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エブリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス



──男は未来や過去を思って泣いたりしない──

──現在を思って泣くのだ──


フィリップ・K・ディック「流れよわが涙、と警官は言った」



「久しぶり、ユキちゃん」


 武井ルカはその大柄な女の元へと歩を進めた。女は微動だにせず、武井ルカを待ち受けていた。


「久しぶり……か。それに『ちゃん付け』……『単次元的な意味』においてはそうね。最もあなたには関係ないことなのだろうけど。今も、これからもずっと」


 武井ルカはユキちゃんなる人物に更ににじり寄った。


「まったく……ユキちゃんはいつでも私の邪魔をしてくれるよね。ちょっと今は立て込んでるんで後にしてくれない?」


 そして目の前で立ち止まり、両者はまるで見つめ合う銅像のように、しばらく静止した。

 虎と龍だ。

 先に口を開いたのはユキちゃんなる人物の方だった。


「その子を誑かしてどうする気?」


「誑かす? 一体何を言ってるの?」


「……単刀直入に言うわ。もう宇宙跳躍(バース・ジャンプ)を辞めなさい。この世界に一生留まって生きてくの。じゃないと大変なことになる」


「……嫌だと言ったら?」


「……しょうがないわね。壊すしかないわ、そのUNIミニを」


 すると虎が……ユキちゃんなる人物は武井ルカの首元へとめがけて手刀を繰り出した。

 空気がしゅんと煽動する音。肌が裂け、血が噴き出すのに音は出なかった。

 間一髪、それを交わした武井ルカは首元を押さえながら後退り、ローファーで地面を思い切り踏み込んだ。

 肘が、ユキちゃんなる人物の腹にめり込んでいる。

 吐血。

 そのまま屋上の壁と激突する二人。

 鉄に生身の人間の身体が打ち付けられる鈍い衝突音が響く。

 ここまでの一瞬の動作が何故か自分の脳内にすらすらと反映され、私はそれらを明確に言語化出来た。一体何故だろう? だがそんな事は今どうでもいい。私は二人の元へと恐る恐る歩み寄る。その喧嘩に勝利した無邪気な龍の元へと……


「あの……何故急に如何にも手練同士の、こんなにも熾烈なバトルが……」


「うん、気にしないで! この人いっつもこうだから!」


 地面に横たわるユキちゃんなる人物は、虚ろな目をしたままひくひくと痙攣している。その嘔吐物の量からして、全身の約半分の骨と内臓器官はもう使い物にならないことが伺える。

 私はこれまで二人の間にどんな事情や怨恨のもつれがあったのかを慮っても、ここまで徹底的な暴力を行使した武井ルカに、単純に引いていた。


「……いや……まあ、あの……取り敢えずは、救急車を……」


 するとユキちゃんなる人物の左耳に、何か銀色のイヤホンのような物が付けられているのに気が付いた……「UNIミニ」……それが光ると同時に、ユキちゃんなる人物の身体は次第に修復され、こちらを見ながら何事もなかったかのように立ち上がった。


「……これは?」


「あたしが『跳躍者(リーパー)』、この子が『受容者(レシーバー)』ってこと。あたしは別の世界に跳べる、この子は別に世界にいる自分と交信し、呼び寄せることが出来る」


「……他の宇宙(バース)から、別次元の自分を取り入れたんですか?……もしかして戦闘能力に長けた自分を?」


「まあ、そんな感じ。だからきりがない。何回戦ってもあたしには勝てないのに。それが『無数にある宇宙の法則のひとつ』。さっき君が言ってた『不可避の交差』」


「……ルカさんは何でそんなに強いんですか?」


「あたし? あたしは他の宇宙(バース)で肉体を強化するアイテムを貰ったから」


「……そうですか」


 ユキちゃんなる人物は私の方を見やり、口元を拭いながら言った。


「百々チアキさん……いきなり驚かして申し訳ない。でも、私はあなたを元々いた宇宙(バース)、あなたにとっての基準(カノン)の世界へ戻ってほしいの。ここでいうと『宇宙(バース)37』に」


 ユキちゃんなる人物は先程まで血反吐を大量に吐いていた素振りなど一切見せずに、冷静に話し続けた。武井ルカはそれを黙って聞いていた。


「人にはそれぞれ、自分に合った世界があるの。『パズルのピースは元々あるべき場所に戻らなければならない』。あなたが元々いた世界は、他の宇宙(バース)と比べて男性優位社会が廃止され、勿論色んな問題点も多かったけど、比較的には平和な宇宙(バース)だった。女子高に世界最高峰の頭脳が集まったり、最新の化学技術が集まったりなんて、他と比べてかなりのアドバンテージだったの……そう……比較的には平和だしね。世界的にみて戦争や紛争もかなり少ない方。その他の無茶苦茶だった宇宙(バース)に比べればね。だから私は、全ての歪みを元に正すために、そしてこの武井ルカの暴走を止めるために、あなたには最初に生まれ育った元々の世界へ帰ってほしい」


