慟哭の結末
屋上に飛び出した航がグロッグを引き抜いて叫んだ。
「今だ、凛音。行けぇ!」
「うん!」
叫びに背中を押された凛音は血溜まりに倒れる女性に駆け寄り、「お願い、間に合って」と祈りを呟いて、緊急再生薬『ソーマ』が納められたガンタイプの注射器を傷口付近に押し付けた。
ナノテクノロジーの粋を集めた再生薬の効果は抜群で、苦しげだった女性の呼吸はすぐに安定した。
ふぅ〜と息を吐き、ほっとした表情で笑った凛音が、隣をドローンで飛行中のユウダチに向かってブイサイン。
「見てた、鞍馬くん。ちゃんと間に合ったよ」
僕とリュキウス、凛音の背後で航がそれぞれ安堵の息を吐けたのも束の間。
「クソがぁ、このどちくしょうがぁ!!」
潰された右肩をかばうようにして、御子神猛がふらふらと立ち上がったのだ。
「あんでだよ、お嬢ちゃんは人間だろ、どうしてマザリモノの肩を持つんだよ!?」
「まだ生きていやがったか」
グロッグの銃口を御子神に向けた航を、凛音がすぐに止めた。
「やめて、航」
「けどよ!」
「いいから。・・・・・・御子神猛、あなたを殺人未遂の容疑で緊急逮捕します。武装を解除し膝をついてください」
「何故だ」
交じる白髪に微かな老いを表しながら、御子神は亜人種を庇う理由を凛音に尋ねる。
凛音を見る目は殺意に溢れていたが、凛音はたじろぐことなく答えた。
「人間だからです。私は人間だからこのヒトを助けます」
静かな目で見据える凛音を忌々しげに睨み付け、滴る額の血を拭った御子神が鼻で嗤った。
「ケッ、そいつは随分と優等生な模範解答だぜ。なぁ、嬢ちゃん、家族を殺された者の恨みが、悲しみが、悔しさが、そんな小綺麗なセリフで消えると思ってんのかよ」
凛音は肩をすくめただけだ。
けれど僕はカッとなって、ライフルのスコープ照準内に御子神を探し求めた。もし射線に入っていたら、間違いく撃っていたと思う。
航も我慢しなかった。
グロッグの銃口を御子神に向けた航は、怒りの表情で怒鳴った。
「おい、知ったフリして勝手言ってんじゃねーぞ!」
「・・・・・・・・・・・・爆弾テロだ。ただそこに居たってだけで、妻と息子を殺された痛みがてめえに分かるのか、四歳だったんぞ、誕生日だったんだ。なぁ教えてくれよ、あの子がいったい何をしたって言うんだ?」
抑えられた問いかけに、航が絶句する。
御子神がたたみかけるように吼えた。
「あんな悲劇を繰り返させないためにも、亜人どもは駆除しなきゃならねぇ。奴らさえ来なけりゃこんなことにはならなかったんだ、違うか!」
僕は唇を噛んでいた。
狂った犯罪者の戯れ言だ、そうも言える。
けど、分かるのだ。
僕にも航にも。
御子神同様、息も出来ない苦しさと絶対に癒えない痛みが。
それを簡単に否定できるヒトは多分幸せに生きている、痛みを知らないヒトだって知っていた。
大通りから駅舎を見上げ、リュキウスは何も言わなかった。
ただ、俯いてしまった僕を見ていただけだった。
モニターの中で、肩を震わせた御子神が遣り場のない怨嗟を吐き出していた。
「あの子の苦しみを、妻が感じた絶望と痛みを、二人の無念を!!奴らに思い知らせてやる行為は、本当に許されざる悪なのか」
鬼火が宿る瞳を晒し、全てに絶望した人が慟哭した。
あれは、鏡さえあればいつだって見ることが出来た見慣れた目だ。
悟る。
僕らはきっと同じ泥沼で溺れている。
不意に、凛音がくすっとわらった。
わらい声には、蔑みと怒りが秘められていた。
それを聞いた御子神の表情が悲哀を増した。
「・・・・・・あんたも、なんだな」
