第100話 祟りの話に現場の声が混ざる時
鉄匙亭の朝は、今日もパンの匂いがしていた。
焼き加減は相変わらずだが、空腹の俺には十分だ。
塩味の薄いスープと、がやがやした客の声。
そんな中に、やっぱり今日も「勇者」の二文字が混ざっている。
「鉄工所の火事な、あれ勇者の祟りなんだとよ」
「でもよ、炉がずいぶん古かったって話もあるぜ。ほら、前から“煙突が変だ”って言ってたろ」
「街道だってそうだ。勇者に祟られて荒れたって言うがな、荷を積み過ぎだってロシュの親父は前から文句を言ってた」
「まあ、“祟り”って言っといた方が酒がうまいんだけどな!」
笑い声と一緒に、パン屑が舞った。
前はもっと単純だった。「勇者の祟りだ」で全部終わっていた。
今はその後ろに、「古い炉」「荷を積みすぎ」「文句を言ってた」という余計な言葉がくっついている。
「……なんか話が混ざってきたな」
思わず漏らした俺の言葉に、向かいのリオナがスープから顔を上げる。
「何が?」
「祟り話の中身だよ。前は“勇者が悪い”で終わってたのに、今は炉だの荷だのがくっついてんだろ」
「ああ、そうね」
リオナは周りの卓をさっと眺める。
「“勇者の祟りで全部ひどくなった”って話から、“勇者の祟りに、元から無茶してたって話が乗っかってる”って感じに変わってきてる」
「エルステンさんの“仕事”が始まってるってことですね」
エルナが、パンをちぎりながら言った。
「鉄工所と鉄の街道の話が、ちゃんと人々に届いてるのかもしれません」
「噂の方も忙しいな」
俺はパンを口に運びながら、内心で苦笑する。
「祟りだの炉だの荷だの、よくもまあ一緒くたにして話せるもんだ」
「噂なんてそういうもんよ。細かく分けて広がる方が少ないわ」
「その通りだな」
横から割り込む声がした。
隣の卓で芋をかじっていたバルツが、こちらを見ている。
「噂がちょっと変わったからって、戦が止まるわけじゃねぇし、上の連中の腹が黒いのも変わらねぇ」
「分かってるよ」
「ただな」
バルツは芋を皿に戻し、顎で周囲を指した。
「“勇者の祟りだー!”って叫んでた連中が、“炉が古かったらしい”“荷が重すぎたらしい”って言い始めてる。現場の話が酒の肴に乗っただけ、まだマシだ」
「マシ、ですか」
エルナが首をかしげる。
「何も知らねぇのに、祟りだ祟りだって言ってるよりはな」
バルツは立ち上がり、手をぱん、と払った。
「で、勇者様ご一行」
「やめろ」
「今日は勇者でも何でもねぇ、“ただの雇われ荷役”の仕事だ」
バルツが指を三本立てる。
「城壁の中で荷物を二往復。砦の近くでもう一往復。戦の噂も祟りも関係ねぇ、ただの荷運びだ。文句言うな」
「言ってねぇよ」
「じゃ、食べたら行くわよ」
リオナがスープを飲み干し、椅子から立ち上がる。
エルナも慌ててパンを口に押し込み、後を追う。
勇者の祟りだのなんだのと言われてても、今日の仕事はただの荷運びだ。
それなら、それでいい。
◇
砦町の中を、荷馬車の軋む音が行き来していた。
バルツの荷馬車は、そのうちの一台だ。
俺とリオナとエルナは、荷台の後ろで箱を押さえたり、荷降ろしを手伝ったりと、立派に『雇われ荷役』をやっていた。
「そっちは、もう少し右」
「はい!」
エルナが返事をして、布袋をずらす。
リオナが木箱を抱えて、店先に運んでいく。
鉄材、工具、干し肉、粉袋。
戦と直接は関係なさそうなものから、どう考えても戦の準備品という物まで、運ぶものは色々だ。
「……本気で、荷物運ぶだけなら向いてんじゃねぇか、俺」