 武井ルカが反論した。


「いや、嫌でしょ! 学校に遅刻したぐらいで前科が付く世界は! 毎回、こういうちっちゃい『ミス』が出ちゃうんだよね! どんな宇宙(バース)にも」


 ユキちゃんなる人物がそれを素早く制した。


「あなたは黙ってなさい!」


 話が壮大すぎる。

 頭がくらくらしてきた。

 私はふと思い立って、ユキちゃんなる人物へ、今までを踏まえて一番根本的な疑問をぶつけてみた。


「それは……もしかして、ルカさんが跳躍(リープ)する度に、宇宙(バース)が増え続けるってことですか? 新たな平行世界の可能性が」


「うーん、厳密には違うけど、大体そうね。武井ルカは『跳ぶ』度に宇宙(バース)を『新たに創造してる』。そう捉えてもいいと思う。今風に言うと、『跳ぶ度に世界線が増え続ける』の。○○が○○になってる、自分に都合の良い世界へ飛びたいと願う度にね。それはマクロの視点から見れば微々たる差なんだけれど、新たな宇宙を創造してるのに代わりはない。厳密に言えば、宇宙(バース)を『跳躍』ではなくて『創造』してるの」


「……ルカさんが『跳んだ』後の宇宙(バース)はどうなるんですか? まさか消滅するとか? 私の抜け殻は……元々いた世界は……」


 長い沈黙が、私たちの間に流れた。


「消滅するわ。『定常宇宙論(ステディ・ステイト・コスモロジー)』の下にね」


「……そうですか」


「いや! 消滅っつったってさ! マクロな視点から見たらほぼ同じ宇宙を新たに創り出してる訳で何も変わらな……」


「黙ってなさい!」


「それにユキちゃんの方法だって……」


「私のはただの意識の送信/受信サイクルだから関係ないわ」


 ということは、先程の負傷したユキちゃんなる人物の意識は、どこか他の宇宙(バース)へと飛ばされたという訳か。何とも傍迷惑な話だ。

 そしてその女は、苦虫を噛み潰したように唸った。


「全宇宙を、この星の地球人類を、電車の路線でも乗り換えるように、毎回消滅させてるのよ。こいつは」


 武井ルカはそれに対してはきはきとした口調で反駁した。


「でもね、それこそ『定常宇宙論(ステディ・ステイト・コスモロジー)』、無限に広がる宇宙の一定区間の総質量は同じ、自然の秩序によって保たれてる。何も問題なし……そのアクションを実行できるのは神だけど」


「それはただの希望的観測、それにあくまでひとつの宇宙の中での話でしょ。無数にある平行世界にまで広げられる視点だとは限らない。『平行世界は泡だったシャンプーの一粒一粒』なんだから! それに『多元宇宙(マルチバース)のことはまだ誰も分かっていないの』。『定常宇宙論(ステディ・ステイト・コスモロジー)』なんて持ち出さないで!」


「……ユキちゃんが先に言ったんじゃん!」


 武井ルカは少し気圧されたようだった。


「……なら、無数にある平行世界が、その都度何らかのアクションによって、淘汰されるのだって自然の摂理なんじゃ……」


「だから、私たちちっぽけな人間なんかに、この宇宙のことは測り知れないの! それにその『何らかのアクション』というのが、『あなたの気まぐれやわがまま』なのが問題だと言ってるのが何故分からないの!」


「……そんなこと言ったら分かんないことだらけじゃん! この宇宙のことなんて!」


 私も段々と訳が分からなくなってきた。頭の芯がじんわりとしてくる。余りにスケールが大きくて、荒唐無稽で……


「とにかく! 大体ね! 多元宇宙(マルチバース)って言ったら! 例えば人間が動物になってる世界とか、それか人形になってる世界とか、それとも全員アメーバになってる世界とか! そういう何もかも180℃違う、遠い宇宙(バース)をみんな想像するのに! こいつは本当にみみっちい! 細かい変更がなされた世界ばっかりを生み出してしまう! それが余計に話をややこしくしてる!」


「……でも何でそれが、歪みになるんです?」


「……それははっきりとは分からない。何度も繰り返すけど、『多元宇宙(マルチバース)のことはまだ誰にも分からない』の。ただ、こいつが無際限に『跳ぶ』せいで、今後他の無数の宇宙(バース)に何らかの影響が出てくるかもしれない。百々チアキさん……あなたは既にその歪みの中に巻き込まれてしまった。まさかあなた本人を引き連れて『跳ぶ』なんて……」


 またしても一瞬の間が空いた。

 前と比べて少しだけ、短い沈黙。


「この変態!」


 そしてユキちゃんなる人物は私の肩に手を置いた。


「私は藤田ユキ。X高の『多元宇宙研究部』元部長で、UNIミニを開発した。これに適正があって、使いこなせるのは私とルカだけ。他の人間を巻き込まないってのは部の鉄則。だから私は、あなたを元の世界に戻したい。何とか方法は考えるから。あなたも元の宇宙(バース)に戻りたいわよね?」


「えーと……正直なところ、まだ元々いた世界との差異を全て把握してないですし、まだ何とも……」


「……もしかしたら今日家に帰ると、ご両親が大きな猫ちゃんになってる危険性だってあるのよ」


 すると誰かの両の掌が、あれを包み込んでいた。

 背後から、武井ルカが私の胸を鷲掴みにしていた。


「……だから! そんなことになってるわけないって!」


 また「強制わいせつジャンプ」だ。

 叫びを上げる間もなく前後左右不覚になると、景色は高速で周り始めた。

 次の瞬間、教室だった。

 パム・グリア似の黒人中年教師による数学の授業。

 武井ルカは前の席からこちらを振り返り、また無邪気な顔で笑った。

「跳び続ける女」と、「それを追う女」。

 終わらない鬼ごっこ。



 

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