第18話 稼がないとヤバい!
鼻の奥がツンと冷えた。
目を開けると白い息がふわっと広がる。
屋根裏の隙間風は、財布の中身と同じくらいスースーしていた。
金貨一枚、銀貨が数枚。
……終わってる。家計が、堂々と冬越し前に終わってる。
◇
白風亭の食堂に入ると、スープの湯気がやさしく鼻をくすぐった。
向かいでリオナがこちらを見上げる。
「どうしたの、その“最終話直前”みたいな顔」
「もうすぐ最終話を迎えるのは俺の財布だ」
「バカ。働きなさい」
「働きたい。けど依頼が便所掃除とゴミ拾いしか無かった」
「……じゃあ私が紹介するわ。軽い護衛。稼ぎはそこそこ」
「女神かよ?」
「違うわ。現実の剣士よ」
そういうところ、ほんと助かる。
◇
ギルドに着くと、リオナが依頼票を一枚引き抜き、顎で合図した。
「町外れの倉庫から魔導素材の運搬。護衛は“軽装備可”」
「“軽”っていい言葉だな。心にやさしい」
「それ、フラグだから」
すると、横から丸い影が飛び込んできた。
「おお、あんたら! 前に世話になったバルドンだ!」
「お久しぶりです。儲かってますか」
「ぼちぼちとな! 今日は魔力石の搬入をたのむ。風が強い? 大丈夫大丈夫!」
いちばん信用できない“大丈夫”を聞いた気がする。
◇
荷車を押しつつ城門を抜ける。冬の始まりの風が頬を刺した。
「風、強くなってきたわね」
「季節風だろ。たぶん俺の財布にも吹いてる」
冗談を言い終わらないうちに、幌がバタバタ暴れ始める。
荷車全体がガタガタっと跳ねて、木箱がカタカタ鳴った。
低い唸りが耳の奥を痺れさせる。
嫌な音だ。機械が逆転するときのような……。
「幌、締めるわよ!」
「了解!」
ロープを引いた瞬間、木箱の隙間から青い光がチラッと滲んだ。
「……これ、鳴くような物か?」
「鳴くわけないでしょ! 魔導石が共鳴してる!」
さらに風が強くなる。
荷車がズズズ……と坂を勝手に登り始めた。
「おいおい! 動力付けた覚えないぞ!?」
「止めろぉぉぉ!」
バルドンが悲鳴を上げる。
「商売がふっ飛ぶ!」
「俺の人生もだよ!」
砂埃が巻き上がり、リオナのポニーテールがムチみたいに頬をバシン。
「痛っ! 今の何の攻撃!?」
「偶然よ! 集中!」
「はい!」
箱の蓋を少しこじ開け、内部を覗く。
配線――いや、魔力導線の角度が振動でズレて、循環路が逆向きにうねっている。
光が赤く脈打ち、“キィィン”と嫌な高音がする。
「爆発するぞ! 逃げろー!」とバルドン。
「軽く言うなって! 俺の心臓が爆ぜる!」
「シゲル、どうにかして!」
脱げば秒で終わるけど、人が見てる状況で全裸は俺の人生が爆ぜる!
落ち着け、俺には例の知恵がある。
現状を理解すれば、体は動く。
腰のベルトを外し、魔力導線の噛み合わせに“締め具”として噛ませる。
角度を風向きに合わせて微調整、導線の捩れを外側から矯正――
「……ここ。はい、回れ右」
金具を固定。
青白い光が一瞬だけ強まり、すうっと沈んだ。
高音が消える。箱は静かになり、ただの箱に戻った。
俺は肩で息をし、視線でリオナに“終わった”と伝える。
彼女は胸を上下させながら、小さく息を吐いた。
「……助かった」
「ふぅ……俺の知識を舐めんな」
「いまのが知識? ベルトで全部解決したけど」
「道具も知識」
その安堵の瞬間――
ストン。
腰を支えていたベルトは外したままだった。
ズボンが、礼儀正しく重力に従って足首までスルリ。
冬の風が、必要以上に涼しい。
「……」
「……」
リオナが目線だけ上げて、深くため息をつく。
「ねえシゲル。英雄気取りはいいけど、パンツ見えてるわよ」
「ち、違う! これは事故で! 事故だから!」
「“事故”って便利な言葉よね」
「見るなバルドン! 見世物じゃない!」
「す、すまん! 勇者さまが眩しくて!」
「眩しいのは俺の羞恥心だぁぁ!」
慌ててズボンを引き上げ、麻ひもで締める。
風がひゅうっと鳴いた。
空の端を、墨を薄く溶いたみたいな筋が一瞬横切った気がする。
……今の、ただの雲か? 風の悪戯? まあいいや。
今はズボンのほうが重大。
◇
日が落ちる頃、ギルドに報告を出し、袋を受け取った。
――銀貨三十枚。ずっしり。
「やるじゃないの、シゲル。まさか真面目に働くとは」
「俺だって働く。脱がずに働く」
『働いても脱がぬ勇者とは、珍品じゃのう』
「黙れ神!」
『では“ズボンの加護”を授けよう。決して落ちぬズボンじゃ』
「それはちょっと欲しい!」
リオナが不思議な顔をした。
俺はつられて苦笑い。
外では冬の風が、今度はやさしく街角を撫でていた。
稼いだ。座布団に、鍋に、次は毛布だ。
――生きていく、ってこういう計算の積み重ねか。
屋根裏へ戻る足取りは、少しだけ軽かった。