思わずつぶやくと、リオナがすかさず振り向いた。
「何か言った?」
「いや、何も」
ここで「裸にならなくていい仕事の方が性に合ってる」とか言うと、絶対余計な噂話が広がる。
午前中の仕事が一段落した頃、バルツが手綱を引いて馬車を止めた。
「少し休むぞ」
ちょうど砦に近い路地だった。
あたりが妙にざわついている。
兵士が集まって話し込んでいたり、妙にきれいな鎧を着た連中が出入りしていたり。
門の方からも、人のざわめきが風に乗って届いてくる。
「あんら、聞いたか?」
近くで荷物を運んでいた別の商隊の男が、声をひそめながら近寄ってきた。
「今日の午後、王国から使者が来るって話だ」
「使者?」
エルナが小さく目を開く。
「停戦の話ですか、それとも……」
「さぁな。“勇者の顔を見に来るんじゃねぇか”とか、“条件を飲ませに来るんだ”とか、周りは好き勝手言ってるけどよ」
男は肩をすくめる。
「どっちにしろ、俺たちみたいな荷運びには関係ないさ。巻き込まれないように遠くから見てりゃいい」
そう言うと、男は去っていった。
別の場所では、自警団風の若い連中が固まって話していた。
「王国の使者か。どうせ“勇者を出せ”って言いに来るんだろ」
「この前の荷役どもも怪しいよな。王国の臭いがする」
一瞬だけ、視線がこちらをかすめる。
覚えのある顔も混じっていた。
国境の門で、「裸の勇者の噂」を嬉々として語っていた奴だ。
バルツが、俺たちの肩を軽く小突く。
「突っ立って見てると、余計な目で見られるぞ」
「分かってる」
「使者が何の用でくるかは知らねぇがな」
バルツは門の方を一度だけ見て、すぐ視線を外した。
「物語をでかくする連中は、たいてい上の者だ。お前らは今、“ここで荷物運んでる荷役”だってことを忘れんな」
「了解、親方」
リオナが軽く敬礼の真似をする。
「じゃ、午後の分もちゃっちゃと終わらせましょう」
「そうだな」
俺たちは再び荷台に乗り込み、砦町の中をもう一往復するために手綱の揺れに身を預けた。
門の向こうで何かが動き始めている気配を背中で感じながら。
◇
夜の鉄匙亭は、朝食の時より少しだけ静かだった。
酔いの回った笑い声と、遅い夕食の皿が運ばれる音。
勇者の噂も、朝食の時ほど熱気はないが、やっぱり消えてはいない。
「鉄工所の親方、ちょっと機嫌が良さそうだったって聞いたぞ」
「街道の方も、応援の人手が回ってくるかもしれねぇってさ」
そんな話も、ちらほら耳に入ってくる。
俺たちがいつもの卓で夕食をつついていると、入口の方がざわっとした。
「……来たな」
低い声がした方を見ると、階段を下りてくる細身の男が一人。
ハルト商会の男、エルステンだった。
「珍しいわね。ここまで来るなんて」
リオナが目を丸くする。
「お前たちをここから引っ張り出すと、余計に目立つからな」
エルステンは軽く肩をすくめる。
「ここなら、“宿の客と話している商人”に見える」
言ってることはもっともだ。
エルステンは俺の斜め向かいに腰を下ろし、卓の上を見回した。
「食事中か?」
「終わる頃だ。話なら聞ける」
「そうか」
彼は余計な前置きもなく、本題に入った。
「炉と道の話が、少しずつ広がり始めている」
「やっぱり?」
エルナが身を乗り出す。
「ここでも、“古い炉”“荷を積みすぎ”って言葉が出てました」
「商会筋でも、似たような話が出ている」
エルステンは静かに続ける。
「“勇者の祟り”一色だった連中の一部が、“そもそも炉が古すぎる”“道の整備が追いついていない”と言い始めた。ごくわずかだが、鉄工所や鉄の街道に人手を回せないかという話も出ている」
