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悪郎の幸福論  作者: ま行
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エピローグ

 時は進み、進は高校生になっていた。進学先は紗奈と同じ高校で偏差値の高いところを選んだ。二人で一緒に勉強をして一緒に合格した。進の努力というとすさまじいもので、入試本番まで鬼気迫る勢いで勉強し続けた。


 理由は紗奈と同じ高校に通いたいというのが理由の一つ、もう一つの大切な理由は、悪郎と過ごした日々に恥じない自分でいたいという理由であった。




 悪郎から一方的に別れを告げられた日、目覚めた進は悪郎のことを見ていないか家族に聞いて回った。しかし皆口をそろえて悪郎のことなど知らないと答えた。むしろ必死になって誰も知らない人のことを聞いて回る進のことを心配した。


「もういいっ!!」


 進はそう叫んで家を飛び出した。心配する家族の制止も振り切って走り出す。そうして最初に向かったのは紗奈の家であった。


「進くん?どうしたのこんなに朝早くから…」

「さ、紗奈ちゃ、あ、あの、ゲホッゴホッ!!」

「だ、大丈夫!?落ち着いて、ゆっくりほら深呼吸して」


 急いで走ってきた進は疲労からがくっと膝から崩れ落ちた。苦しそうにせき込む進の背中を紗奈がさすり、異変に感づいた如月家の人々が玄関に集まってきた。まめまるはタオル掛けからタオルを噛んで引っ張ると、それを大汗をかく進のところまで運んできた。


「これ僕のために?ありがとうまめまる」


 進がタオルを受け取り礼を述べると、まめまるは満足げな顔をした後お尻をむけて去っていった。


「皆さんあの…、悪郎の、僕の親戚の佐久間悪郎のことは知っていますか?」


 本当は覚えていますかと聞きたかった。しかし悪郎とあれだけ仲良くしていた如月家の面々に「それは誰だ」と聞き返されるのが怖くてとっさに言葉を変えた。答えを聞いた時に同じショックを受けることは間違いないのに、どうしても無駄なあがきをしてしまう。


「悪郎くん…?」

「っ!そうです!」


 紗奈の父剛輔がそうつぶやいた。もしかして仲のよかった剛輔なら覚えているかもしれないと進はパッと表情を明るくした。しかし。


「知らないなあ、私たちが会ったことのある人かい?」


 その一言と如月家の人々の反応を見ただけで進はすべてを察した。悪郎のことを覚えているのは自分一人だけ、恐らく存在していた形跡すら消滅しているであろうことが分かってしまった。


 そんな荒唐無稽なことができるすべを進は知っている。悪魔と魔法の存在を進は知っている。だからその絶望も大きかった。


「…少し、紗奈ちゃんと二人で話をさせてもらえませんか?」


 進の言葉はあまりに悲壮感に満ちていて、そのことが心配で中々離れることができなかった。しかしその場は紗奈が説得をして収め、進を自分の部屋へ上げた。


 よろよろとした足取りを紗奈に支えられながら部屋にたどり着く、そこで最初に目が入ったのは机の上に置かれていた歯形のついたアルバムだった。紗奈と悪郎との思い出の写真が収められているアルバムに進は飛びついた。


「あれ?それ仕舞っておいたはずなのに…。あっこの歯形はまめまるだな、勝手に引っ張り出してまったくもう」


 苦言を呈する紗奈の相手をする余裕もなく、進はアルバムをめくって写真を確認した。しかしどの写真からも悪郎の姿はすっかりと消えていて、悪郎一人だけで写っていたものは存在すらしていなかった。


 進と紗奈の二人の間に不自然な間が空いている。進がその間を指でなぞると、しずくがぽたりと落ちた。それは進が流した涙であった。


「紗奈ちゃん」

「どうしたの進くん…。って、えっ!?」


 進は紗奈のことを突然抱きしめた。あまりに唐突のことだったので面食らう紗奈であったが、進の体がぶるぶると震えているのが分かり、その痛々しさから紗奈もぎゅっと抱きしめ返した。


「大丈夫。私はここにいるよ。だから大丈夫だよ進くん」

「うん。ありがとう。ありがとう紗奈ちゃん。ごめんね、どうしても悲しくて仕方がないんだ。わけわかんないよね。ごめんね」

「いいの。進くんが落ち着くまでずっとこうしてようね。こうしていればきっと落ち着く。それに私からは進くんの涙は見えないよ。だからね、大丈夫だよ」


 紗奈に抱きしめられながら進は泣いた。大粒の涙が堰を切って流れ出し、みっともなく顔をぐちゃぐちゃに汚しながら哀哭した。紗奈にその涙の理由が分からなくともただただ進を抱きとめた。震える背中を優しくぽんぽんと叩いて落ち着かせ、泣き止むまでずっと二人は抱き合い続けた。


 進は愛する人の腕の中で、ようやく悪郎の死を受け入れることができた。




 事実を受け入れた進は、悪郎と一緒にやってきた習慣により力を入れた。生活環境をもっと改善しリズムを整え、早寝早起きを徹底した。身なりを整え清潔にし、服装や髪型にも気を使った。


