表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/108

第107話 荷役としての、仕事の仕上げ

 鉄匙亭の朝は、日に日に静かになっていた。


 パンとスープの匂いは変わらない。

 木の椅子がきしむ音も、皿のぶつかる音も、いつも通りだ。


 違うのは、客の顔ぶれと、話の内容だった。


「王国の使者は、もう帰国したんだとよ」


「見張りは相変わらずきっちりだがな。交代の話ばっかり増えた」


「鉄工所も、鉄の街道も補修で、当分仕事は尽きねぇってさ」


 誰も「明日にでも戦だ」とは言わない。

 そのかわり、「どこをどう直すのか」という話ばかりが飛び交っている。


「……使者の人たち、本当に帰ったんですね」

 エルナが、パンをちぎりながらぽつりと言った。


「ああ、しっかり見送った」

 隣の席にいた兵士が、肩をすくめる。


「だからって、こっちもすぐに楽になるわけじゃねぇけどな。国境部隊の組み替えと、街道の点検と、帳簿の書き直し。紙面の上の戦は続く」

 その言い方に、どことなく慣れた諦めが混ざっていた。


「……空気が、だいぶ変わったわね」

 リオナが小さな声で言った。


「最初ここに来たときは、“勇者がどうの”“祟りがどうの”って話が多かったけど、今は“仕事をどう続けるか”って話ばっかり」


「ああ」

 俺はスープをすすりながらうなずく。


「勇者の噂だけで戦をはじめよう、って雰囲気じゃなくなった。みんな懐具合と炉の火力の方が、よっぽど気になるんだろ」


「懐具合って現実的ね」

 リオナが眉を寄せる。


「まあ、実際そうなんでしょうけど」

 エルナが苦笑したそのとき、テーブルの端を軽く叩く音がした。


「よう、今日も元気に雇われ荷役してくれるか」

 バルツがカップ片手に立っていた。


「やるさ。やらねぇと給金が減るからな」

 そう答えると、バルツはにやりと笑った。


「だったら朗報だ。今日もきっちり仕事がある。……ただし、今日でひと区切りだ」


「ひと区切り?」

 エルナが首をかしげる。


「どういうことですか?」


「国境部隊の臨時増員は、とりあえず今日までって話になった」

 バルツはパンをちぎりながら言った。


「炉の様子と街道の状態も落ち着いてきたんでな。これからは鉄工所と街道に増員して荷を運ぶそうだ。だから、お前ら三人の“雇われ荷役の契約”も、今日でいったん終わりってことになる」


