殺人鬼と女子高生。
ある男が泣きながら俺にこう懇願してきた。
「金ならいくらでもやる。だから、命だけは…。」
バンッと聞き慣れた音でその声は途絶えた。
「最後にそれ言うようにって教育でもされてんの?」
毎度、同じような台詞言いやがって…あっ、やっべぇ。死体に喋りかけちまった。
「返事がないただのしかばねのようだ。」
自動的に言葉が脳内再生される。
「ふふっ、金なら殺してからでも取れるからね。」
妙な恥ずかしさから誰に言うわけでもない独り言に流した。
「ぴゃ、百万で女子高生を殺害?えええ、割に合わないっすよ。」
冗談だと笑っちまうくらいやばい案件。
先輩、なんて電話寄越してくるんだ。
「まあ、考えてみてくれ。」
と電話を切られ、とりあえず、携帯にデータが送られてきた。
「可愛い。」
証明写真でこの写りだと実物はそれ以上。
黒髪サラサラストレートヘアの清楚系の美人。
チャットを開き、先輩にこう伝えた。
「俺、一千万で買います。」
「やめとけ、馬鹿。」
先輩、ひでえ。さてと、準備しますか。
「今週のジャンプ、ワンピやってないのかよ。」
コンビニでジャンプを立ち読みして気づいた事実。
このコンビニはあの女子高生の通学路。こうして待っていれば会えるという寸法だ。
「おっ、来たか?」
身長は百六、いや、百七十あるか?
モデル体型ですらっと伸びた脚が綺麗だ。
歩く度に艶やかな黒髪がなびく。
想像以上、可愛すぎる。
あ?コンビニにたむろしていた男子高校生共が彼女に話しかける。嫌です、やめてください。そんなこと言わずに。俺達と遊ぼうよ。と肩を組んで…。
はあ?気軽に俺の獲物に触ってんじゃねえよ。
「ねえ、良いじゃん。どうせ、学校帰りなんだから。」
「私はこれから用事があるので、これで失礼…。」
と男の一人を引き離そうとしてる。
「やあ、迎えに来たよ。ん、お友達かい?」
彼女が「は?」って顔してる。わかんないって顔してる。でも、可愛い。
「話し合わせて。」
と耳打ちで彼女に提案する。
「誰だよ、お前。」
と男子高校生の一人が俺に向かってガンを飛ばしてきた。すげえ、生意気。
「そんなに威嚇しないで。この子の彼氏だよ。」
と見せつけるように両肩を持ち、そうだよね、と彼女と目配せをする。
こっちを見て、こくん、と頷く彼女。ああ、乗ってくれた。可愛い。
「ああ、そうなんだ、ね。」
俺が中々のイケメンで高そうなスーツ着てるからびびったか、男子高校生共め。
仲間内でどうするか考えてる。この内に逃げるか。二人で。
「じゃあ、行こっか。」
と手を握って、指を絡ませる。うわっ、まじで俺達恋人じゃね?
彼女が若干恥ずかしそうにしている、可愛いかよ。
「ごめんね。(可愛い彼女奪っちゃって。)」
と高らかに爽やかな笑顔を添えて、男子高校生共に別れの挨拶を告げた。
「さあ、乗って。」
コンビニ横に止めてある車の助手席のドアを開ける。
彼女がやっぱりこれには戸惑ってる。
「まだ見てるから。ちょっと走らせるだけ。」
これは嘘。完璧なる嘘だが、お願い信じて。
「失礼します。」
と小声で言って、助手席に座る彼女の可愛さと言ったら。もう言葉にはできない。俺の語彙力では。
まあ、車を走らせた時点で俺の勝ちは決まったわけだが。
これから、どうするか。
一、任務を遂行。即答できる。これはない。
二、彼女を俺の家に連れ込む。はい、めっちゃしたい。
三、彼女を家まで送り届け、さらに良い人となる。これもありだなあ。連絡先ぐらいは交換したい。
四、彼女をすぐに車から降ろし、健全さをアピールする。好印象は与えられるが、関係性は希薄になるか?
