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第15話 平和と勇者まんじゅう

 パンの焼ける香りで目が覚めた。

 異世界に来てからというもの、朝のにおいで幸せを感じるようになったのは進歩だと思う。

 ただし、胃が拒否反応を起こすにおいだけは別だ。


「おはようございます、シゲルさん!」


 階下に降りると、白風亭の看板娘――エマが満面の笑みで袋を抱えていた。


「はいっ、“勇者まんじゅう”! 在庫がいっぱいあるので、食べ放題です!」


 テーブルに積まれた山。

 表面には、俺の顔に似たような――いや、似てない? いや、似てる?

 よくわからない笑顔が焼印で押されていた。


「……おいエマ。これ、まだ売ってたのか」


「はい! バルドン商会さんが在庫処分で全部置いていきました!」


「いや、押し付けていったんだろ、それ……」


 ガストンさんの渋い声が厨房から飛ぶ。


「味は悪くねぇんだがな。問題は顔だ」


「しかも皮が厚くて中身が少ない、まるで俺みたいだな……」


 ため息をついていると、リオナがやってきた。

 腰の剣を下ろして、椅子にどかっと座る。


「おはよう、勇者さま」


「やめろ、その呼び方は。胃が痛くなる」


「でも街の人、まだ呼んでるわよ。“光る勇者”って」


「だから光ってねぇんだよ、あれは反射だって……」


 言い訳しても信じてくれない。

 “勇者ブーム”の余波はまだ街に残っていた。

 とはいえ、以前の混乱と比べれば、いまの街は穏やかそのものだ。



 昼前、ギルドに顔を出す。

 ドアを開けた瞬間、久々に静かな空気が迎えてくれた。

 紙束と香ばしいインクの匂い、受付の前には穏やかな列。

 これが俺の知ってる“平和なギルド”だ。


「おはようございます、シゲルさん」

 マリアが顔を上げ、微笑む。


「騒動のあと、依頼も落ち着いてきました」


「よかったです……街の空気、すっかり戻りましたね」


「ええ、“光る勇者”のおかげで」


「だから違うんですってば!」


 隣ではセリナが依頼札を整理していた。

「勇者関係の依頼、全部削除しました〜。代わりに“パン配達”が三枚増えてますけど」


「……なんかまた始まりそうで怖い」


 リオナが肩をすくめる。

「パンかまんじゅうか、どっちにしてもあんたに縁があるわね」


「勘弁してくれ、俺は炭水化物の加護なんて要らない……」



 昼下がりの市場は穏やかで、どこか懐かしい。

 空の青さ、パンの匂い、そして――


「勇者Tシャツ、一枚銀貨一枚!」


「光る勇者のフィギュア、半額だよー!」


 ……うん、完全には終息してなかった。

 店先の露店では、俺の顔を模した商品がまだ並んでいた。

 しかも微妙に出来が良い。腹が立つ。


「シゲル、ほら、似てるじゃない」


「リオナ、やめろ。笑うな。絶対買うな」


「ふふ、これ旅の記念に……」


「記念にするな! 燃やすぞ!」


 その時、子どもが勇者像を転がして遊んでいた。

 木製のそれは、俺の全裸モザイク姿を模している。

 しかもモザイク部分が光るギミック付き。


「なぁ……あれ、楽しんでるか?」


「ううん、転がしてるだけね」


「……俺の尊厳も一緒に転がされてる気がする」


「いいじゃない。街が笑ってる。それで十分よ」


 リオナの言葉は、どこかあたたかかった。



 夕方、白風亭の屋根の上で、俺は夕陽を見ていた。

 赤い光が街を包み、煙突から上がる煙がゆるやかに流れていく。

 リオナが隣に腰を下ろす。

「いい夕陽ね」


「うん。事件がないって、こんなに静かなんだな」


「静かすぎて、逆に落ち着かないでしょ?」


「……まぁ、否定はしない」


 彼女は笑って、袋から何かを取り出した。


「エマからもらった“勇者まんじゅう”。最後の一個」


「胃が……胃がもう無理だ」


「そう言わずに。これで全部終わりってことよ」


 俺は小さく笑って、まんじゅうを受け取った。

 沈みゆく夕陽の中、少し冷めた皮が指に張りつく。

 ああ、なんだかんだで――この街、悪くない。


『のう、シゲルよ』


「うわっ、出たな(ジジイ)!」


『平和な日々というのはの、退屈ゆえにこそ尊いのじゃ』


「……いいこと言ったと思ったけど、どうせオチあるだろ」


『うむ、“勇者まんじゅう味の胃薬”でも授けようかと思ってな』


「いらねぇぇぇぇ!」


 屋根の上で、リオナが笑ってる。

 夕陽の赤が二人の顔を染める。

 街にようやく、ほんとうの“平和”が戻ってきた気がした。



 夜、白風亭の窓辺で、俺は手帳を開いた。

 “冒険者生活、二十七日目。収入、金貨十二枚。胃もたれ、一日半。”


 ペンを置き、ふっと笑う。

 人に笑われて、恥ずかしくて、それでも――

 この街で生きるのも、悪くない。

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