 トレーニングは毎日かかさず行った。体と心の健康を維持することに努めて、自分なりに勉強をして改善を図った。気持ちのよい挨拶を心がけ、コミュニケーションを大切にした。相手のことを考えて自分の気持ちを丁寧に言葉にした。そうしてどんどん交流の輪を広げていった。


 勉学にも励み分からないところは積極的に質問をした。教師の協力を上手く仰ぎ、何となくで理解していたものを一つ一つ潰していった。努力の結果がみるみる成績に現れて、その積極性も教師たちからの評価を高めた。


 悪郎を召喚してから別人のように変わった進だったが、悪郎がいなくなった後の進はさらに別人のように変わった。優しく紳士的で社交性もあり、きちんと整えられた清潔感のある身だしなみは誰にでも好印象を与えた。引き締まった肉体にぴんと伸びた背筋、堂度とした立ち振る舞いはクラスの誰よりも大人びて見えた。


 その姿はまるでいなくなった悪郎と進が混ざり合ったようなものであり、進は悪郎の長所を取り込んで自分の中で昇華させた。いなくなってなお進に薫陶を与え続ける悪郎のおかげで、進は一気に学年の中心人物になっていた。


 しかし進は人気者になりたかったわけではなく、ただ憧れた悪郎のようになりたかった。隣にいても恥じることがない自分になりたかった。もはや悪郎が隣に立つことはないけれど、進の心の中にはずっといて背中を押し続けてくれていた。


「進、まさか俺がその程度の結果で満足するとは思ってないよな?」


 努力をして結果を出しても慢心しないのは、悪郎ならばこう言うだろうと分かっていたからだった。言葉はなくとも心が繋がっている。それが何よりも大切なことであった。


「悪郎、お前の用意するハードルはいつも高くて困るよ。お前のように軽々は越えていけないけれど、僕は僕なりに踏ん張って越えていくからさ、その先で待っててくれよな」


 悪郎に恥じない自分になる。時に恐ろしくて厳しいが、それでも優しさを捨てきれない不思議な悪魔。好きなものに夢中になり、時には子どもじみた喧嘩もした。悪郎が与えてくれた幸福な日々は、終わることなく続いていた。




 その日、紗奈と一緒に登校してきた進はクラスがざわめいているのに気が付いた。二人で挨拶をするとクラスメイトの一人がにやりと笑って声をかけてくる。


「相変わらずだなお二人さん、毎朝手を繋いでの登校とは妬けるねえ。皆に見られて恥ずかしくなったりしないの?」

「どうして?紗奈と一緒にいることに何の恥もないよ」

「お、おう。如月、お前の彼氏すごいな。こんな恥ずかしいことさらっと言えるなんて」

「かっこいいでしょ?」

「ったくこれだよ。そのバカップルっぷりはある意味尊敬に値するね」


 呆れて肩をすくめるクラスメイトに進が聞いた。


「そんなことより、今朝からなんでこんなに騒がしいんだ?」

「ああなんでも転入生がくるんだとさ。女子がちらっと姿を見かけたらしいが、それがとんでもなくイケメンだったんだって。だからこのありさまってこと」

「へえ転入生か。どんな人だろう、仲良くなれたらいいなあ」


 それからしばらくして教師が入ってきてホームルームが始まった。出席確認や諸々の連絡事項を伝え終わった後、教師が話を切り出した。


「今日は皆に大事に知らせがある。まあどうもこの様子だとすでに知れ渡っているようだが、転入生がこのクラスに入る。言うまでもないが仲良くするように。じゃ、入ってきてくれ」


 教室の扉が開き転入生が入ってきた。にわかに色めき立つ女子たちとざわざわと動揺する男子たち。その中で一人だけ、進だけが周りとまったく異なる意味で転入生から目が離せなかった。


 自己紹介を促され黒板に名前が記される。そしてクラスメイトの方へ転入生が向き直ると、頭を下げてから挨拶をした。


「初めまして阿久津諒あくつりょうです。両親の都合でこの学校に転入することになりました。皆さんよろしくお願いします」


 そう言ってもう一度頭を下げると阿久津諒は拍手で迎えられた。進も慌てて周りに倣おうとするが、明らかに悪郎の面影を残している彼を目の前にして体が固まってしまった。


 諒は頭を上げる途中、呆然と自分のことを見つめる進の姿を見つけた。目が合うとからかうようにウインクをする。進はそれを見てぶっと吹き出して笑ってしまった。


「何だ?佐久間どうかしたのか?」

「いえ、何でもありません。それより先生、彼に学校を案内する人は決まってますか?」

「いや、これから決めようと思っていたが…」

「ではその役目を僕にやらせてもらえませんか?阿久津くんもそれでいい?」

「それはもう、是非お願いします。不安だったけれど、仲良くしてくれそうな人がいてよかった」


 進は周りの目もはばからず諒の前に進み出た。そして右手を差し出すとにっこりと笑う。


「初めまして僕は佐久間進。これからよろしくね」

「ああ、俺のことは諒って呼んでほしい。俺も進って呼んでいいかな?」


 手を握った二人はどちらともなく愉快そうに笑いだした。その様子を周りの人は怪訝そうに見ていたが、二人はそんなことをまったく意に介すことなく笑い合うのであった。




 了

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