第1話 神の手違いと白い空間
俺の名は牟田下茂18歳の大学生だ。
コンビニに行こうとしたところで意識が途切れた……。
――そこは静寂だった。
音も風もない。
世界が停止したような、真っ白な空間。
目を覚ますと俺は何もない場所の真ん中に立っていた。
上下の感覚すら怪しく、まるで重力が俺だけを無視しているようだ。
夢か? それとも、死後の世界?
そう思った瞬間、脳裏に浮かんだのは、ネット小説好き大学生として積み上げてきた知識の数々。
「……あー、これアレだな。ラノベでよくある“異世界転生の前フリ”ってやつだ」
白い空間、謎の静寂、そして――そろそろ登場するであろう“美人女神”。
ここでテンプレ的に「あなたは選ばれました」とか「異世界で新たな人生を」なんて言われるやつだ。
「……ふふっ、来るぞ……たぶん金髪の女神だな……いや、銀髪か? エルフ系もありだな……」
ちょっとワクワクしながら俺は息を吸った。
――その瞬間、背後から眩しい光が差した。
白い光に包まれ柔らかな風が頬を撫でる。
荘厳な音楽のような響き。
完璧な演出だ。
「来た……っ!」
振り返ると。
そこにいたのは――白髪白髭、仙人みたいなジジイだった。
「……なんだ、ジジイかよ」
「む? 失礼な第一声じゃのう。人がせっかく荘厳に登場してやったというのに」
「普通この流れで出てくるのは美人女神だろ!?」
「こちらにも、いろいろ事情が有るのじゃ」
期待が粉々に砕け散った。
俺の胸の中のテンプレ幻想が、音を立てて崩れ落ちていく。
「まあ、女神希望はさておき――」
ジジイは長い髭をなでながら、少し気まずそうに言葉を濁した。
「実はのう……おぬしを呼んだのは、完全に手違いじゃ」
「……は?」
「隣の部屋の娘を呼ぶつもりだったのだが……転送帳の部屋番号を間違えての」
「おい、それ魂の郵便事故だぞ!?」
「うむ。実に不徳の致すところじゃ。その娘は心臓の病で、今日が寿命じゃった。……じゃが、おぬしを間違えて連れてきてしまったおかげで、その娘の病は癒えておる。今は元気じゃよ」
言葉に詰まった。
たしかに、隣の部屋の娘は入退院を繰り返していた。
偶然顔を合わせた時に、笑っていたけど……どこか儚げで。
「……そうか。あの子、助かったのか」
「うむ。まあ、結果オーライというやつじゃな」
神は軽く笑ったが、その笑顔の奥にわずかな罪悪感が見えた。
「とはいえ、勝手に魂を連れてきてしまったのはワシの落ち度じゃ。詫びとして、願いをひとつ叶えてやろう」
「……願い?」
「金でも力でも名誉でもよい。常識の範囲内での」
きた! これだ、完全にテンプレ通りだ! 心の中でガッツポーズ。
「じゃあ、異世界最強の魔法使いにしてくれ!」
「よかろう」
「えっ!? そんな簡単に願いを叶えるの!?」
次の瞬間、俺の体を光が包み、全身が軽くなる――と思ったら。
スースーする。
おかしい。やけに、風通しがいい。
見下ろした。
全裸だった。
「ちょっ……なんで裸!?」
「服を着ておると、魔力の流れが滞ってしまうのじゃ。裸の方が効率的に力を引き出せる」
「効率とか言うなああああ!」
神は困ったように眉を下げながらも、どこか楽しそうに言った。
「まあまあ、落ち着け。おまけでスキルもつけておいたから安心せい」
「どんなスキルだよ!」
「〈モザイク〉じゃ。発動すれば顔がぼやけ、身元がバレぬ」
「顔が隠れてても股間丸見えじゃ恥ずかしいだろ!」
「では、股間にもかけてやるわい」
光がまた瞬き、俺の下半身が一瞬だけ輝いた。
――が。
「……おい、顔より細かいモザイクってなんだよ! これ、目を細めたら見えそうじゃん!」
「うむ、芸術は細部に宿る」
「そんな芸術いらねぇぇぇ!」
俺の怒号が白い空間に虚しく反響した。
「まあまあ」
神は笑いながら、手をかざした。
床に布袋と服が現れる。
「当座の生活費じゃ。金貨十枚ほど入れておいた。当分は困らんはずじゃ」
「……十枚? 意外とケチだな」
「百枚など渡したら、ろくな人間にならん」
「説得力あるけどムカつく!」
布袋の横には、地味な旅人服が畳まれていた。
「ローブとかないのか?」
「派手なローブを着て魔法が使えないと恥ずかしいぞ」
「ぐぬぬ……」
神は楽しそうに笑う。
「ついでに異世界の常識も授けておこう。言葉も金の価値も、理解できるようにしておいた」
その瞬間、脳の奥で何かが開く感覚が走った。
世界の地名、通貨の価値、魔物の名前、生活習慣まで――
頭に流れ込む情報が多すぎて、思わず頭を押さえる。
「……これ、“常識”っていうより百科事典じゃね?」
「細かいことは気にするでない。ワシは大雑把な性格じゃからな」
「はぁ……頼むから最後だけはちゃんと頼むぞ」
「なんじゃ?」
「転送先は安全な場所にしてくれ」
神は目を細め、頷いた。
「うむ。なるべく柔らかい地面にしておこう」
「“なるべく”って言葉が怖ぇんだよ!」
光が再び強まり、足元が透けていく。
空気が震え、視界が真っ白に染まった。
「では行け、勇気と羞恥を背負う者よ!」
「その言い方やめろぉぉぉ!」
眩い光の中で、俺は叫んだ。
「頼む、せめてパンツだけでもーーー!」
白い空間が爆ぜる。
光の粒がはじけ、俺の姿は消えた。
残されたジジイ――神は、しばし静かに空間を見つめていた。
「……ふむ。間違いから始まる物語も、悪くはあるまい」
白髭を撫でながら、老神はゆっくりと笑った。
その笑みは、どこか楽しげで――
まるで舞台の幕が上がる瞬間を眺める観客のようだった。
初めて投稿させて頂きます。
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