「じゃあ、親方さんやロシュさんの“困ってること”が、ちゃんと届き始めてるんですね」
エルナの声に、エルステンは小さく頷いた。
「確定した話じゃないがな。“祟りだから仕方がない”という言葉が、ほんの少しだけ減った」
「戦そのものは?」
リオナが尋ねる。
「止まる気配は、まだない」
その答えは早かった。
「だが、“勇者のせいで全部悪くなった”という形は、少し崩れ始めている。“元から危なかったところで、無茶をさせている”という話が混ざってきたからな」
「……何もしねぇよりは、だいぶマシだな」
俺は杯の中身を一口飲んでから、口を開いた。
「やってもねぇのに、俺の名前で現場を潰されるのはごめんだ。それが少しでも崩れるなら、それで十分だ」
「そう思うなら、今しばらくは“何もしない”でいてくれ」
エルステンの視線が、まっすぐ俺に向いた。
「何もしない、って……」
「昼間、砦が騒がしかったろう」
彼は軽く顎を上げる。
「王国から小さな使節団が来ている。条件の確認か、牽制か、別の駆け引きかはまだ分からない」
「勇者の話も、そこに出るんでしょうか」
エルナが聞く。
「おそらくな。向こうも“勇者の噂”を手札の一つとして見ているだろう」
エルステンは淡々と言う。
「ここでお前たちが動けば、“勇者と関係がある”と周りから見られる。それは今、あまり得策じゃない」
「じゃあ、どうすりゃいい」
「見ていろ」
一言だった。
「ここで暮らしている側の目で、砦町を見ていろ。勇者でも、使者でも、軍人でもなく、“雇われ荷役”としての目でな」
「……それで、何か変わるのか?」
「変わるかどうかなんて、いま決めなくていい」
エルステンは肩をすくめる。
「ただ、あとで話を聞くときに、“上っ面だけ見た話”しかなかったら困る。“ここで荷物を運んでいた目”で見たガルダの街の話を、俺は欲しい」
リオナがふっと笑う。
「動かないって決めるのも、けっこう勇気がいるわね」
「はい」
エルナが頷く。
「でも、“様子を見る時間”って大事です。教会でも、本当に動く前にはそういう時間がありました」
「それと同じだ」
エルステンは立ち上がり、椅子を引いた。
「勇者としてではなく、“ただの雇われ荷役”として見たガルダの街を、今度全部聞かせろ」
「聞いて楽しい話かどうかは、保証しねぇぞ」
「楽しいかどうかは聞いてから決める」
それだけ言って、エルステンは階段を上っていった。
扉が閉まる音がして、鉄匙亭のざわめきが戻ってくる。
「……しばらくは、ほんとに“何もしないで見てるだけ”になりそうね」
リオナが卓に肘をつきながら言う。
「荷物を運んで、飯を食って、噂を聞いて」
「それも、“物語の外側で生きてる時間”って感じがして、ちょっと好きです」
エルナが微笑む。
「祟りの勇者じゃなくて、“ただの雇われ荷役”としての時間」
「そうだな」
俺は手の中の杯を見つめる。
剣も抜かず、魔法も使わず、ただ街の中を歩いているだけの時間。
それがいつか、「あの頃こうやって見ていたから、物語を少し変えられた」と言える日につながるのかもしれない。
そうでなかったとしても――
「祟りの勇者なんかじゃなく、“現場の話を運ぶ荷役”でいられるうちは、まだマシってことにしとくか」
「それ、前よりは少し格好よくなってるわよ」
「やめろ、やっぱり鳥肌が立つ」
俺たちはそんな他愛もないやり取りをしながら、静かに夜を終えていった。
砦町のどこかで、明日の噂の種がもう育ち始めているのを、なんとなく感じながら。




