我が悲しみのマルチバース
──一体全体、何が起こっているんだ? と全知全能の神は問うたが──
──僕からしたら最初から、何一つ重要な出来事なんか起こっちゃいないんだよ──
──そして、それこそが本当の問題だ──
キルゴア・トラウト「第四次元の狂気」
「さて、整理しましょう。あんたら出来の悪い生徒たちにも分かるようにね」
グレーの作業服を着た人々が中空の破れ目から次々と現れる。
まるで画用紙を鋏で切り抜いたかのように青空の各所に現れたそれを、私は大原ミケの頭越しに眺めた。作業員たちは空のあちこちを飛び交い、何やら金色の丸っこい形をした謎の機械を起動させ、あちこちで何らかの数値を計測している。信じられない光景だが現実である。もう昨日と今日の2日間で、私の脳内キャパシティーは完全に麻痺してしまっているので、最早驚くことすらない。
私、武井ルカ、藤田ユキの3人は校庭の隅で正座をしている。タコの触手の先端部分が触れたグラウンドは、所々に穴ぼこが出来ている。大原ミケは昨日のふざけた口調とは打って変わって、片手に2つのUNIミニを持ちながら、きびきびとした口調で話し続けた。十中八九、どこか他の宇宙から来たのだろう。
大原ミケは眼鏡を指で押し上げながら続けた。
「百々さん……あなたは初めてだからまだ飲み込み辛いかもしれないけど、よく聞いてちょうだいね。大切なことだから」
「……はい」
「まず順を追って説明すると、我が校には選び抜かれた成績優秀者しか所属出来ない、『多元宇宙研究部』があったの。そこにいた2トップが武井と藤田。私は顧問」
私は横目で二人を見やった。互いに睨み合っている。かつての虎と龍も大原ミケの前ではただの借りてきた猫だった。
「そして単なる偶然か、神の思し召しか、宇宙の大いなる意思か何かは分からないけれど、部員たちの研究によってこのUNIミニが生まれた。最初にその機能に気付いたのは藤田の方ね。別次元の宇宙にいる自分と交信を始めた」
作業員たちは遠くで文字通り景色を修復していた。破壊尽くされていた建物と自然、恐らく人命もなのだろうか、私の知っているかつての富士見町は粘土でも捏ね直すように見る見るうちに復元されている。
「それに対抗して、武井もUNIミニを使い始めた。そして、この全宇宙を支配する一つの法則、それはそれは恐ろしい運命を知った。全ての宇宙を観測している、超次元人である『あの人』に出会ったの」
私は放心したままそれを聞いていた。
「この全宇宙は他の宇宙の人間たちによる相互の過度の干渉の繰り返しによって、約100年以内にひとつ残らず消滅する。大きな大きな『歪み』が開いて、ああいう怪獣が飛び込んできたり、他の宇宙からの刺客が送られてきたりね」
大原ミケは遠方で作業員たちに解体されている銀色の巨大タコ、「サー・ノーズ・オクトパス」を指差した。先程まであれだけの死闘を繰り広げてきた怪獣は、これまた紙粘土を引き千切ってはこねるように小さく解体されている最中だった。
「……まあ、私たちの宇宙に出来て、他に出来ないわけないですもんね、普通に考えて……」
「そう。多元宇宙っていうのは『暗黒の森林』なの。それぞれが猟銃を持って、漆黒の闇の中で獲物を狩ろうとじっと息を潜めている……そうやってこの全宇宙の全ての可能性は地球人類及び、全ての愚かな知的生命体の手によって完全に潰えてしまう運命だった。良くも悪くもね。長い目でみたら、それも自然の摂理だから」
大原ミケは小さく肩を落とすと、更に話を続けた。私はそれを自然の摂理と割り切ってしまうこの人は、恐らく普通の人間ではないのだろうと察した。
「それでこの二人は、よせばいいのにそれを阻止しようとした。どちらが先に、全宇宙の存亡を救うかの勝負ね。それで今度は先に武井ルカが見つけ出した。私たちが今いる青い惑星地球には現在、観測されてるだけで約1000万通りの可能性、似たりよったりの多元宇宙がある。通称『エリアD』よ。その『エリアD』が、『歪み』によって滅ぼされる全ての起点となるのが、あなたなの。百々チアキさん。さっきの宇宙1552、『エリアY』から出現した怪物によってね」
私は何が何だか分からなくなってきた。
だが、それはいつものことだった。
「『エリアD』内のとある宇宙で、あなたはUNIミニよりも遙かに高性能な多元宇宙干渉装置を作り出し、『エリアD』を真っ先に崩壊させ、次に全宇宙を滅ぼす原因を作った。天才科学者。小学3年生の頃にね」
私は息を飲んだ。
もう、どうにでもなれだ。
「そして、他の『エリアD』からの使者が、当該宇宙以外の、様々な宇宙のあなたを狙って派遣されるようになった。別次元のあなたを殺したところで、滅亡の事実はなんにも変わらないのにね。まあどこもかしこも変わらないわ、そういうのは。その当該宇宙のあなたも見つけられない馬鹿だったんだから……なのにそれを阻止しようと、武井は真っ先に『最寄りの宇宙』にいるあなたと接触した。確か中学時代ね。勿論、天才科学者でも何でもない、普通の女の子でしかないあなたに。本当に馬鹿よね。とにかくがむしゃらに色んな宇宙のあなたを守っていた」
私は横目で武井ルカを見た。彼女は、目に涙を浮かべながら俯いていた。
どうやら、「今まで一度も過去に干渉したことはない、因果律だのなんだのの法則を乱したことはない」というのは真っ赤な嘘だったようだ。
私は何か声を掛けてやりたい気持ちになったが、何にも思い浮かばなかった。
「でも少しだけ、効果はあったの。それは滅亡に繋がる『特異点』であり、『不可避の交差』である百々チアキさん、あなたという存在──ありとあらゆる宇宙のあなたに干渉し続けることで──たとえそれが元凶となった、あの天才科学者であるあなたではなくても──少しずつ宇宙全体の未来が変化していたから。それは具体的に言うと……私たちみたいな多元宇宙警察が生まれて、こうやって『安全かつ公平な方法で、未来から過去へやってきた』こと。『全宇宙の監査、修復、そして未来への繁栄の可能性』が生まれたことよ。不思議なこともあるものね」
私たちはただ、黙ってそれを聞いていた。
だから私は──
他の宇宙で、知っていたんだ。
「チェスの駒みたいに地道に一手ずつ、少しずつ何かを動かすことで全宇宙の先の先の先の未来へと干渉したの、あなたたちは。結果的にはね。本当に不思議なことよ、これは。まあ、多元宇宙のことは誰にも分からないから。目下研究されているのは、『対関係にある宇宙と宇宙の相互干渉によって生じる歪み、そしてそれらの他の隣接宇宙への伝播の可能性』よ」
私たち3人は顔を見合わせた。
そして大原ミケは、気怠そうにこう呟いた。
「まさかこっちも、ここまで手こずらされるとは思わなかった。取り敢えず作業が終わったら、即刻あんたらを元の『宇宙37』へ戻すわ。ちょっとばかし改変された、''UNIミニのない世界''へね……『あの人』の件もあるし、もうあと何日も寝れないわ……」
私は二人の頭のイカれた虎と龍を見やった。
そして興奮して、聞いた。
「『超次元人』って、どんなのでしたか?」
すると二人は気のない返事で答えた。
「うーん……なんか、トイレのスッポン? を……ひっくり返して目ん玉ふたつ付けたようなやつ……」
「ソノ通リヨ、百々サン。失ワレタ全テノピースガ今、元アル場所へ……」