 リオナが、パンを皿に戻した。

「この先は?」


「この先は、お前らの好きにしろって話だ」

 バルツはあっさりと言う。


「ガルダに残って別の仕事を探してもいい。王国側に戻るなら、国境までの荷を運ぶ分くらいは仕事をさせてやる」


「……ずいぶんあっさりしてるのね」


「仕事ってのはだいたいそんなもんだ」

 バルツは肩をすくめた。


「縁があればまた一緒に荷を運ぶ。縁が無ければ、名前だけ覚えて別の荷を運ぶ。それが嫌なら、どっかの城にでも仕えるこった」


 たしかに、その通りだ。


 ここまでだいぶ濃い時間を過ごした気がしていたが、

 最初の約束は「国境まわりの臨時の荷役を手伝う」だけだ。


「……どうする?」

 リオナが俺を見る。


「ここでずっと荷役するって選択も、なくはないけど」


「エルステンさんにも、“報告”をした方がいいですね」

 エルナが真面目な顔になる。


「勇者のことも、グラナードのことも、王国側に帰って話す仕事が残っています」


「ああ」

 俺は、パンをもう一口かじってから言った。


「ガルダでの仕事は、ひとまずここまでだろ。ここから先は、王国に戻って片付けねぇと」


「じゃあ、決まりね」

 リオナがうなずく。


「今日で荷役の仕事を辞めて、バルツの荷馬車で王国の国境まで戻る」


「そういうことだ」

 バルツはカップを飲み干した。


「午前は鉄工所と倉庫。午後はハルト商会だ。エルステンが“締めの話をしたい”とよ。荷役らしく、最後まで荷を運んでから別れの挨拶に行け」


「了解」


 短く答えて、俺たちは残りのパンを口に運んだ。



 午前中の仕事は、いつもとあまり変わらなかった。


 鉄工所に資材を運び、補修用の材料を降ろす。

 砦行きの荷を倉庫から運ぶ。


 違うのは、鉄工所の連中の顔が、少しだけ柔らかくなっていることだ。


「おう、荷役。例の“床の揺れにうるさいやつ”らが来たぞ」


「昨日は助かった。炉は、まだちゃんと稼働してる」


 そう声をかけられるたびに、

 俺は「ただの荷役だ」と繰り返し答えた。


「昨日も言ったが、決めたのは主任だからな。俺は床の様子をちょっと口にしただけだ」


「そういう事に気づくやつが、現場には必要なんだよ」

 年長の職人が笑う。


「また荷があったら頼む。今度は炉がもう少し機嫌良くなってるはずだ」

 そう言って、俺たちを送り出してくれた。


 倉庫でも、砦行きの荷を渡す兵士が、「今日で最後か」と残念そうにしながら、「お前らが居たおかげで、こっちは少し楽ができた」と笑ってくれた。


 ……どこへ行っても、俺たちは最後まで「荷役三人組」として扱われている。


 それが、妙にありがたかった。



 午後になり、俺たちはバルツの荷馬車で、ハルト商会へと向かった。


 半地下の応接室に下りると、紙とインクの匂いに混じって、少しだけ乾いた鉄の匂いがした。


 エルステンは、いつものように地図の前に立っている。

 ただ、その表情は前よりいくぶん柔らかい。


「来たか。座れ」

 短くそう言うと、机の上の書類をどける。


「まず、国境の話をしよう」

 俺たちが腰を下ろすと同時に、エルステンは手元の地図をめくった。


「国境部隊の配置は、少しずつ組み替えられている。だが、今のところ“すぐ戦になります”って空気ではない」


「にらみ合いは続くけど、すぐには動かない……って感じですね」

 エルナが言う。


「ああ」

 エルステンは地図の国境線を指でなぞった。


「見張りの持ち場を少し動かし、街道を延ばし、砦の倉庫を増やす。“長くにらみ合いを続けるための準備”が、書類の上でも現場でも進んでいる」


 彼は指を止め、こちらを見た。


「炉の話も届いてきた。火力を無理に強くせず、補修を優先する方針が、上の方とも共有された」


 リオナが目を瞬いた。

「そんなことまで伝わってくるんですか?」


「国境を守る側にとって、炉と街道は命綱だからな。“ここで炉と道を壊すな”って話は、真っ先に回ってくる」


 エルステンは、ふっと笑った。

「“床の揺れに気が付く荷役がいて助かった”って噂も、少し混ざってたがな」


「……余計な噂までセットかよ」

 思わず顔をしかめると、エルステンは肩をすくめた。


「悪い噂じゃない。勇者の噂よりは、よっぽどまともだ」


 そこで、指先で別の紙を引き寄せる。

「勇者の話は、この数日ほとんど聞かない」


 それは、ここに来てから一番落ち着いた声だった。

