第108話 国王への報告と、貿易再開の望み
国境への隧道は、行きと同じ場所を通る。
馬車の車輪が石を踏むたびに、石壁からひんやりした風が吹きつけてくる。
行きはそれが、やけに冷たく感じた気がした。
帰りは――少しだけ、ましに感じる。
「同じ隧道なのに、帰りはだいぶ楽に感じるわね」
帆布の隙間から外をのぞきながら、リオナがぼそっと言った。
「わかります」
エルナが膝の上で手を組み、小さくうなずく。
「行きは“捕まったらどうしよう”ってずっと思ってましたけど、今は“ちゃんと説明できるかな……”って、それだけです」
「それはそれで胃が痛くなんじゃねぇか」
俺は揺れる木箱に背を預け、苦笑する。
御者台では、バルツが門番とやり取りしていた。
「そっちの三人は?」
「ガルダ側で臨時の荷役してた連中だ。向こうの情報を持って、王都まで戻るそうだ」
「ガルダはどうだった?」
「相変わらずにらみ合いだな。ただ、砦では“持久戦の準備”ばっかりやってる。今すぐ手を出すより、炉と道を心配してる感じだ」
「こっちも似たようなもんだ。書類仕事と倉庫の荷作業ばっかり増えやがる」
門番の愚痴に、バルツが笑い声を返す。
その会話を聞きながら、俺は荷台の奥から石門の天井を見上げた。
――これで、勇者の噂で国境争いをする線は消えた。
ガルダでは、祟りだ勇者だと騒いでいた連中が、今は炉と道と倉庫の荷の心配をしている。
それだけで十分だろう。
◇
王都の城門が見えたとき、懐かしさと面倒くささが同時に襲ってきた。
「……やっぱり大きいわねぇ、王都の門って」
リオナが伸びをしながら言う。
「門を見ただけで、なんか紙とインクの匂いがしてくるの、気のせいじゃねぇよな」
「気のせいじゃないと思います」
エルナが、真顔でこくりとうなずいた。
「これから報告書が何枚も増えますから……」
「やめろ、現実を直視させるな」
そんなやり取りをしているうちに、荷馬車が王城の手前で止まった。
「ここまでだ」
御者台から降りてきたバルツが、いつもの薄笑いを浮かべる。
「この先は王様のお膝元だ。荷馬車ごと乗り込むのは、さすがに面倒だ」
「ここまで乗せてくれて、助かったぜ」
俺は手を差し出した。
「ガルダでもこっちでも、世話になりっぱなしだな」
「仕事だ」
バルツは短く握り返す。
「また荷があって、お前らの手が空いてたら、そのときは声をかける。今度は、もう少し割のいい仕事だといいな」
「そのときも、荷役の給金は渋るんでしょうけどね」
リオナがあきれたように言うと、バルツは肩をすくめた。
「金は回ってなんぼだ。俺を経由して、ちゃんと人の懐をぐるぐる回っていく」
「回しすぎなのよ、あなたの場合」
エルナがくすっと笑う。
バルツは軽く手を振ると、御者台に戻った。
「ほら、とっとと行け。王様を待たせると、こっちの仕事にも響く」
「了解」
俺たちは荷台から飛び降り、城門へ向き直った。
足もとに敷かれた石畳は、前にここを歩いたときと変わらない。
けれど、あのときと違って、胸の中には“持って帰る話”がある。
「……行くか」
「ええ」
「はい」
三人でうなずき合って、王城への道を歩き出した。
◇
謁見の間は、相変わらず広かった。
高い天井と、赤い絨毯。
両脇に並ぶ鎧姿の兵と槍。
その奥に、リーベル国王が座している。
「面を上げよ」
穏やかながら、よく通る声だ。
膝をついて頭を垂れたあと、顔を上げると、
王の左右には見覚えのある文官や騎士たちが並んでいる。
「戻りました、陛下」
俺は、一つ息を整えてから言った。
「ご命令の通り、ガルダ王国に渡り、グラナードが流した勇者の噂を利用した作戦を、失敗へと導いてきました」
王はしばし俺たちを見つめ、ゆっくりとうなずいた。
「詳しく聞こう」
そこから先は、ほとんど俺とエルナが話し、リオナが要所で補いを入れる形になった。
ガルダでの勇者の噂の扱い。
最初は、戦の切り札として使う空気もあったこと。
エルステンたちの働きで、それが少しずつ噂から消え、今は酒場の笑い話になっていること。
鉄工所の炉と鉄の街道の話。
