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第17話 寒さと雨漏りと人の情け

 鼻の頭が冷たい。

 目を開けると、白い息がもわっと広がった。

 ……はい、寒い。


 ここは屋根裏。

 壁も薄いし、床板の隙間から風が容赦なく吹き上げてくる。

 昨夜のうちに「布団が恋しい」と思ったが、恋しくても布団はない。


「……火魔法で暖とるか……」


 寝ぼけたまま呟いて、我に返る。

 だめだ、服着てる。発動できねぇ。

 脱げば暖かい、という矛盾。

 異世界に来てからの俺の人生は、羞恥と矛盾でできている。


 とはいえ寒いものは寒い。


「……よし、運動だ。発熱だ」


 布団代わりの座布団を脇に置き、腕立て伏せを開始。


 ギシ、ギシギシ、ドタドタドタ!

 下の階から怒鳴り声が響く。

「おい! 地震か!?」


「す、すみません! 筋トレです!」


 屋根裏で筋トレって響くんだな……。



 昼には冷たい雨が降り始めた。

 しとしと音を立てながら、屋根のどこかからポタリと雫が落ちてくる。


「……雨漏りかよ」


 バケツも鍋もない。

 仕方なく皿で受けてみるが、角度が悪くて水が跳ねる。


「うわっ、冷たっ……!」


 そのとき、トントンと階段を上がる音。


「シゲルさーん、いますかー?」


 エマの声だ。よりによって今か。


「ま、待て! ちょ、ちょっとだけ待って!」


 慌てて皿を隅に寄せる。

 扉が開くと、満面の笑みのエマが顔を出した。


「お部屋、見せてください!」


「見せるほどのもんじゃないって!」


 けれど彼女は遠慮なく入ってきた。

 狭い屋根裏を見回して、目を輝かせる。


「わぁ……屋根裏部屋って、秘密基地みたい!」


「う、うん、まぁ……寒い秘密基地だけどな」


 ポタ、ポタ、と水滴が落ちる。

 エマはすぐにそれに気づいて、微笑んだ。


「あ、雨漏りしてるんですね。バケツ、貸しましょうか?」


「貸してくれるの!?」


「はいっ。うち、余ってますから!」


 天使か。


 そこへ、階段をドンと踏み鳴らす足音。


「シゲル、何してんのよ……って、エマ!?」

 リオナが現れた。


 目を見開き、部屋をぐるりと見回してから、無言で呟く。


「……サバイバルね」


「そんな感想言うなよ……」


「雨漏り、寒さ、寝床なし。どう見ても修行僧か何かでしょ」


「言われてみればそうだな……」


 俺が苦笑すると、リオナは腰に手を当てて言った。


「まったく。あんた、魔物より生活に負けそうね」


「耳が痛ぇ……」



 夕方。白風亭の食堂で、リオナとエマと一緒に夕食を食べる。

 焼きたてのパンから湯気が上がり、あたたかい匂いが鼻をくすぐる。


「鍋くらい買いなさいよ」

 リオナがスプーンをくるくる回す。


「いや、金が……」


「言い訳禁止。生活は戦いなのよ」


「勇者ってもっと派手な戦いするもんだと思ってた」


「屋根裏勇者ね」


「やめろその称号」


 エマがくすっと笑い、言った。

「シゲルさん、うちの倉庫に古い鍋ありますよ。使ってください」


「え、いいのか!?」


「もちろんです! 取っ手、ちょっと曲がってますけど!」


「大丈夫、俺も人生曲がってるし」


 そんなことを言って笑い合った、そのとき。


 ――ゴォォォ


 外で強い風が吹いた。窓がガタガタと震える。

 パン屋の看板がクルクル回り、夜の街を黒い影がかすめる。

 ほんの一瞬、空気がざらりと冷たくなった。


『……ふむ、風がまた騒いでおるな。ま、今はまだ“さざ波”程度じゃ』


「なんか言ったか?」


『いや、鍋の話じゃよ』


(ジジイ)の会話は、毎回ろくな内容がないな……」



 屋根裏に戻ると、エマにもらった中古の鍋が小さく光っていた。

 指先でそっと触れると、ほんのり温かい。

 俺は座布団に腰を下ろし、呟く。


「……人って、支え合って生きるもんだな」


 ロウソクに火をつけようと指先に微かな魔力を込める。

 パチッと火花が散り、炎が灯る。

 ただ静かに、座布団に身を預け、つぶやいた。


「……暖かいって、幸せだな」


 ――その灯りの向こう、窓の外で黒い影がすうっと通り過ぎた。


 その夜、屋根裏の勇者は毛布もないまま、心地よく眠りについた。

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