第17話 寒さと雨漏りと人の情け
鼻の頭が冷たい。
目を開けると、白い息がもわっと広がった。
……はい、寒い。
ここは屋根裏。
壁も薄いし、床板の隙間から風が容赦なく吹き上げてくる。
昨夜のうちに「布団が恋しい」と思ったが、恋しくても布団はない。
「……火魔法で暖とるか……」
寝ぼけたまま呟いて、我に返る。
だめだ、服着てる。発動できねぇ。
脱げば暖かい、という矛盾。
異世界に来てからの俺の人生は、羞恥と矛盾でできている。
とはいえ寒いものは寒い。
「……よし、運動だ。発熱だ」
布団代わりの座布団を脇に置き、腕立て伏せを開始。
ギシ、ギシギシ、ドタドタドタ!
下の階から怒鳴り声が響く。
「おい! 地震か!?」
「す、すみません! 筋トレです!」
屋根裏で筋トレって響くんだな……。
◇
昼には冷たい雨が降り始めた。
しとしと音を立てながら、屋根のどこかからポタリと雫が落ちてくる。
「……雨漏りかよ」
バケツも鍋もない。
仕方なく皿で受けてみるが、角度が悪くて水が跳ねる。
「うわっ、冷たっ……!」
そのとき、トントンと階段を上がる音。
「シゲルさーん、いますかー?」
エマの声だ。よりによって今か。
「ま、待て! ちょ、ちょっとだけ待って!」
慌てて皿を隅に寄せる。
扉が開くと、満面の笑みのエマが顔を出した。
「お部屋、見せてください!」
「見せるほどのもんじゃないって!」
けれど彼女は遠慮なく入ってきた。
狭い屋根裏を見回して、目を輝かせる。
「わぁ……屋根裏部屋って、秘密基地みたい!」
「う、うん、まぁ……寒い秘密基地だけどな」
ポタ、ポタ、と水滴が落ちる。
エマはすぐにそれに気づいて、微笑んだ。
「あ、雨漏りしてるんですね。バケツ、貸しましょうか?」
「貸してくれるの!?」
「はいっ。うち、余ってますから!」
天使か。
そこへ、階段をドンと踏み鳴らす足音。
「シゲル、何してんのよ……って、エマ!?」
リオナが現れた。
目を見開き、部屋をぐるりと見回してから、無言で呟く。
「……サバイバルね」
「そんな感想言うなよ……」
「雨漏り、寒さ、寝床なし。どう見ても修行僧か何かでしょ」
「言われてみればそうだな……」
俺が苦笑すると、リオナは腰に手を当てて言った。
「まったく。あんた、魔物より生活に負けそうね」
「耳が痛ぇ……」
◇
夕方。白風亭の食堂で、リオナとエマと一緒に夕食を食べる。
焼きたてのパンから湯気が上がり、あたたかい匂いが鼻をくすぐる。
「鍋くらい買いなさいよ」
リオナがスプーンをくるくる回す。
「いや、金が……」
「言い訳禁止。生活は戦いなのよ」
「勇者ってもっと派手な戦いするもんだと思ってた」
「屋根裏勇者ね」
「やめろその称号」
エマがくすっと笑い、言った。
「シゲルさん、うちの倉庫に古い鍋ありますよ。使ってください」
「え、いいのか!?」
「もちろんです! 取っ手、ちょっと曲がってますけど!」
「大丈夫、俺も人生曲がってるし」
そんなことを言って笑い合った、そのとき。
――ゴォォォ
外で強い風が吹いた。窓がガタガタと震える。
パン屋の看板がクルクル回り、夜の街を黒い影がかすめる。
ほんの一瞬、空気がざらりと冷たくなった。
『……ふむ、風がまた騒いでおるな。ま、今はまだ“さざ波”程度じゃ』
「なんか言ったか?」
『いや、鍋の話じゃよ』
「神の会話は、毎回ろくな内容がないな……」
◇
屋根裏に戻ると、エマにもらった中古の鍋が小さく光っていた。
指先でそっと触れると、ほんのり温かい。
俺は座布団に腰を下ろし、呟く。
「……人って、支え合って生きるもんだな」
ロウソクに火をつけようと指先に微かな魔力を込める。
パチッと火花が散り、炎が灯る。
ただ静かに、座布団に身を預け、つぶやいた。
「……暖かいって、幸せだな」
――その灯りの向こう、窓の外で黒い影がすうっと通り過ぎた。
その夜、屋根裏の勇者は毛布もないまま、心地よく眠りについた。




