テイク・ミー・ハイヤー
──巨人になりたい──
──暗黒の宇宙に身を投げ──
──銀河の流れに泳ぎ──
──両腕に地球を抱きしめ──
──黙って涙をこぼしている──
──限りなく無力な──
──巨人になりたい──
谷川俊太郎「美しい夏の朝に」
「あたしの意識とリンクして動くから、安心しててね!」
「……安心出来るんですか、それ! あと私はもう役目終わったし、帰ってもよくないですか? 何でここまで一瞬なんですか? もう!」
巨人はやや灰色がかった白の皮膚を持ち、性器はなく、華奢な体型でまるで大型のマネキンやデッサン人形のように無駄のない様相を呈していた。全身から眩い光のオーラを放ち、武井ルカの意識が放つ命令をひとつずつ正確に汲み取って、これまた無駄のない動きで大地を蹴り続けているようだ。
一歩ずつ、標的である銀色ダコがいる大型ショッピングモールまで歩を進めてゆく。耳が割れるような地響きと、旋毛から爪先まで揺さぶるような無慈悲の振動が、私の心身を捉えて離さなかった。というか、余りにそれは、私の心身に揺さぶりをかけすぎていた。巨人が10歩ほど進んだ瞬間に、冷酷非道な物理の法則に沿って「それ」は訪れた。
「おぼろろろろ……ろろ…おげええええええ」
目から涙が込み上げてくる。止まらない。もう、こんな宇宙は嫌だ。早く家に帰りたい。大量の嘔吐物は何故か全て、巨人の肩に纏わりつく光のオーラの上を滑り、地上へと落とされていった。
「あっ……ごめん。忘れてた。マジで……ごめんね、これ食べて! 向こうの星の『兵糧丸』みたいなやつで、胃や腸内を一定の酸素やその他の元素で安定させるやつ。これで酸素のない場所でも平気だし、でっかい振動にも耐えられる……てかごめん、マジで。うわ、こんなことになるとは……ごめんなさい、本当に」
武井ルカは心底困惑し、心底同情し、心底申し訳なさそうにしていたのだが、最早ここまでくると、私は完全に振り切れていた。こんな私の姿を見ても尚、私のことが好きだというブラフを、かけられるものならかけてみよ! とでもいった境地に至るまでそう時間はかからなかった。私は武井ルカからもらった青色をした謎の玉を口の中へと投げ入れ、巨人を見上げる富士見町住人たちの驚嘆の表情を見下ろしていた。
銀色の巨大タコの足の本数は「すえひろがり」の8ではない。なのに何故タコのようだと認識したかというと、そのふてぶてしい面構えと、歪な曲線を描くエイリアンのような頭部の形状からだ。
タコは私たちを何だか珍妙な面持ちで見上げている。当たり前だ。切れ長の目の奥は濁っている。確かな野生の獰猛さを感じる。私はその眼差しに戦慄した。
「おら! 喰らえ! チェーン・パンチ!」
ルカは巨人を通じて、何故か詠春拳の連続パンチを繰り出したのだが、現実はドニー・イェンのようにはいかなかった。というか何故チェーン・パンチなのだろうか。もしかしたら腰周りの重心の高度な操作が出来ない分、大きく振りかぶってのパンチは打てないからなもしれない。思ったよりも迫力のない細腕の縦回転の殴打に、巨大タコは少しだけうっとおしそうな表情を浮かべて、無数の細い触手を束ねた痛恨の一撃を我らが光の巨人の脇腹へとお見舞いした。
景色が、傾く。
青空が遠くなる。
「くそっ! 堪えろ! 堪えろ! 堪えろ! 駄目! 頑張れこら! コケるなマジで! 頼む!」
私たちは何とか持ち堪えた。流石に転倒する訳にはいかない。自分たちの町をこれ以上破壊する訳には……
「作成変更! ちょっと距離取るよ!」
そう言うと武井ルカは大きなバックステップを高速で3歩ほど取った。建物が次々と破壊されてゆく。嗚呼! この女にあともう少しの倫理観が備わっていれば! 天才的な頭脳や発想の他に! 私は巨人の肩にしがみついた。もっと他の方法もあったのではないかと思えてきた。
すると前方に小さな飛翔体が見えた……藤田ユキだった。すっかり忘れていた。無数の触手を切り裂くのに必死で、藤田ユキは恐らく本体であろうタコの胴体に攻撃出来ないでいるようだった。適度な距離を保ちながら、彼女はヒット&アウェイの戦法を取っていた。
「ユキちゃん……頑張ってるみたいだけど、あんなにちまちまとやってらんないよね! よーし! 素手喧嘩は辞めた! こうなったら必殺技出すよ!」
私は地獄絵図と化した地上を慮りながら、思わず武井ルカの肩を抱いた。
「最初から出してください! 最初から! 本当に!」