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第14話 勇者ビジネスと暴走商人

 パンの甘い匂いで目が覚めた。

 白風亭の朝はいつも忙しいけれど、今日は空気が少し違う。客席の隅に箱が積まれて、エマが笑顔で走り回っていた。


「シゲルさん! “勇者まんじゅう定食”できました!」


「……定食ってなんだよ。まんじゅうで腹を満たす勇者いるか?」


「今日は金粉のせ! “勇者の輝き”です!」


 胃袋がきらめくのは新体験だ。隣の席では旅人たちが楽しそうに話している。


「聞いたか? “光る勇者”はほんとにいたらしいぞ」


「ストーンリザードを一撃で、だってよ」


「しかも、全裸で――」


 最後のだけは焼却したい。スープを啜ってごまかすと、ガストンが鼻歌交じりに会計の札束を数えていた。

「売れるんだよ、これが。予約が止まらん」


「……ここ、宿屋だよな? 菓子問屋じゃないよな?」


 笑い声に紛れて、胸のどこかがちくりとする。

 悪い噂じゃない。

 たぶん、みんな元気になってる。

 それでも、“全裸の勇者”という語感は、朝から俺の尊厳に小さくパンチを入れてくる。


 腹を決めて外に出ると、街は祭りみたいだった。

 屋台ののぼりには「勇者の加護お守り」「勇者像(全裸Ver)」「ピカーッと光る石」

 ……ピカーッって何だ。


「……なんで裸推しなんだよ」


「逆に、なんで服着てると思うの?」

 隣でリオナが肩をすくめた。


「俺は……いや、俺は別に勇者じゃないし」


「誰もあんたがそうだなんて言ってないでしょ?」


「だよな! そうだよな! はは……」


 笑いながら、背中に嫌な汗がにじむ。

 視線が刺さるたび、モザイクのスイッチに手が伸びそうになる。

 あれは最後の手段だ。

 日中の街中でやる勇気はない。主に恥で死ぬ。


 広場の真ん中に、やたら立派な看板が立っていた。

 “勇者グッズ市場 主催:バルドン商会”。

 金縁、金文字、金の匂い。


 近づくと、腹の底に響くような声が飛んだ。


「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! “光る勇者”の加護を受けた奇跡の石! 恋愛運、金運、毛髪運、ぜーんぶ上がる!」


「毛髪運ってなんだよ……」


 声の主は丸々と太った中年。

 指には指輪が何重にもはまり、笑うたびに顎が波打つ。

 バルドン。名前は知っていた。金の匂いがするところに必ずいる男。


「これ、完全に便乗だよな」


「便乗どころか踏み台ね」

 リオナの目が笑っていなくて、少し安心する。

 俺だけが怒ってるわけじゃない。



 昼過ぎにギルドに行くと、カウンターに小さな勇者像が鎮座していた。

 いや、なんで腰にだけふわっと布巻いてるんだ。

 逆にいやらしいだろ。


「可愛いでしょ、これ!」

 と言いながら、セリナが抱えてる。


「“光る勇者くん”!」


「くん付けやめて……」


 マリアは冷静に書類を束ねながら、さらりとこぼす。


「バルドン商会が“勇者ブランド特許”を勝手に名乗っているようです。登録料を払えば、勇者の名を看板に掲げられるとか」


「勇者、意外と気軽だな……」


「ギルド未承認。放置すれば特許の公正性が崩れます」


 俺の肩がひとつため息をついた。

 正体を明かせば早い、のかもしれない。

 でも、その瞬間から俺の人生は“服を着た変態”の針のむしろ確定コースだ。

 嫌だ。全力で嫌だ。



 夕方、パン屋の前で若い母親が押し問答していた。


「昨日より高いわ! どういうこと?」


「材料費が上がったんだよ! 文句があるなら買うな!」


 値札には小さく“供給調整のため”と書いてある。

 要するに買い占めだ。

 バルドンが原料を抑え、値を吊り上げている。


 胸の真ん中が、ぐっと熱くなる。怒りは得意じゃない。

 でも、ああいう泣きそうな顔を見ると、体が勝手に前に出る。


「リオナ。……これ、止めないと」


「同意。殴るんじゃなくて、証拠で」


「もちろん。殴るのは最終手段だ」


 俺の“最終手段”はだいたい服の問題を伴うが、今回は頭でやる。やれるなら。



 夜になると裏通りの倉庫街は、酒と油と嘘の匂いがする。

 バルドン商会の倉庫に張り付いて、入荷台帳と出荷箱を順番に眺めた。

 見張りの巡回に合わせて物陰に身を潜める。

 頭上では夜鳥が一声鳴き、街の灯が少し遠くなる。


「ここから先は俺が行く。リオナは入り口で見張っててくれ」


「一人で大丈夫?」


「派手なことはしない。見るだけだ」


 リオナは頷き、腰の剣に手を添えた。

「何かあったら、すぐ呼びなさいよ」


「了解。……たぶん呼ばないけど」


「そういう強がり、あとで後悔するやつよ」


 軽く笑い合ってから、俺は影のように倉庫の隙間に滑り込んだ。

 中には、箱が整然と積み上がっている。

 石、瓶、紙。見た目は完璧だ。

 だからこそ、確かめる必要がある。


 服を脱ぎ捨て、ズボンを下ろす。

 魔力が溢れ夜風をはね返す。


 箱に向かって掌をかざす。


 これは何だ?

