2 それって失恋?
翌日。 昨日よりも少し早い時刻に僕は例の桜の切り株の所に来ていた。
姿の見えない高校生の少女との会話。そんなファンタジーの様な出来事を再び期待していたのである。
満開の桜は今日も散る事無く、美しいピンクの霞が青空とのコントラストを描いていた。
切り株に座った僕は独り呟く。
「やっぱりな、昨日のは夢か、あんな事2度は有り得ないんだ。」
そう、昨日と違い背中の下の方のベルトをする辺りの腰には何も当たる感触が無かったのである。
そして、桜の木を見上げ、いつまでここに居ようかと考えて居た。
その時である。腰に何かがぶつかる様な感触がした。昨日のあの時と同じ位置、同じ感触である。そしてぶつかる感触と同時に少女の声が届いた。
「待ったー。」
まるで友達にでも会いに来たみたいな軽い口調だ。
「いや、僕も今来た所だよ。」
僕の方はまるで恋人とのデートの様に答える。
「良かったー、少し遅れたから、もう帰っちゃったかなって思って急いで来たんだ。」
少女は昨日と違って明るい声である。
「あの・・」「あのね・・」
2人同時に。
「君からどうぞ。」
「いえいえどうぞ。」
お互い譲り合って、結局僕から聞く事になった。
「今僕は桜並木の端にある切り株に座っているんだ。横には幽霊の出そうな廃墟の崩れそうな家がある所に居る。君は?」
僕の問いに少女はさっき迄とは違い落ち着いてしっかりした声で答える。
「私も桜並木の端にある切り株に座っています。でも横には小川が流れていて、その向こうには菜の花畑の黄色い絨毯が広がっていますよ。」
「そうか、僕達はまったく別の場所にいるんだ。」
すると少女はまた友達にでも話すかのような軽いトーンで聞いて来た。
「あれっ、何処に住んでいるのかって聞いて来ないんですね。」
「ふっ、そんなつまらない奴じゃないよ。何処に居るのか分からない2人が会っている方が良いだろう。」
少女が頷いている感覚が腰の当たっている所から感じる。
「でも私達、2人共切り株に座っているんですね。」
「そうだね、君が背中に当たっている感触は有るんだ。」
「私もです。ふふふ」
「じゃあ僕達は逆方向を向いて座っているんだね。」
「いいなー。」
「何が。」
「何だか恋人同士の様な感じがして。」
「はははは、でもダメなんだなー。」
「えっ、どうして。」
「君が高校生だからさ。僕が未成年の子と付き合ったら逮捕されちゃうんだ。」
「うふふ、実際に会って居ればでしょ。姿の見えない彼女だったら逮捕できないわ。」
高校生でも女性の精神年齢の高さを感じさせる、大人なんだと思わせるその言い回しと声のトーンに僕はドキッとさせられた。そして僕は聞く。
「ねえ、君はどうして切り株なんかに座っているの。高校生だったら制服とかが汚れて嫌じゃないの。」
「・・・・」
彼女は黙り込んでしまった。僕は聞いてはいけない事を聞いてしまったのかと思い、彼女の答えを、いや、彼女からの何かしらの反応を待った。
それでも、僕から何か言わないと、と思いそっと話し出す。
「あ、いや、言いたく無いのなら、いいよ。」
それからも少しの沈黙。腰に当たっている感触は変わらない。
「あのね・・」
ゆっくりと彼女が話し出した。
「私、失恋したの・・。それで、知らない道歩いて来て、桜を見てたら泣けて来ちゃって、傍に在った切り株に座ったの。」
「僕と一緒か。」
「えっ、おじさんも失恋?」
急に彼女の声が大きくなった。
「おじさんは酷いな、これでも26なんだよ。」
「ごめんなさい。お兄さんだったのね。声が落ち着いていたから。」
「失恋したてで、明るく話す奴は居ないよ。君は。」
「16、高校2年になったばっかり。」
「へぇ、じゃあ10違うんだ。」
「そう。 ねぇ、私って恋愛対象範囲内?」
「あのなぁ、失恋したばかりの男性に向かって聞く事? 君はどうなの。」
「私は昨日で吹っ切れたの。だってしょうが無いんだもの。好きな先輩には彼女が居て、その子が私の友達だったなんて、私、応援するしか無いでじゃない。お兄さんは。」
女性の強さを知った時である。一日で変われるのが凄い。それとも、そう自分に言い聞かせているのか、声は明るいが、どことなく寂しい感じに受け取っていた。
「僕は待っていただけ。」
「はっ? それって失恋って言うの。」
「そう自分で決めたんだ。」
「ふ~ん。」
「・・・」
僕はそれ以上言わずに居た。
「それだけっ。」
急に彼女が声を上げる。
「えっ、もっと教えてよ。私ばっかズルいじゃん。もっとお兄さんの失恋の話教えてよ。」
「人に話す様な事でもないし、物語にする様な盛り上がりも無いから。」
「いいから話してみて。もしかしたら姿の見えない私達が出会ったのはお互いに失恋したからかもしれないじゃない。」
こういう時の女性は強い。年齢の上下に関わらず必ず目上の様な姉御肌と言った感じになり、押し付けるのではなく圧を与えて来るのである。そして必ず言っていることが正当性を帯びているから面倒である。それを前にして男と言う奴は言い返す事が出来ずに従うしか無くなってしまうのが厄介だ。
「何だか年下の君に主導権を握られている様だ。 ふむ、まぁいいか、僕は高校生の時にふられた彼女を待っていたんだ。そ、君と同じ16の時にね。」
「待ってたって・・」
「高校を卒業して、どこかでバッタリと出会わないかなって、そうしたらもう一度付き合ってくれって申し込もうと思っていたんだ。」
「だって嫌われて別れたんじゃないの。」
「分からないんだ。別れた理由。ある日呼び出されて『私達、別れましょう』って突然言われたんだ。理由も告げられずにね。」
「ふ~ん。」
「だから僕はずっと考えていたんだ、どうすれば別れずに済んだのかなって、再び彼女に出会って付き合う事が出来たのなら、過去の失敗を繰り返さない様にしようと思ってね。」
「それで何で失恋なの。」
「26の誕生日までって決めていたんだ。もし神様が居て、僕と彼女の人生がどこかで再び交差する事があって、出会う奇跡が有ればってね。」
「それで。」
「出会わなかった。昨日が26の誕生日だったんだ。」
「そうだったの。ハッピーバースデーでは無かったのね。」
「ああ。」
「ふふ~ん、もしかして私が運命の人だったりして。」
彼女は楽しんでいるのか背中に伝わる振動でクスクスと笑っているのが感じられ、僕を少しイラつかせる。
「あのなぁ、言っただろう、君はまだ高校生だって。」
そしたら急に彼女は大人っぽい口調で言い返して来た。
「2年もしたら卒業よ。その彼女を10年も待っていたんでしょ、だったら2年位待てるでしょ。」
「はぁ? でも僕達は姿が見えない、それでどうやって付き合うんだ。」
「あー、それもそうか・・・、じゃあこれは宿題ね。」
「宿題?」
「うん。私これから、また、塾に行かなくちゃいけないから、また明日ね。」
「明日、会えるのか?」
「会えるわ。私、心に強く思っているから。」
「じゃあ、僕も強く願うよ。」
「ええ。」
彼女は微笑みを思わせる軽い笑い声を残して背中から消えた。
本当に明日も会えるのだろうか。