決めた。三、四、二の順。
「もし良かったら、このまま家まで送るよ?少し心配だから。」
コンビニから少し離れたところで、なるべく欲を隠してこう提示した。
「いえ、もう大丈夫ですので。」
とそれに彼女は冷たく答えた。これは多分俺を警戒してる。無理だ。
「じゃあ、そこで降ろすね。」
また、近くのコンビニに車を止める。ここで降ろさないといけない。
「ありがと…ん?鍵閉まってます。」
と彼女はドアを開けれなくて困っている。
ああ、馬鹿だ。欲を隠すんじゃなかったのかよ。とハンドルに頭を突っ伏して、自分の愚かさに嫌気がさした。
「ごめん、降ろしたくない。」
うわっ、きもいきもい無理無理無理。何言ってんだよ。俺。もう彼女の顔も見れないじゃん。
「じゃあ、良いですよ。」
「え…え?」
二度聞きしてしまった。いや、理解ができない。俺、超きもいこと言った、よね?
「顔真っ赤ですね。」
と俺を見て、彼女が笑う。
「いや、それは、その、俺が。ああ、駄目だ。頭回んない。」
自分の愚かさを責めるのでは無くて、何だかただ嬉しくて、笑った気がする。
「本当に良いの?」
「はい。何処か連れてってください。」
とはにかんで笑うのが愛おしい。
「わかりました。ご希望は?」
「海。真冬の海はどうですか?」
と思いついたように、楽しげに言っている。
「了解。」
アップテンポの音楽をかけて、車を走らせた。
機嫌は良いが、安全運転には人一倍気をつけた。もしいつものようにスピード違反で走行してたら、柄が悪い奴だと思われかねないからな。
「お仕事は何されてるんですか?」
「まあ、いわゆる夜の仕事って奴だよ。」
殺し屋よりまし。殺し屋よりはだいぶまし。
若くして金持ってて遊んでられる理由を簡単につけられる。
「へえ、意外ですね。」
「え?なんで?」
みんなこれで納得させてきたのに。初めての反応。
「だって、さっきの反応可愛かったんで。」
「ああ、プライベートは慣れてないから。」
かき乱されて、恥ずかしさで死にそう。
「そうなんですね。」
と彼女は満足気に微笑んでる。
こんな可愛い子ちゃんの前で平然を装っていられるかっての。
「彼氏は?」
「いません。」
「嘘。絶対いると思った。」
まあ、いたらいたで殺してたかもだけど。
「女子校なので、出会いすら無いですよ。」
「それは嘘だよね?声かけられてたし。」
「でも全員、好みじゃないんです。子供っぽくて。」
と過去を思い返しては、不満足なご様子。
「年上好きなの?」
期待しちゃうよ?ねえ、期待していい?
「そうですね、はい。」
と可愛らしい笑顔で返事する。
やっば、好みって言われちった。付き合っちゃうか?俺ら、付き合っちゃおうぜ。
「この車、高そうですね。いくらしたんですか?」
「一千万くらい?あんま、覚えてない。」
この車に君の命を乗せているわけだが、俺にとっては君の命がより価値あるもので、車が大破しようと君の命があればどうでもいい。
そもそも、俺は君を傷つけたり、君を危険に晒したりはしたくないけど。
「お金持ちなんですね。」
「そんな大層なもんじゃないよ。家は狭いし、主食はカップラーメンだし。」
手柄のほとんど、組織に取られるし。
「そんなだと、栄養バランス偏っちゃいますよ?」
ん?まさか俺のこと心配してくれてる?天使か?