「あんたも? 一緒にしないでください」
凛音の否定に、御子神は「どうしてだ?」と不思議そうに問う。
「分かりませんか、・・・・・・あなたの殺意はあなたの物だ。絶対に、亡くなった人たちの怨念なんかじゃありません」
(・・・・・・あっ)
モニターに映る凛音の横顔が、声が抱いた覚悟の強さが、僕を過去へと誘う。
あれは、シュバリエ選抜試験の最終日。
凛音は僕に同じことを言った。
「お父さんはテロに巻き込まれたけどさ」
父を奪い、家族を壊した誰かに対する怒りは、当たり前のように今もって消えやしない。どうやったって許せない、と凛音は言った。
「復讐はしないよ、ううん、それは考えない」
復讐なんてしたって死んだ者は喜ばない、亡くなった人は帰ってこない。だから、復讐はおやめなさい、そんな三段論法は赤の他人が吹いて回る失笑物の屁理屈で、被害者遺族の感情を逆撫でするだけの的外れな綺麗事だとは、凛音だって思っている。
「でもーー」
復讐の解として導かれる無差別な暴力に、嵯島凛音は絶対に同意しない。
「死んでしまった人の想いなんて私には聞こえないよ。それに、私が戦うって決めたのは、どこまでも私の意思だから」
死者の無念を晴らすために誰かを殺す、これは誤解の産物だ。
復讐者は自己陶酔の結果で殺戮を行う。本当にただそれだけで、他にいかなる大義も正義も成立しない。故に復讐者は自己の怨念を吐き出しても、死者の想いを語ってはならない。
さもなくば死者の願いを代弁した瞬間に、復習者は自身の行為が単なる殺人であるという事実を忘れ果て、ありもしない正義に酔いしれて止まるを忘れてしまう。
「それが分からないなら、あなたはただの殺人鬼です」
凛音が断罪する。
御子神の表情が歪んだ。
「違う、俺は守護者だ。人間を守るために、殺された人々の怒りを晴らすためにーー」
「あなたが愛した人々は、無差別な血の惨劇を望むような人たちでしたか」
静かに問い質す凛音の肩に抑えられない怒りが滲む。
凛音は御子神が復讐を口にした彼の家族のために怒っていた。
それが伝わったのか、御子神の表情から険が消えて落ちた。
御子神は気付いたのだ。
もしも御子神の行為が、テロに倒れた彼の家族の代理行為だというのなら、家族の怒りの発露だと主張するなら、彼の愛した人々は誰かの血を欲する御子神と同種の存在ーー殺人鬼になってしまうのだと。
「あなたは自分勝手な快楽殺人鬼だ。正しいから殺したんじゃない。愉しいから殺してきただけです。そんな人が誰かの怒りを捏造して被害者面でかたらないで。気持ち悪いだけです」
「・・・・・・じゃぁなにか。お嬢ちゃんは、俺がとっくの昔に人間じゃなくなっていた、って言いたいのかい」
目に殺意を込めて、御子神が凛音を睨んだ。
凛音は臆することなく頷いた。
御子神が悲しげに目を細めたその時ーー
「大介ーー」
呟きに覆い被さるように、銃声が響いた。
「騎士の剣で滅ぶが悪鬼の役割だ。てめぇらに許された慈悲は、この世界からの消失だけだ」
イヤホンに男性の声で断罪が流れた。
超長距離狙撃で右胸の大きな風穴を開けた御子神の痩躯が浮き上がる。
「千鶴、おれはさ、もう一度お前たちに・・・・・・」
ターン!
御子神の頭部が弾けた。
ころんころんと首のない身体が転がって、やがて止まる。
航は目を伏せて何も言わなかった。
高速で飛来するヘリコプターを見上げ、刀と剣が交差する『士団』のエンブレムに気付いた凛音が、歯間から絞り出すように呟いた。
「こんなやり方、私は納得できないよ。・・・・・・ねえ、鞍馬くん」