砦も工房も、“戦いではなく、にらみ合いを続けるための準備”を優先していること。
そして――
「帝国から逃げ込んだ“誰か”については、ガルダでは名前こそ出しませんでしたが」
エルナが一歩前に出る。
「噂の焚きつけ方、火がつかなければ別の場所へ移るやり方は、グラナードの行動とよく似ていました」
「実際に見たことがあるのは、俺たちですから」
俺が引き継ぐ。
「噂で場を熱して、火がつきそうなら押し出す。火がつかねぇと見るや、さっさと別の国を探しに行く。あいつは、そういうやり口の男です」
王は目を細めた。
「つまり、やつの狙いは特定の国ではなく、“どこかで戦を起こすこと”そのものか」
「そう見て間違いねぇと思います」
俺はうなずく。
「ただ――少なくともガルダでは、勇者の噂を戦の切り札に使う筋書きは潰しました。あっちでは今、噂より鉄と道と倉庫の中身の方が大事になってます」
「こちらでも、それは調査票に表れております」
王の横に控えた文官が、手元の紙を差し出した。
「ガルダ側からの最近の文面には、“勇者”の文字は一つもありません。あるのは、鉄の増産と食料の足りなさ、街道の手入れの話ばかりです」
「貿易の停止か」
王は静かに言った。
「ガルダでは食糧が少なく、我が国では鉄が足りぬ。本来なら、互いの不足を埋めるために荷馬車が動くべきところだが……」
そこで、俺たちを見る。
「勇者の噂が生きたままなら、貿易の話を机上に乗せることすら難しかっただろうな」
「……はい」
エルナがうなずく。
「“祟り”や“勇者”で戦になってしまえば、食べ物や鉄の話に戻ることができなくなります」
「だが今、ガルダもリーベルも、抱えているのは鉄と食料の問題だ」
王は、わずかに表情を和らげた。
「お前たちが“噂による戦”を潰したことで、“商いの話”をもう一度机上に戻せる」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
俺たちがやったことは、荷を運んで、話を繋いだだけだ。
それでも、こうして誰かが「道を戻せる」と言ってくれるなら――
無駄じゃなかったと思える。
「エルステンとやらからの書状も確認した」
王は文官から封書の束を受け取り、軽く視線を落とす。
「ガルダ側の食料不足、我が国の鉄の需要。それらは、商人と文官が顔を突き合わせれば、やがて話が通じる」
顔を上げ、穏やかな視線を向けてくる。
「だが、噂の火を消すのは、机上ではできぬ。それをやってきたのは、お前たちだ」
隣で、リオナが小さく息をのむのが分かった。
「報酬を用意した」
王の合図で、騎士が一歩前に出て布袋を三つ運んでくる。
「三人ともよくやった、これは金銭の褒賞だ。当面の生活と、次の旅路の足しとせよ」
「も、もったいないお言葉です……!」
エルナが慌てて頭を下げる。
「それから――」
王は文官に目配せした。
「お前たち三人の名は、“ガルダとの開戦を未然に防ぎ、貿易再開の道を開いた功”として記録に残す」
そこで国王は、はっきりと言い添える。
「ただし、公式な記録に“勇者”の文字は記さぬ。噂は噂のまま終わった方がよい」
喉のどこかに刺さっていた小骨みたいなものが、そこで取れた気がした。
勇者の肩書なんて、これ以上増やさなくていい。
「派手な勲章より、金銭の褒賞の方がありがてぇです」
つい本音が口から出た。
「シゲル」
横からリオナが、小声で肘でつついてくる。
「陛下の前なんだから、もう少し言い方ってものを……」
「よい」
王がくすりと笑った。
「それでこそ、お前たちらしい」
そう言って、玉座から少し身を乗り出す。
「戦は、剣を交えた瞬間だけで決まるものではない。起きなかった戦、起きずに済んだ争いにも、名誉は与えられるべきだ」
その言葉は、思っていたよりずっと重みがあった。
「しばし休め」
王は締めくくるように言った。
「ガルダとの商いの筋は、我らが詰めよう。グラナードが次にどこで火種を起こすか――それは、また別の話だ」
「「「はっ」」」
三人で頭を垂れ、謁見の間をあとにした。
◇