「うん、そうなんだけどね。俺、料理できないからさ。」
「へえ、そうなんですね。」
という素っ気ない返事で会話が途切れてしまった。料理できない人は嫌いかな?仕方無い。これから勉強するか。
高速道路を降りると、すぐに海が広がって見えた。
「海、綺麗ですね。」
と海に見とれている彼女に
「うん。」としか俺は返事ができなかった。
真冬の海はさすがに寒かった。身体の芯まで冷やされてしまうので、ホットコーヒーとホットココアを自販機で買った。
彼女にココアを渡すと「私もコーヒーで良かったのに。」と可愛く文句を言われた。もう彼氏彼女の関係ではないかと心躍らせる。
もう夕陽が海に沈んでしまいそう。
二人で縁石に座り、海を眺める。
「なんで俺の誘いに乗ってくれたの?」
「あれは、ただ家に帰りたくなかっただけですよ。」
「本当に、それだけ?」
「はい、それだけです。」
と笑顔でキッパリと答える彼女。
「あーあ、少しは期待したんだけどなあ。」
と落ち込みながら、残念がってそう言った。
「…今、ちょっとドキッとしました。」
とココアを大事そうに両手で掴んで、可愛らしく言われた。
「え?…可愛い。」
「やめてください。慣れてないです。」
とそっぽ向いて、さらに照れてる。
「何?俺のこと、好きなの?」
と勢いで言ってしまった。もう振られても良いや。十分、楽しく過ごせたから。
…黙り込んでしまった。
「…料理、私が作りましょうか?」
ココアの缶を見つめて、彼女が呟いた。
「え?それって、どういう…?」
今日は一段と頭が回らない。言葉が意味を持って入ってこない。
「言わせないでくださいよ。」
と戸惑う俺を見て、微笑まれる。
だって、それってそういう…。
「…俺が君を愛してもいいってこと、だよね。」
彼女の手をぎこちなく上から握る。心臓がうるさい。
「そういうことですね。」
と彼女はそれに答えるように指を絡ませ、握り返してくる。俺よりも小さくて綺麗な手だ。まだ実感が湧かなくて、夢を見てる気がする。
「じゃあ、キスしてもいい?」
冗談半分で彼女に聞いてみたつもり。一種の確認みたいなもので、はやくこの夢から覚めたかったと思う。
「はい、どうぞ。」
と笑顔で向かい合って、見つめ合う。
彼女の頬と唇に軽く触れ、顔を近づける。
唇に柔らかい感触。触れ合った瞬間、幸福感に満たされる。病みつきになりそう。
「ん、美味しい。」
とキスした後で得意気に言ってみる。
すると、赤面した彼女が、恥ずかしがって目を逸らした。
「…これ以上はもう駄目ですから。心臓に悪いです。」
と決まりが悪いように俺から距離をとる。
「ふふっ、可愛い。」
と彼女との距離をぐっと縮め、抱きしめると、驚いた様子を見せたあとで笑ってくれた。
「幸せ。」
「おい、馬鹿。今何処にいる?」
口を開いて早々、人のことを馬鹿呼ばわりですか。
「んー、神奈川のホテルっすね。」
「ターゲットは?」
「彼女なら、一緒にいますよ。一緒の部屋です。」
「任務状況はどうだ?上手くいってるか?」
「まあ、ある意味、上手くいきすぎてますね。」
「はあ?」
「先輩、俺彼女を買うって言ったじゃないですか。」
「あれ、まじなの?」
「はい、もう彼氏彼女の関係ですよ。」
「ああ、本当に馬鹿じゃねーの。何やってんだよ。」
「ええ、ちょっとは遊ばせてくださいよ。」
「じゃあ、良いこと教えてやる。お前、騙されてるよ。」
「え?」
「彼女、相当の遊び人らしいぜ。西明グループってのは、お前も聞いたことあるだろ?」
「はい、うちのお得意さんですね。」
「そう、そこの社長さんの末っ子娘だよ。彼女。まあ、表沙汰にはなんねえが、もっぱら悪い噂しか聴かねえ。一回下ろしたとも言ってた。」
「へえ。」
「しかも、今回の依頼主は西明の社長つまり、彼女の父親。これは相当手焼いてるってこった。どうだ?やる気出たか?」
「ああ、だからそんな破格がまかり通るんですね。」
「あ?それはどーでもいいだろ?」
「良くないですよ。百万ですよね?俺、一千万積むんで、俺の方が強いです。」
「馬鹿。お前、まじでやめろ。死ぬぞ。冗談抜きで。」
「じゃあ、俺が死なないように祈っといてください。」
ピッ。死ぬ、か。
「お風呂、お先にいただきました。」
と彼女がバスローブ姿で出てきた。
うわ、簡単に脱がせる。
「俺も入っちゃおうかな。」
と彼女の前では楽しげに笑った。
シャワーを浴びながら、ぼんやりと考え事をする。
殺すか、死ぬか。
どーせ、いつかは尽きる命。
俺は死んだってどうでもいい。
今までたくさんの命を奪って生きてきた。
罪の償いをしたいわけではないが、俺の生産性なんてそんなもん。ん、消費か?
