1 君はだれ
君はだれ、姿の見えない君は何処に居てどうして僕と繋がったの。
場所と時間を越えた2人の出会い。
絡み付く桜の根が2人を繋いだのだろうか。
全3部です。
桜は一斉に咲き、そして一斉に散る。
学者や気象予報士達は最高気温の累積がある一定量に達した時に桜が花開くと予想しているが本当なのだろうか。だとしたら桜には高度な知能があって、毎日の最高気温を正確に知り、それを毎日足し算して記憶している事になる。しかもその計算を始めるのが2月1日ときた。ならば桜は太陽暦という暦も分かっている事になってしまう。
でもそれは僕と同じ考えだ。いや僕は思う、もっと彼等には高度な知能があって、お互いの意思疎通も行っているのではないかと。
広葉樹独特の横方向へと張り巡らせて広げた根を絡ませ、入り組んだ太い根から伸びる細い根同士の接触している所がまるで人間の脳内にあるニューロンのシナプスでもあるかのように働き、その接点で情報を行き来させて居るのだと思う。一斉に咲き、一斉に散るのはその一片に他ならない。
例えば、山を覆う桜の木の、その麓で小さな女の子が見上げて声を上げたとしよう。
「ぅわぁ~!」と昂った感情が声に乗って子供独特の高音の声がそのいつもよりもより高い音で響く。それに「ママ、ママー、ねぇ見てーっ!」などの興奮した声が加わるとなお効果が高いのだ。その声の響きを受けた近くの桜の木が根という情報網を使って山全体の桜に感動を与えたという喜びの感情を伝える。そうすればもしかしたら人間で言うアドレナリンと同じ様な何かの物質が分泌されて散る日が2日程先に伸びているのかもしれない。また逆に、誰かに枝を折られたのならば、その木の痛みと悲しみが全体に伝わり、散る日が早くなっているのかもしれないと。
だからこそ、桜は一斉に咲き、そして一斉に散るのだと。
僕のそんな思いはあの春の出来事で確信へと変わった。
桜も咲き揃い多くの人達が春の訪れを楽しんでいた。家の近くにある桜並木も例外でなく日頃訪れない様な人達もわざわざやって来て桜の花を満喫しているのに、その並木のある一角だけが取り残された様にポツリと誰も寄り付かない所がありそこには静けさがあった。そこにある桜も他の木と同様に綺麗な花を咲かせているのだが、その木の下には人々が訪れ満開の桜を見上げる事は無かった。それは桜に何かあるというよりはその木のそばに残っている廃墟のせいである。
住人が居なくなって何年、いや何十年とそこに残っているのであろうか、家全体がつる植物に巻かれ、周りには芒などの背の高い植物と木が伸び放題に伸び、それらが自由に育った事で返って陽の光を遮り、さらに密集しすぎて自らの成長を妨げた結果、そのほとんどが枯れてしまって、緑のものは太い常緑樹の葉ぐらいになっている。薄っぺらい瓦屋根はそれを乗せている木の骨組み自体が崩れかかって歪み波打ち、汚れて曇った窓には住人のモノが残っているのだろうかそこだけ色鮮やかなプラスチック製の物の姿がぼんやりと見えている。2階の窓ガラスは所々割れており、ひとつの所は完全に窓枠しか残っておらず、蔓科の植物であれば高い2階であってもそこから暗い家の中へは自由に入る事が出来そうなのだが、そこには暗い空間が見えるだけで植物も中にまでは入ろうとはしていない。心霊スポットにもなりそうなのだが、その廃墟に近づくにはその回りを取り囲んでいるモノとそれを覆っているモノを何とかせねばならず無理そうである。一つあるとすれば、夜な夜なあの2階のガラスの無い窓に何か人の姿をしたモノがこちらを向いて立ちそうな位なのだ。
そんな廃墟が直ぐ近くにあり美しい桜の花の景色を台無しにしてしまうので、この場所には人が寄って来ないのである。
そればかりでない、この木は桜並木の端にあり、ここに来る手前に住宅街へと曲がる道がありここは行き止まりとなっているので、わざわざここまで桜を見に来る人は元々少なかったのである。
だが、その忘れ去られ、人が来ないこの場所があの時の僕にはありがたかった。
僕はあの日誰も訪れないその場所で桜を見上げていた。
その時咲き誇っていた桜を見て、『美しい』と思ったのかは憶えていない。
ふと視線を落とすと、桜の木の傍に切り株がある事に気付いた。どれ程前に切ったのかは分からない。それは、僕がこの場所を訪れたのがこの時が最初だったからである。
その切り株の太さからすると、元は大きく立派な桜であっただろうと思われる。今、隣で咲き誇っている桜の幹よりも2回りも大きかった。
(立ちっぱなしも何だし、座って桜を見よう)と僕はその切り株に腰を下ろした。
「わっ!」
声を出して立ち上がる。
突然、何の前触れも無しに、座った瞬間、腰の辺り、丁度ベルトをする辺りに何かが当たった感覚があったのだ。立ち上がって切り株を確認し、周囲を見回すも誰も居ない。何も無い。気の所為かと思いもう一度座り直した。
「きゃっ!」
今度は腰への感触だけでなく、女の子の声が聞こえた。空耳ではない。確かに聞こえたのである。それも若い女の子だ。
こうまでになると確かめてみたくなるのが人間の心情である。
ゆっくりと、少し浅めに座って、そこから深く座る様に後ろへとずらしていく。
(あ、当たった。)「・・あっ。」
微かに少女の声も聞こえた。
「あのぅ。」「あのぅ。」
同時に声が届く。
「あ、あのぅ、あなたは幽霊ですか。」
僕が思い切って聞いてみる。
「えっ、あなたこそ幽霊なんじゃない。」
少女の声は驚いているのだろうか、言い出しの所が少し早口だったのを抑える様に、そこからはゆっくりと聞こえて来た。
「僕は人間です。ちゃんと生きていますよ。」
「私もです。私だって生きてます、元気一杯の高校生ですから。」
今でも背中の下、腰の辺りに何かが当たっている感触がある。
「あっ、やばっ、予備校の時間。」
少女は急に慌て出した。
「ねぇ、明日も会える?」
今までの少しおどおどした感じは無く、まるで同年代の友達にでも言う様な話し方に変わった。
「あぁいいよ、会えるって、見えてないけどね。でもどうして。」
「ん~何となく。不思議で楽しいでしょ。姿の見えない、でも幽霊じゃない人とお話しが出来るなんて。」
見えていないのに少女が笑顔で話しているのが分かる。
「はははは、うん、楽しいね。」
「じゃあ明日、今と同じ時間で。」
「本当に明日も会えるのかな。」
「きっと大丈夫。私達2人が会いたいって強く願っていれば。」
『強く願っていれば』と、そこは少女らしい夢見る様な思いを告げる。
「そうだ、君の名は・・・。」
僕が少女の名前を聞こうとした時、腰の辺りにあった、今まで何かに当たっていた様な感触がフワッと離れる感覚を覚え、それ以降僕の問い掛けに少女の声は返って来なかった。
君はだれ。