着かねぇな」


 屋根裏部屋に戻ると、毛布にくるまりながら俺は天井を見上げた。


「……黒い風、か。まさかお前の仕業じゃないよな、(ジジイ)


 静寂のみ……。

 しばらくして、どこからともなく声が響く。


『ふむ……ワシのものではない。風は、ワシにも逆らう時がある』


「風が逆らう? お前の管理甘くないか?」


『甘い方が世は回るのじゃ。おぬしも、服を着ておる時ぐらいは大人しくしておれ』


「そっちの管理も甘いだろ!」


 毛布を頭まで被ってため息をつく。


「……結局、答えになってねぇし」


――


 翌朝、通りのパン屋の旗がまた逆風に揺れていた。

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