まあ、死ぬのは怖いことじゃない。
けど、身寄りのいない俺を救ってくれて、育ててくれたのは今の組織だ。
先輩だって、可愛がってくれてる。
「電話、鳴ってますよ?」
彼女が携帯を持って、バスルームまで来てくれた。
「切っていいよ。あとでかけ直す。」
お節介焼きな先輩だ。
風呂上がり、ホテルにあるバスローブを着て、髪型もそれなりに気を使う。
部屋では彼女がベッドに座ってスマホを見ていた。
通報でもされたら俺、捕まんな。
「ん?何見てんの?」
「さっき撮った写真です。よく撮れてませんか?」
ツーショット写真。完璧に跡残ったな。
ホテルのチェックイン、防犯カメラにもバッチリと写ってる。
「そうだね。よく撮れてる。」
俺が関わった直後に死んだら、確実に俺が怪しまれる。リスクが高すぎないか?
「ねえ、それよりもさ。それ、誘ってんの?」
目線で、脚や胸元が見えていることを伝える。
「え?」
戸惑う様子の彼女をベッドに押し倒した。
「その気なら、美味しくいただいちゃうけど?」
「いや、これはその、これしか無かったから。」
と頬を赤らめて、目を逸らし、言い訳をしている。
「それで?したいの?したくないの?」
「今日はまだ早いというか、心の準備ができてない、です。」
え、可愛い。いい意味で期待を裏切られた。
先輩、噂と違うじゃないですか。
「そう。じゃあ、また今度ってことで…。」
と彼女から離れようとすると、手を捕まれ、引き止めてきて、
「あの、嫌ってわけじゃないですから。むしろ、その、嬉しいって感じで。」
いや、待って。こっちの思考が殺られる。
さっきまで殺そうとしてた奴に言う台詞じゃないって。
「ふふっ、ありがと。君があまりにも可愛いから、ついがっついちゃった。ごめんね。」
と彼女の綺麗な髪を撫でる。
「いえ、そんな。私の方こそ期待に答えられずに…。」
「良いんだよ、それで。好きな人に無理させるのは嫌だから。」
「格好良いですね。ますます惚れちゃいましたよ。」
「俺も。君のこと、もっと好きになっちゃった。」
もうこれ以上、好きにならないって決めた矢先に。俺の馬鹿。
「嬉しいです。」
「好きだよ。大好き。」
と彼女を腕の中に入れて抱きしめる。
身体の内側に抑えきれないほど、好きという感情が湧き出てきて、言葉にしても止められない。
「私も大好きです。」
と言われ、脈拍が早くなる。
ああ、馬鹿馬鹿。好きになっちゃ駄目なんだって。
相反する気持ちが葛藤となって現れる。
まあ、今は好きで良いんじゃないか?