「酒場で酔っぱらいが“裸の祟り”を持ち出して笑うことはある。だが、素面で国境の話をする時に“勇者がどうの”なんて言い出す奴は、今はいない」


 エルナが、小さく息をついた。

「よかった……」


「俺にとっても、仕事がしやすくなった」

 エルステンは淡々と続ける。


「国境の話をする時に、祟りがどうとか、全裸がどうとかは、混ざってこない方がいい。そういうのは、酒の席だけで十分だ」


「噂を焚きつけてた連中は?」

 リオナが尋ねた。


 エルステンは、首を横に振った。

「相変わらず、名前は分からない」


 胸の中で、男の名前が浮かぶ。


 グラナード。

 帝国から逃げ込んだ元参謀。

 噂を焚きつけて、人と国の隙間を探す男。

 だが、その名前を口に出すことはない。


 ここではそれでいい。


「……少なくとも、この国境では、勇者の噂だけで戦にはならねぇ」


 俺は静かに言った。


「ここの経済を回してるのは、炉と道。あと帳簿と、エルステンの頭だけだろ」


「荷役のくせに、偉そうなことを言う」

 エルステンの口元が、少しだけ持ち上がる。


「だが、そうだ。ここではもう、“裸の勇者”は戦争の札にはならない。その確認ができただけでも、俺には十分だ」


 そう言うと、机の引き出しを一つ開けた。

「これは、お前たちに渡しておく」


 出てきたのは、封蝋のされた数通の書状だった。


「リーベル王国の商人と、ギルドに通じている何人かへの紹介状だ。ガルダの鉄の状況、街道の話、国境のにらみ合いの現状を書き添えてある」


「いいんですか? こんなものを預かって」

 エルナが目を丸くする。


「本来なら俺が持っていくべきだが、こっちの仕事も残ってる。それに、お前たちは自分の目で鉄工所や街道を見てきた。俺の言葉だけより、伝わるものもあるだろう」


 封筒を三通、俺たちの前に置く。


「名前は不明だが、帝国から流れてきた“何者か”が、この国境で火種を撒いていたことも書いた。ただし、あくまで“噂を弄ぶ連中”って書き方でな」


 グラナードという名は、やはりどこにもない。


「……助かります」

 エルナが深く頭を下げる。


「王国側に、ちゃんと届けます」


「頼んだ」

 エルステンは軽く手を振った。


「お前たちには、荷を運んでもらった上に、余計な話まで運んでもらったからな。そのお返しと思っておけ」


「運んだのは、荷と噂と床の揺れくらいだろ」

 俺がそう言うと、エルステンは鼻で笑った。


「荷役にしては運びすぎだ。……だからこそ、“勇者”にはする気はないがな」


 その言葉に、思わず笑ってしまう。


「それでいいさ。ここで勇者扱いされたら、今度はガルダまで巻き込む羽目になる」


「そういうところは分かってるみたいだな」


 エルステンは立ち上がり、手を差し出した。

「また荷を運びたくなったら来い。そのときは、勇者じゃなくて荷役として雇ってやる」


「そっちの方が、性に合ってるかもしれねぇな」

 差し出された手を握り返す。


 短い握手だったが、それで十分だった。



 夜の鉄匙亭は、いつもより少しにぎやかだった。


「明日で、あの三人組もおしまいか」


「砦と工房の間をよく走ってたな」


「床の揺れに気が付く荷役と、口の回る剣士と、やたら丁寧な祈り手」


 俺たちが食堂に入ると、何人かが声をかけてきた。


「送別会、ってほどじゃないがよ」

 カウンターの内側から、主人が笑う。


「バルツが“どうせなら一緒に飲ませろ”ってうるさくてな。スープだけ、少し具を増やしておいた」


「ありがたい話だな」


 椅子に腰を下ろすと、鉄工所の若手と年長の職人、それに砦帰りの兵が何人か、近くの席に陣取った。


「お前ら、明日で本当に帰っちまうのか」

 若手が、カップを片手に言った。


「もうちょっと炉の床の揺れを見てってくれてもいいんだぜ?」


「床の揺れを見るのは、あんたたちの仕事でしょ」

 リオナが笑う。


「ここから先は、自分たちでちゃんと火加減見なさいよ」


「分かってるよ」

 若手は頭を掻いた。


「主任にも、こっぴどく言われたしな。“止める勇気を持てねぇ奴は、火力を強くする資格もねぇ”って」


「いい上司ですね」

 エルナが微笑む。


「国境は、そういう人たちに守られてるんだと思います」


「お前らもな」

 今度は砦の兵が口を開いた。


「勇者が来るって噂だけ広がって、何もしないまま来られたら、こっちはどうしようもなかった。けど実際に来たのは、勇者じゃなくて荷役三人組で、結果としてはその方が都合が良かった」


