猫駅長
家の最寄りの駅では猫が駅長をしている。子供の頃からそうだ。なんでそうなったのかは知らない。人口の流出を防ぐ一環だったのかも知れないし、あるいは単に注目を集めたかったのかもしれない。なんてことない駅だから。駅ナカにキヨスクもないし食堂みたいなものもない。物悲しい待合室しかない。それからロータリーなんてタクシーが一台しか止まってないし、駅前だってシャッター通りになって久しいし。
そもそも駅を利用する人だってそんなにいない。都会と違ってその辺は車社会だ。まあ、もちろん利用する人だっているにはいるけど。でも、やっぱり閑散としている。
私が子供の頃から閑散としている。
だからそんな駅の駅長を猫にしたところで、そうそうどうなるものでもない。実際大した話題にはならなかった。市政だよりに載ったくらい。むしろ保守的で封建的で内向的な地方特有の嫌な感じが噴出してそれに対して不満が出たりした。ちゃんと仕事しろ的なの。真面目にやれ的な。一方では定期的に会合だのと称して若者離れが進む以外無いアルハラパワハラマシマシの酒盛りをやってるくせに。首括りたくなるようなやつ。
そんな感じだからまあ猫駅長っていうのをやってはみたものの特に何もないまま、今ではすっかり誰も話題にしない。自然風化したみたいになった。
ただ、今でもちゃんと猫駅長はいる。
もしかしたらもう私しか知らないのかもしれないけど。
「マタ」
猫駅長の名前はマタという。私がホームから駅舎に入って呼びかけるとなーんと一鳴きして彼女は姿を現す。その日はベンチの下から出てきた。
「よーしよし」
彼女は出てくるとふあああと一伸びし、それからぽてぽてと歩いてきて私の差し伸べた手に顔だの体だのを擦りつけた。
私がベンチに座ると膝の上にぴょんときてそのままそこに体勢を落ち着けた。
「今日も一人だねえ」
なーん。
終電の終わった駅舎。終電で帰ってくる奴なんてこのあたりでは私くらいのものだ。それからのわずかな時間私はマタと過ごす。毎日10分か15分くらい。
前は改札も人力でやっていたんだけど、自動改札になってからは駅員さんもいなくなった。だから本当に私とマタだけ。駅が閉まるまでの間少しの時間。
「今日も仕事疲れたよお」
終電だよお毎日毎日さあ。そう言いながら私はマタを撫でる。毎日そういう感じ。そしてマタは何の反応も示さない。喜んでいるのかそれとも何とも思っていないのか。でもこれも毎日同じ。少なくともこうして膝の上にいてくれるんだから嫌がられてはいないんじゃないかと思うけど。
マタは朝の多少利用者がいる時間帯は絶対に出てこない。夜だけ。終電かそれに近いくらいの時間帯に帰ってきた時だけ。そして一人の時だけこうして姿を見せてくれる。
「毎日嫌になるよなあ」
仕事は大変で薄給だしなあ。まあ実家で暮らせてるのはいいけどなあ。でもこんな外灯の少ない地方都市だしなあ。駅以外は駅前だって暗い。ほぼ真っ暗と言ってもいい。そんな中に私とマタだけがいるみたい。
「大変なんだよ。わかるマタ?」
マタは自分の手を舐めるのに夢中で何の反応も示さない。
「んふふ」
カバンから猫用の煮干しを出してマタに見せた。煮干しのパッケージが出てくるとその途端マタは私に興味を注ぐ。
両手でそれを掴むようにする。私の肩に前足を置いて立って見せてくれたりする。うにゃああんって言ってくれたりする。
「現金な奴め」
まあ、いいけどさ。マタは煮干しをあげるとむしゃむしゃと食べ始めた。もう煮干し一色だ。私への興味はまた薄れたみたいだ。
「お前この野郎」
そう言って私はマタの事を撫でた。
まだ改札に駅員さんがいた頃、そんな私とマタの事を見ていたその人は、
「そいつ、静ちゃんが飼ってくれたらいいんだけどねえ」
と言った。
私もそう思う。でも母が動物の毛のアレルギーで飼えないのだ。
だから、今もこう。
こういう生活がずっと続いている。
色々とうまくいかない。そう思う。
子供の頃こんな保守的で封建的で内向的な嫌な感じのある場所では暮らしたくないと思っていた。でも、都会に出て一人で暮らすっていうのはなんというか恐怖心があった。地元で仕事が出来て実家で暮らすっていうのはまあアリだなとは思うけど、こうして毎日残業で終電だ。給料も安い。両親との関係は悪くないしもう二人も年だし一緒に暮らすことに不満はない。ただ猫でも飼えたらなとは思うけど、母が毛のアレルギーでそれも出来ない。
なんというか、色々とうまくいってない気がする。もちろん大きく見たらいい方ではないかと思う事もある。仕事はそう難しくない。実家で暮らしてるからそんなにお金もかからない。電車に乗って仕事に行くから保守的で封建的で内向的な土地にずっといないのもいい。
でも、ずっとこのままでいいのかと思ってしまう。
この外灯の少ない地方都市の終電の終わった夜の駅の中で。
「お前も私も忘れ去れたみたいだねえ」
そんな風に思ってしまう。
気が付くとマタは私の手からこぼれた煮干しをぼりぼりとやっていた。
家に帰って風呂に入り、明日も仕事だとさっさと寝ると夢を見た。
「今西静江さん聞こえますか?」
呼びかけられて振り向くと、そこにマタがいた。
「マタしゃべれるの?」
え?いつの間にそんなことに?
「煮干しで頭がよくなってしゃべれるようになりました」
マタは言った。快活な声でそういった。マタのキャラと違うなあって思った。
「で、この度こうして猫又になれました。だから静江さんに御礼に来たんです」
「御礼?」
満員御礼?
「何か願いはありますか?」
「願い?」
「なんでも私が叶えてあげますよ」
ねがい?B'zのねがいいい曲だよなあ。
「どうします?仕事を変えますか?それともこの地域の環境を変えますか?あるいは母親のアレルギーを無くしますか?何だったら金銀財宝でも何でも。私できますよ。あ、外灯だって増やせます。なんたって静江さんのおかげで猫又になれたんです。誰もが忘れ去ってしまった私の事、静江さんだけが覚えていてくれた。だから私、静江さんの願いだったらなんでも。なんだって」
「・・・私、これからもずっとマタとのあの時間を大事にしたいな・・・」
目を覚ました。
ちょっと後悔した。なんだあの願いって思った。せっかくだったらもっとこう、もっとこう色々とこう。もっとこう、もっとあったろ!何だあの願い!なんだあの願いは!
でも、その日も終電で帰ると駅舎の中にマタがいた。
マタは私の所にぽてぽてと歩いてきてなーんといった。それから足に体をこすりつけるようにしてきた。
私がベンチに座るとその膝に乗ってまたなーんと言った。
「今日はご機嫌だね」
なーん。
ああ、でもこれでいいのかなあ。
そんな風に思った。
これくらいで満足しておくのがいいような気がするなあ。
それにきっとまだ私は、そこまで追い込まれてはいないんだと思う。まだ袋小路じゃないよおそらく。本当に袋小路になった時、どうしようもなくなった時、その時また出てきてくれたら有難いなあ。
「ねえマタ」
ねえ?
なーん。
駅舎から出る時、
「とりあえず保留ですね」
頭の中で声が聞こえた。
振り向くとそこにぽてぽてと歩いていくマタの後ろ姿があった。