考えるのをやめた。
朝、来て欲しくなかった。
なんで毎回来るんだよ、お前。
時が止まった世界で彼女を飽きるまで愛し続けたい。
「今日は、さすがに帰さないとだよね?」
「私は別に良いですよ。帰らなくて。というより、帰りたくないです。」
「なんでそんなに帰りたくないの?」
大方、予想はつくが。
「家庭の事情で、色々です。」
と内緒にされてしまった。
「そっか。でも、学校は行かないと、頭良くなれないよ?」
そ、俺みたいな馬鹿になっちゃう。
「ああ、そうですね。そしたら、家にある教材取りに行かないと。」
とちょっと渋い顔をした。
「一回、お家に帰ろっか。」
俺も色々と偵察したいし。
ナビゲーションしてもらって、彼女の家に着くと、やはり豪邸だ。社長令嬢怖え。
「え、本当にここなの?」
と初見ですという風に驚いてみる。
「ふふっ、びっくりさせちゃいました?」
「うん。やば、どうしよ。」
緊張で手が震える。
彼女の父親、会えるかな。
彼女がドアを開けると、「お、お嬢様、今までどちらにいらしたんですか?」とメイドが心配して寄ってくる。
それに対して、彼女は耳打ちでメイドに事情を話し、いたずらっ子のような笑顔を見せる。
メイドさん、すげー困ってる。
その様子が滑稽で笑えた。
「とりあえず、スーツケース持ってきてくれる?」
「ああ、はい。」
とそのメイドさんがいなくなると、またメイドさんが駆け寄ってくる。
「おかえりなさいませ、お嬢様。」
「ただいま。」
「そちらの方は?」
「この人?私の彼氏。」
と腕に抱きついてきた。可愛い。じゃなくて、朝帰りからの私の彼氏はさすがにまずいでしょ。お嬢様。
「よろしくお願いします。」
どうすればいいかよくわからない。
「はあ。」
メイドさんもよくわからない様子。
「まあ、これは、トップシークレットで。」
と言って、「行きましょう。」と手を引かれて、部屋まで連れてかれた。
部屋に行く道中で何人ものメイドに声をかけられたが、気にせず進んでいった。
「荷造り、手伝ってください。」
と部屋につくやいなや、そう笑顔で言われた。
「はい、わかりましたよ。お嬢様。」
「もう拗ねないでくださいよ。一人より二人の方が早く終わるじゃないですか。」
「別に拗ねてないよ。」
ちょっと期待外れだっただけ。
教材や洋服などを色々と詰め込む。彼女は案外、優柔不断なようで、いるものといらないものの区別が難しいらしい。
コンコンコン。いきなりノックされた。
「お嬢様、旦那様がお呼びです。」
きた。
「いないって言って。」
いや、無茶振りすぎ。
ガチャと施錠が外され、ドアが開いた。
「え?」
写真で見たことある。西明の社長さん。
俺と出会った瞬間、いきなり殴るんすか。
自分の手は汚さない人かと思ってた。
「おい、こんなネズミを屋敷に連れ込んでどういうつもりだ?」
「いや、その…ご、ごめ」
彼女が涙目になってる。
「俺はネズミじゃありませんよ、お父様。」
と笑顔で冗談半分で言い返してみると、
「人の財産を奪っておいて、よくそんなことが言えるな。汚らしい。」
と思いっきり膝蹴りを食らった。うわ、よろける。
人の財産?俺が殺し屋だって知って…いや、財産ってまさか彼女のこと?
ボディガードかよくわからないスーツ姿の男に抱えられる。
「連れてけ。」
そう冷徹に命令した。
俺はそのスーツ男に「自分で歩けるから。」と言って、離してもらい、すれ違いざまに、
「お金が欲しいなら払いますよ。」
と小声で、でも、その人には聞こえるように言った。
「へえ、面白い。もっと痛い目を見たいようだ。」
と陽気に肩を組まれた。
「ちょっとお父さん、もうやめて。」
と俺の手を掴む彼女はこんな時でも天使だ。
「お前は下がってなさい。」
この人自分の娘に向かってひでーな。
「大丈夫だから。」
と無理に笑顔を見せる。
「嫌だ。離したくない。」
と俺の手を両手で掴んで、泣いている。
可愛い。
社長さんが顎で合図して、スーツ姿のあいつが俺の彼女の手を引き剥がそうとする。
俺、顎で人を使う人嫌い。なんて思ってる場合か。
「俺の彼女に触んなよ。」
肩を組まれている手を振りほどいて、彼女の手を引き、俺の傍へ抱き寄せる。
「本当に大丈夫だから。泣かないで。」
と彼女の涙を拭く。
「本当に本当に?」
ああ、彼女って本当に可愛い。
「おい、お前。随分と舐めた真似してくれんじゃん。早く、来い。」
と髪の毛を後ろに引っ張られ、連れてかれる。
「あははっ、痛いですよ。じゃあね。」
と不安そうな彼女に手を振った。
地下倉庫に投げ込まれた。俺の扱い雑すぎでしょ。
「じゃあな。」
「え?ちょっと待って、話は?」
「あ?んなもんしてどーすんだよ。」
うわ、根っからのヤンキーだこの人。
まあ、組織に依頼しにくる人だからな。わかってた。
「彼女を俺に」
「渡さねーよ、バーカ。」
「はあ?」
「まあ、こんなふざけたことされたんだ。臓器ぐらいは貰わないとなあ。楽しみに待っとけ。」
待って、違う違う違う違う。
俺の描いてたシナリオと全然違う。
ええ。臓器取られんの、俺。えぐううう。
そうだ、携帯。うわ、ここ電波無いのかよ。
「おい、スーツくん。君、見張り?」
無視かよ。こっちは暇なんだよ。そっちもどーせ暇だろ?