「それは褒めてんのか?」

 思わず眉をひそめると、兵は笑った。


「もちろん褒めてるさ。裸の勇者なんて本当に来たら、揉め事が増える」


「そこかよ」


 周りが笑いに包まれる。


 そのタイミングで、バルツがカップを掲げた。


「聞いたか、お前ら。裸の勇者の代わりに、地味な荷役三人が国境を少し持たせたって話だ」


「やめてくださいよ、そういうまとめ方」

 エルナが慌てて手を振る。


「私たち、ただの雇われ荷役ですから」


「そうだそうだ」


 誰かが茶々を入れる。


「なぁシゲル、本当は勇者じゃねぇだろうな?」


「勇者だったら、こんな安い宿で毎日パンかじってねぇだろ」


 即答すると、テーブルのあちこちから笑いが起きた。


「勇者様ってのはな、もっといい飯といい部屋で寝てんだよ。こんな三人部屋で、ひしめき合って寝ねぇだろ」


「それもそうだな」

 兵が腹を抱えて笑う。


「じゃあ安心だ。“裸の勇者”はやっぱり噂だけってことでいい」


 それで、この場で勇者の話は終わった。


 軽い冗談として扱われて、

 誰も本気で「本物がいるかどうか」を気にしていない。


 それが、なによりありがたかった。



 夜。三人部屋に戻ると、窓の外には砦の灯りが小さく見えた。


 昼間より少し少ないが、ちゃんとそこにある。


「……この街では、一回も魔法の出番がなかったわね」

 荷物の整理をしながら、リオナが言った。


「戦闘らしい戦闘もなかったし。せいぜい荷物と炉と床を相手に、あんたが頭を使ってただけ」


「頭を使ったなんて言えるほどじゃねぇよ」

 腰を下ろし、ブーツを脱ぐ。


「勇者の噂を戦争から外すって話だったからな。ここで脱いで魔法ぶっ放したら、前提からひっくり返る」


「はい」

 エルナが、きちんと座り直してうなずく。


「この街では、“勇者じゃなくてもできること”が、たくさんあったと思います。荷を運んで、話を運んで、炉を壊さないようにして。それで国境のにらみ合いが、少し穏やかになったなら……」


「それでいいわね」

 リオナが肩を回す。


「ここは、そういう終わり方でいいと思う」


 窓の外に目をやる。


 砦の灯りの向こうには、国境の線がある。

 向こう側には、リーベルの土地が続いている。


『ここじゃ、“荷役のシゲル”で終わる』

 心の中で、改めてそう決めた。


『勇者は、また別の場所でやればいい。ここでの働きくらい、脱がずに済んでも罰は当たらねぇだろ』


「明日は、バルツの荷馬車で国境まで戻るんでしたね」

 エルナの声が現実に引き戻す。


「お願いしますって、もう頼んじゃいました」


「世話になりっぱなしね、ほんと」

 リオナが笑う。


「王国に戻ったら、今度はあっちでまた面倒が待ってるんでしょうけど」


「待ってるだろうな」

 俺はベッドに背を預けた。


「噂を撒く奴も、きっとここだけじゃねぇ。でも――」

 そこで、言葉を切る。


「ここを出るときに、“裸の勇者”を置き土産にしなくて済んだだけ、だいぶマシな旅路だと思う」


「「たしかに」」


 リオナとエルナが、ほぼ同時に笑った。


 部屋の灯りを落とすと、外の砦の灯りだけが、ちらちらと揺れている。


 その灯りが、にらみ合いを続ける国境のしるしであり、

 勇者ではなく荷役たちが運んだ「別の物語」のしるしでもあるような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