鑑定(アプレイザル)


 視界の端に淡い文字が浮かぶ。

 魔力の流れ、材質、混ぜ物。

 勇者の加護石――中身は粗悪な魔石の屑に植物油を塗って光らせただけ。

 香水――ただの水。

 勇者像――鉄屑の芯に石膏、金粉は見た目だけ。


「……勇者の正体はゴミクズかよ」


 小声で毒を吐き、服を整えて外へ戻る。

 リオナが小走りで近づいてきて、俺の顔を覗き込んだ。


「どうだった?」


「全部偽物。金粉と油のハッタリだ」


「……思った以上に最低ね」


「勇者の名前は万能だな。皮肉な話だ」


「台帳を見たいわね」


「入口から二番目の机。鍵は……」


 見張りの足音が近づく。

 俺は身を伏せ、足音が通り過ぎるのを待った。

 心臓が少し速くなる。

 こういうドキドキは嫌いじゃない。

 裸の冷風に比べればよほど健康的だ。


「今だ」


 リオナが影みたいに滑っていく。

 しなやかな動き。

 剣を抜くより、こういう時のほうが彼女は獣だ。

 数息ののち、薄い帳簿が俺の手に落ちてきた。


 ページに目を走らせる。

 仕入単価と販売価格の落差。

 “供給調整費”の名目での上乗せ。

 ……賄賂の文字。

 官憲の一人の名前が、何度も出てくる。


「根が、深いな」


「でも、根は掴んだ」

 リオナの声が低くて、少しだけ頼もしい。俺たちはやれる。



 翌朝、ギルドの空き机に証拠を広げた。

 セリナは目を丸くし、マリアは黙って必要箇所に印をつけていく。

 段取りと文言はマリアが強い。

 俺は鑑定結果の注釈を付け、流れを整えた。


「官憲に出す」


「任せて」とリオナ。迷いがない。頼もしい。



 正午の鐘が三つ鳴って、城門のほうから鎧の音が響いた。

 通りの人波が割れ、槍を持った騎士たちがバルドン商会を囲む。

 俺は人垣の後ろから見た。出ていけば目立つ。

 今の俺に必要なのは、目立たない勇気だ。


「な、なんだ貴様ら! 営業の邪魔だ! わしは民を救って――」


「救ったのは自分の懐だろう」

 隊長が吐き捨てる。

 あの人、言い方がマリア寄りだな。


 次々と箱が開けられて、偽の中身が晒される。

 群衆のざわめきが怒りへ転じる。

 不安と期待でふくらんだ風船に、ひと針刺した音がした。


 バルドンは最後まで口を開き続けていた。

「誤解だ」「策謀だ」「わしは善意で」。

 誰かがため息をつき、誰かが笑い、誰かが肩の荷を降ろしたみたいな顔をした。


 俺は、少しだけ息を吐いた。裸じゃないのに、役に立てた。

 小さなことでも、いい。

 街の匂いが、ほんの少しだけ澄んだ気がした。



 夕方、白風亭の屋根に腰を下ろして、赤くなる空を眺めた。

 屋根瓦は日中の熱を抱いていて、背中にじんわり心地いい。

 下ではエマの笑い声、遠くでは露店の片付けの音。


「今日のあんた、ちょっと格好よかったわよ」

 隣にリオナが座った。


 わざとらしくない距離で、足をぶらぶらさせている。

 風が髪を揺らして、夕陽が輪郭に縁取りを描いた。


「“ちょっと”か」


「“かなり”って言うと調子に乗るでしょ?」


「乗らない。たぶん。いや、少しは」


「正直でよろしい」


 笑われて、俺も笑って、それから少し真面目な声で言った。


「恥ずかしいのは、やっぱり嫌だ。けど……誰かの役に立てたって思えるのは、悪くない」


「そういうの、勇気って言うのよ」


「全裸じゃない勇気ね」


「全裸じゃない勇気」


 声に出すと、少し照れくさい。けれど、その照れくささごと、夕焼けが包んでくれた。


『恥を隠し、智を使い、悪をくじく。うむ、新しい勇者像じゃな』


「出たな(ジジイ)!」


『“光る勇者”に“知恵の勇者”を重ねるのじゃ。商標登録もしておこうぞ』


「お前は今、この胸の余韻にまでビジネスを持ち込むのをやめろ!」


『では“余韻の勇者”で』


「黙れぇぇぇ!」


 屋根の上に俺の声が響き、下から「静かにー!」ってガストンの声が飛んできた。ごめん。


 空の端が群青に変わって、魔導灯が一つずつ灯っていく。

 昼間の喧騒が嘘みたいに、街がやさしい色に戻る。


 ああ。今日は、服を着たまま終われそうだ。いや、そこがゴールじゃないんだ。


 でも――それで、いい。今は、たぶん、それで。

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