「過去に何人殺られてる?」
まあ、これは無視だよな。
「俺、死ぬの?」
こくっ。ああああ、頷いた。
やっぱ、死ぬのかよ。
「違法じゃね?」
俺が言えたことじゃないか。
「お前、脅されてんの?」
表情が強ばる。だろうな。
「つらいな。お前も、俺も。」
震えながら、頷かれた。
労働環境、超ブラックだな。これ。
「はあ、彼女に悪いことしちまった。」
「あんだけ大丈夫って言っておいて、全然大丈夫じゃねーじゃん。なあ?」
「おい、今笑ったか?人の不幸を。」
横に首を振ってるが、口元が笑顔だ。
「まあ、何かの縁だ。仲良くしようぜ。」
「なあ、ここに食糧とか無いの?腹減った。」
「え、あんの?ああ、ここに。でも、それお前用じゃね?じゃあ、俺食えねーよ。」
「あげる?いやいや、死人に渡してどーすんの。お前だって腹減ってんじゃん。お前が食えよ。」
「あんた、優しいな。」
とビスケットをかじりながら、そう言われた。
「うわ、喋った。」
「僕だって、喋りたいときはある。」
「ああ、そうだよな。」
びっくりしたあ。
「本当に食わなくていいのか?」
と缶に入ってる数枚のビスケットを見せてきた。俺、もうすぐ死ぬんだぜ?
「もちろん。そもそも、お前の腹の音が聞こえたから提案しただけ。」
「え、そうなのか。」
「食いやすくなっただろ?」
「うん、いつもは目を盗んで食べるしかないから。ありがとう。」
「どういたしまして。お前、苦労してんだな。」
「でも、あんたみたいな人だと仕事が楽だ。八つ当たりで、殴られなくて済む。」
「えぐいなあ。今日は寝てても良いぞ。」
「それは僕の首が飛ぶ。」
「どうしてこんな仕事してんだ?」
「それは言えない。」
「借金とかか?」
あっ、黙った。図星か?
「まあ、話したくないことはあるよな。俺もゴミほどあるからよ。忘れたいくらい。」
「ああ、死ぬ前に黒歴史なんて思い出すもんじゃねーな。死にたくなる。ん?待て。これでいいのか?よくわかんねえ。」
と独り言のようにどんどん話をしていく。たまに笑ってくれると嬉しい。
「彼女、可愛いよな。俺、一目惚れしたんよ。何か、ビビっときたっていうか。わかるか?それ?」
「それで、一緒に海行って。こんな寒い中、水かけてくんの。冷てえ冷てえって大騒ぎして笑って。楽しかったなあ。」
「帰り道でお揃いのキーホルダーまで買ったんだ。俺達、ラブラブっしょ?」
「お嬢様、お気の毒だな。」
「え。ああ、そうだな。」
すっかり忘れてた、死ぬこと。
「お嬢様。ああ、見えて、本当は内気で臆病で人見知りなんだ。友達作りも苦手で、よくメイドからアドバイスを貰ってた。」
「そうなのか。」
「彼氏だって、あの見た目で不思議なくらいできないんだ。だから、この一件は屋敷の全員が驚いた。あんたの話によると、やはりお嬢様はよく頑張りになられたようだ。屋敷の人間ならわかる。正直に言おう。僕はあんたに死んで欲しくない。」
「ええ、その気持ちはありがたいけど。」
「あんたが魅力的な人間なのはよくわかった。お嬢様があんたを好きになる気持ちもよくわかる。屋敷の人間ならば、お嬢様には幸せになって欲しいと思うのは当然なんだ。だから、死ぬな。」
「無茶言うなよ。俺だって、できることなら死にたくねえ。彼女ともっとずっと一緒に。」
やば、なんでこんなに泣けてくんだよ。
「ううっ、僕はあんたを見殺しにしかできない。なんて無力なんだ。」
「お前が俺より泣いてどうすんだよ。」
「これ、食ってくれ。気持ちだ。」
とビスケットを缶ごと渡された。