その夜、王城近くの宿の食堂で、俺たちは久しぶりにまともな夕食を囲んでいた。
「……パンが柔らかいわね」
リオナが、感心したようにパンをちぎる。
「ガルダの鉄匙亭も悪くなかったけど、あっちはどうしても“労働者の飯”って感じだったもの」
「ガルダの人たち、食べ物の心配してましたよね」
エルナがスープをすくいながら言う。
「こっちはこっちで、鉄が足りないって話ばかりで……。どちらも困っているのに、荷が止まっているなんて、変な話です」
「だからこそだろ」
俺は椅子にもたれ、天井を見上げる。
「戦で門を閉じるんじゃなくて、荷車と商人が門を行き来するようになりゃ、それが一番だ」
「そうね」
リオナがふっと笑った。
「鉄と食べ物の話がちゃんとできれば、“あっちには勇者がいる”なんて話がなくて済むものね」
「はい」
エルナがうなずく。
「……私、嬉しかったです。陛下が、“噂の戦より商いの話を机上に戻せる”って言ってくださって」
「こっちとしては、あとは文官と商人にがんばってもらうだけだな」
俺は肩をすくめる。
「炉と道と倉庫の中身は、あっちの仕事だ。俺たちは、こっちでできることをやるだけだろ」
「そういうわりには、あんたまた巻き込まれそうよね」
リオナがじとっとした目を向けてくる。
「光る人影とか、黒い風とか、今回みたいな仕事とか」
「願わくば、少しは休ませてほしいもんだけどな」
スープを飲み干しながら答えると、
エルナが苦笑した。
「でも、今回は一度も魔法の出番がなかったんですよね」
「そういえばそうだったわね」
リオナがスプーンを止める。
「それはそれで信じられないわ。あんたが服を着たまま最後まで戻ってくるなんて」
「俺だって信じられんくらいだ」
外套の裾をつまんで見せる。
「この間まで、“脱がなきゃどうにもならねぇ状況”ばっかだったからな。今回は、ギリギリその手前で済んだって話だ」
「でも、戦の話が商いの話に変わったのは、シゲルさんが脱がなくて済んだからかもしれません」
エルナが真剣な顔をする。
「裸で神様みたいな力を見せてしまったら、きっとどこかでまた“勇者”って言葉が、戦の理由に使われてしまいますから」
「だから、脱がないで済んだのはいいことよ」
リオナも同意する。
「……まあ、次はどうなるか分からないけど」
「フラグ立てんな」
思わずツッコミが出た。
「そういうこと言うからだいたい脱ぐ羽目になるんだよ」
三人で笑い合ってから、食事はお開きになった。
「今日はもう休みましょう」
エルナが立ち上がる。
「明日は少しゆっくりできるんですよね?」
「ああ、さすがに明日すぐに新しい仕事ってことはねぇだろ」
そう言うと、リオナが「その言葉が一番フラグっぽいんだけど」とぼやきながら、二人は自室へと戻っていった。
◇
部屋に戻ると、俺はベッドに倒れ込む。
柔らかい寝具の感触に、全身から一気に力が抜けた。
「ここまで来て、一回も脱がなかったな……」
天井をぼんやり眺めながら呟いた。
「なぁ、神」
つい口から漏れたその言葉に――
『呼んだか』
耳の奥に、聞き慣れた声が返ってきた。
「……生きてたか」
『わしは死なんわ』
神の声は、相変わらず呑気だ。
『お前が全裸にならんから、口を出す事もなかっただけじゃ。わしの主な仕事は“全裸モザイク勇者の観察”じゃからの』
「そんな担当でいいのかよ、神」
『案外忙しいんじゃぞ』
くくっと笑う気配がする。
『まあええ。脱がんかったくせに、一つ戦を減らして、一つ商いの道を戻したんじゃ。たまには、そういうのも悪くない』
「……珍しく素直に褒めたな」
『たまにはの』
そこで、声が少しだけ遠のく。
『次がどうなるかは、わしにも読めん。じゃが、また見ておる』
「勝手に観察してろよ」
そう返すと、神の気配はふっと消えた。
部屋は静かになり、窓の外からはかすかな街のざわめきだけが聞こえてくる。
『戦が起きず、荷と商いだけが国境を行き来するなら――それで十分じゃねぇか』
心の中でそうまとめて、俺は目を閉じた。
こうして、長かった国境の一件は、
服を着たまま静かに幕を下ろした。
(第5章完)




