鞍馬幽理のあわただしい日常
ベッドに放っておいたスマートフォンが青と白に明滅を繰り返している。
手に取ると、数分前にメールが届いていた。
『ミュスカを完全に怒らせた。二日は絶対に外に出さないってさ。ごめんね』
何を詫びているのか不明だが、護衛が不要なのは分かったし(これで十分)、早々に引っ越しを済ませてしまいたい僕にはありがたい話に思えた。
『昨日は無理をして疲れたろ、ゆっくり休んでくれ』
当たり障りのない返答を返すと、お転婆聖女の存在を完全に頭から追い出した。
これで今日一日は破天荒すぎる聖女の心配をすることはないだろう。
「ユウダチ、ドレスの調整はいつ終わるって?」
「待て。・・・・・・ふむ、ふむふむ、うん。幽理、工士長が十六時までに仕上げるからツクダジマまで取りに来てくれと言うておるぞ」
「りょうか〜い。となると、次になすべきは・・・・・・やっぱ、掃除かねぇ」
とは言うものの、寮生活していた単身者が掃除道具なんて持ち合わせているはずもない。
ホームセンターに買い出しに出ようと着替えを済ませると、ピンポーンと古式ゆかしくドアベルが鳴った。
「せっかく聖騎士になったってぇのに、また変わった所を住処に選んだもんだ」
殺風景な倉庫内を見回して大柄な男性が陽気に笑う。
丸刈り頭に猪の首マッチョ、白い隊服がパツパツしている四十絡みのこの男性は、松長百士隊の第一士隊長を務める市ノ瀬直弥さん。
僕が所属していた松長百士隊の筆頭士隊長で、市ノ瀬の親父さんで呼ばれる面倒見のいい人だ。
「変わった所、ですか?」
「ああ。今川の拷問屋敷なんて噂されていた場所さ。随分昔の話だから若い奴は知らないだろうがな」
「・・・・・・うげ」
そういう第一印象を受けているから、笑い話とも言いきれない自分が切ない。
「おいおい、青くなるなよ。あくまでもそういう噂があったってだけだぜ」
市ノ瀬さんがカラッと笑う。
釣られて苦笑した僕はエレベーターを指差した。
「コーヒーの支度ならできますから、上がっていってください」
「ありがとよ、俺もそうしたいところなんだけどなぁ」
市ノ瀬さんは苦笑気味に隊服を摘まみ、やれやれって感じで肩をすくめた。
「桜田門に呼ばれていてよ、これからすぐ行ってこなけりゃなんねぇのさ」
「あー、ひょっとしてまたアドバイザーですか」
「おう、忙しくてもちっとも嬉しくねーっての」
軽い調子でぼやいてみせる市ノ瀬さん。元警察官でその性格から多方面に顔が利く市ノ瀬さんが、レギオン絡みの犯罪で意見を求められるのは珍しくない。
ただし、僕が興味を持ったとしても、警察上層部から意見を求められる人だから口の堅さは折り紙付き。親父さんに語る気がない限り、何が起こったのかを尋ねても無駄だ。
「おっと、肝心を忘れるとこだった。ほれ、祝いだ」
と、市ノ瀬さんが僕に高そうな臙脂色の沙羅袋を手渡してくれた。
「前の戦闘で圧し折っちまってよ、何とかすりあげたはいいが、今度は俺が使うにゃ中途半端な長さになっちまってな、お古でわりぃんだが独立の祝いに受け取ってくれねぇか」
はぁ、と頷いて沙羅袋を開いてみると、筒状の短い袋から出てきたのは全長六十センチ、刀身が三十センチ程の黒塗りの短刀である。
「あれ、これって・・・・・・」
胸騒ぎを覚えて鞘を走らせ、現れた刀身を見る。
短く加工されているが、広い刀身と猪首切っ先の太刀造り。刃紋は丁子で刀身に浮かぶ微かな小沸とくれば、こいつはバトルドレスすら断ち切る旧世界が生んだオーパーツだ。
「二字国俊じゃないですか!?あ、ありがとうございます!今すぐ神棚にお祭りして家宝にーー」
「あほう、武器なんざ使ってなんぼだ。だいたい、お前さん神棚なんて持っちゃいねーだろ?」
「おぉぅ」
しばらく笑い合うと、市ノ瀬さんは「気張れよ」と言い残して去って行った。
掃除道具を購入する、この目的を忘れたつもりはないけれど。
「ぐふ、うふふふふふふっ!」
「気色悪っ」
ユウダチの冷たい視線もなんのその。ベッドの腰掛けて短刀国俊を眺める僕は、もうどうにも止められないにやけ笑いに溺れていた。
「ふん、そんな鮮血臭い妖刀なんぞ、溶かして特殊弾にでもしてしまえばいいのじゃ」
「ミスリル装甲ってさ、現行の銃弾の大半は弾けるし、レーザーだって無効化できるのに、古刀には貫かれるなんて不思議なもんだよな」
「くっ、ぬぐぐっ。め、滅多に貫かれたりせぬもん、ふんだ!」
ぷーっと頬を膨らませてユウダチがそっぽを向く。
実際のところ、古い刀剣の類いが必ずしも装甲を貫けるわけではない。むしろ傷一つ付けられない方が圧倒的に多いのが現実だ。
だが、この二字国俊に限っては違う。
市ノ瀬さんと共に戦場を駆け抜けてきたコイツはゴブリンを撫で切りに討伐し、上級魔を両断し、LAWSを屠り、敵対するバトルドレスを叩き切ってきた正真正銘の本物である。
共に戦場に立った僕は幾度もその光景を目にしてきたのだ。
「えへっ、えへへへへへへ」
「はぁ、やれやれじゃ。ほれ、またしても来客だぞ、幽理」
「こんにちは、鞍馬君。引っ越しの手伝いに来たのだけど・・・・・・、はぁ〜」
「やっぱ、なんもしてなかったか」
リヤカーに掃除道具を満載した来客は、ジャージ姿の凛音と航の同級生コンビだった。
「これからやるところだったんです。アポもなくやって来て呆れないでください」
「はい、負け犬セリフ頂きました」
「うるせぇよ」
「二人とも黙る。じゃれてないで支度して。ハリーアップ!」
手ぬぐいでショートヘアーを覆った凛音が、怖い目で僕らを睨む。
ちなみにだが、掃討歩兵科所属する凛音は格闘戦の天才だ。
洒落や冗談ではなく、殴り合いなら体格差を無視して僕や航より凛音が遥かに強い。
その彼女様が睨んでおられるのだ。
「「アイ・マム!!」」
どんなに理屈をこねたとしても、結局のところレギオン界隈は強いモノが正義な犬の世界だったりするのである。