プレイシズ・アンド・スペイシズ
──そういうものだ──
カート・ヴォネガット「スローターハウス5」
高エネルギー粒子加速器が作動している。
かつての体育館を改造したラボの中にあるそれは、全長600メートルの筒が何層にも渡って積み上げられていた。筒の内部は一様電位となっているので、粒子はいかなる力も受けずに、この中で加速させられたり、ぶつけられたり文明の利器を通して人間どもに自由自在に弄ばれるのである。
大原ミケの側にいる助手が話している。
「これは中国のエンジニアが開発した最新型を、我が校が独占入手したものです。かつて加速器は巨大であればある程に精密な観測結果が得られるとされていた時代もありましたが、今では学校の体育館の中にすっぽりと収まるまで小型化されました。こんなに素晴らしいガジェットを即座に採用出来るようなX高で今日から学べる貴方がたは、まさに選ばれし存在なのです」
はて、粒子加速器とは? そもそも粒子とは何ぞや? と思われた方にざっくりと解説したい。
私の手と、この宇宙との距離を測ってみよう。
私の手は、「物質」である。
「物質」は、「分子」から成り立っている。
「分子」は、「原子(電子と原子核)」から成り立っている。
「原子」は、「原子核(陽子と中性子)」から成り立っている。
「原子核」は、「核子」から成り立っている。
「限りなく小さい」は、「限りなく大きい」。
この宇宙は限りなく小さい物質の蓄積と、まだ人間が確認出来ない見知らぬエネルギーによって構成されている。
粒子加速器とは「電子」や「陽子」などの粒子を、電場を使って加速させる装置だ。粒子を光の速度近くまで加速すると、高エネルギーの状態になる。
高エネルギーの粒子を衝突させ、宇宙初期の状態を再現し物質の根源に迫ること。それは現在の科学技術の中でとても高度で思慮深い、ミクロからマクロまでの新たな技術の開発の根幹に関わる、最も重要な学問なのだ。
「物理学や化学、生物学や工学、農学、医学、薬学、考古学に至るまで、加速器は幅広い分野の研究に使われています。 物質や生命の謎を解き明かすとともに、新材料の開発、農作物の品種改良、医療への利用など、 すでに身近な分野で社会に役立っているのです! そしてなんと! 当校が独自にこの加速器で作り上げている物質は……」
私はこの名門X高で今日から学ぶことの出来る自分を誇らしく思う……
「いっつも思ってたんだけどさあ、これって巻きグソに似てるよねえ!」
隣で武井ルカが大声で笑っている。周りの生徒たちや、大原ミケ、その助手がこちらを見やる。さながら人殺しの眼光である。私は顔を伏せて配られた資料を熱心に読む振りをする。
先程武井ルカは教室で、確かに多元宇宙の話をしていた……無限に広がり続ける宇宙の可能性、無数にある平行世界……「此処ではない何処かなどない」と書いたのはボードレールだっただろうか……しかし彼女によれば、ここは「枝葉にあるような些末な事象」だけが元の宇宙と異なる、また新たな宇宙だということらしい。遅刻が大罪でなくなったり、私と彼女が同学年になっていたり。
そんな昨今のアメコミ映画のような概念が果たして実在するのだろうか?
というか確か、「ドクター・ストレンジ」の映画の中でも誰か言ってなかったか?
「多元宇宙の事はよく分かっていない……」
「武井さん、あなたはせっかく栄えあるトップ・シートを取ったんだから、そういったビヘイビアーは出来れば謹んでね。さっきのセレモニーでは見事なスピーチだったじゃない。お願いよ」
大原ミケは大きな咳払いをした。
どうやら首席入学だったらしい。それに「跳ぶ」ことで「スキップ」された入学式では見事なスピーチを……
なるほど、全く原理は分からないが、こうやって自分に都合の良い平行世界を渡り歩いてきたのが本当であるなら、それはまさに神の御業に等しいのかもしれない。
大原ミケの助手は話し続ける。
「……この加速器は成績優秀者のみ、授業や部活動での使用許可が降ります。貴方がたには是非、我が校の誇る最高技術で以て、日々学問を探求し、研鑽を積んで頂きたいと思っております!」
「はーダルかった! やっと終わったね! じゃあ帰ろうかチーちゃん!」
武井ルカが腕に抱き着いてくる。
周りの生徒たちは一斉にひそひそ話を始めた。
私の胸の鼓動は、困惑と熱い衝撃を受けて高鳴ってゆく。
とりあえず、叫ばずにはいられない。
「一旦離れて! 色々と整理させて!」
武井ルカはくすくすと笑った。
「ふーん。さては人見知りなんだね、チーちゃん」
私は自分の両頬が熱くなっていくのを感じた。
「チーちゃんて呼ばないで!」