「気持ちだけでありがたいって。」
「じゃあ、あんたの分まで僕が食う。」
「ああ、たくさん食え。」
わっけわかんねえ、こいつ。まあ、面白いわ。
「はあ、もう一度だけでいいからキスしてーな。そしたら、死んでもいい。」
「それくらいなら僕だって時間を稼げるぞ。」
「まじ?優秀。」
「旦那様は殺し屋を完全に信頼してる。だから、来るのは殺し屋ただ一人だ。その殺し屋と手を打って、少しの間だけ時間を貰う。その間に僕がお嬢様を連れてくる。どうだ?」
「ありがとう。最高だよ。良い最期を迎えられそうだ。」
「それは良かった。」
キィーッと地下倉庫の扉が開いた。早速、作戦開始…
「彼氏さん、彼女さんから話があるってよ。」
と彼女が地下倉庫に降りてくる。
え、殺し屋が彼女連れてきたんだけど。
「早く逃げて。」
「どういうこと?」
「私が貴方の身代わりになる。だから、貴方は逃げて。」
「お嬢様、そんなことは。」
ほら、スーツくんも驚いちゃってる。
「そうだよ。駄目だよ、それは。」
「でも。」
「命は大切に。自分も大切に。俺との約束。できる?」
と小指を差し出す。
「…したくないです。」
と俯きながら彼女が言う。
「それじゃあ俺、安心して死ねないよ。」
溢れてくる涙を堪えた。笑顔で別れを告げたい。
「じゃあ、私からも約束です。来世でまた会いましょうね。」
と彼女もそれに応じて、笑顔で言ってくれた。
「うん、必ず見つけ出すから。」
小指を絡め、約束する。
「俺は最期に君に出会えて幸せだった。ありがとう。」
と泣き出しそうな彼女にキスをした。
彼女の柔らかい唇の感触をずっと味わっていたい。
時が止まってしまえばいいのに。
「愛してる。」
彼女は泣きながら必死に笑ってくれた。
最期まで可愛い人だった。
「泣くな馬鹿。」
「先輩も泣いてるじゃないですか。」
「馬鹿は馬鹿でも優秀な馬鹿を失うからだ。」
「素直に優秀だったって言えばいいのに。」
「最期の最期に馬鹿だから馬鹿だ。俺の忠告も聞かずに。」
「先輩、俺にほとんど嘘を吹き込みましたよね?」
「違う、全部彼女に騙されたんだよ。」
「馬鹿ですね。」
「うるせえよ。内臓切り取ってやる。」
「あははっ、すげえ笑えない冗談っすね。」
さて、あの馬鹿を殺したのはだーれだ?
まあ、息の根を止めたのは当然俺なんだけれど。
百万で女子高生殺害を依頼したのは彼女自身だった。ついでに、俺にほら吹き込んだのも。
俺と出会った瞬間、彼女は
「殺し屋さん、ですよね?」
と瞬時に見破った。彼女は父親の罪を知っているようだった。
配管工事だと言っても、聞く耳を持たなかった。
では何故、彼女は俺達に殺しを依頼したのか?
俺達と会いたかったからか?いや、違う。
ただ死にたかったからか?それも、違う。
彼女は、父親に逆らいたかったんだろう。命を懸けて。
「私が死ねば、すべてうまくいく。」
そのように彼女が言っていたのをよく覚えている。
けれど、こちらとしては百万で彼女を殺す大義名分が無くなったのだ。
父親依頼であれば、今までの信頼を失うが、その娘依頼ならば、それはどうでもよくなる。
しかも、父親依頼で裏切り者を殺せるとなれば、組織としては一石二鳥だった。組織としてはな。
だから、俺はあの馬鹿を殺さなければならなかった。
彼女の依頼には、応えられなかった。
こんな後味の悪い依頼は初めてだ。
俺があの依頼を頼まなければ、あいつは死ななかっただろう。
俺があの嘘を言わなければ。父親の話をしなかったなら。
そうした意味の無い後悔が頭に浮かんでは消えない。